徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

IT業界にいて感じたことー日本語の偉大さを発揮するということ

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IT業界で30年以上も働いていますが、色々な山と谷をみてきました。製品やサービスを販売するために必ずバズワードを広める。また、企業の収益が落ち込めばIT投資も削減される、がしかし、その投資の落ち込みは2年以上は継続しない。などなど。

 

昨年2020年のIT投資予算は、やはりコロナ禍で減少。しかし、今年2021年は増加に転じるようです。そしてここ数年の流行語大賞は、DX(デジタルトランスフォーメーション)ですね。ITベンダーはDXを印籠として「これが目に入らぬか!」と企業を揺さぶります。

 

その割には、ITベンダーは正しくDXを理解していない。何でもかんでもDXを枕詞に仕立てて製品やサービスを売ろうとする。コンサルタントは、それをいいことに、「わからぬのなら教えてしんぜよう!」とサービスを売る。こんな感じでしょうか?

 

一度聞いてみてください、「ではあなたはご自分の企業でどのようなDXを実践されているのですか?」と。DXを売り込みに来るのは、せいぜいITベンダーの部長さんレベルでしょ。責任を持って経営している立場ではないですからねえ。おそらくDXを具体的には説明できないと思いますよ。

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わたしは、1987年に就職しました。法学部を卒業したのですが、ソフトウェア開発会社に入ったんです。それまで、コンピュータなんてみたことも触ったことはありませんでした。せいぜいワープロを打ったくらいでした。でもこれからはコンピュータの時代、何をするにも避けられないと思ったからです。

 

大阪の当時80名くらいの規模の会社でした。当時はわたしのいた大学から、80名の(これでもすでに中堅のソフトハウスと言われていました)しかもソフトウェア開発会社に就職するのは稀有の存在でした。公務員や銀行、IT関連であればIBM富士通などのゼネコンに就職するのが普通だったんです。

 

入社して、3ヶ月間の研修を受けることになっていました。数名の先輩が来て、情報処理試験の教科書を使って講義が始まります。1週間して、頭痛とともに怒りのようなものがわき起こってきました。なぜかって?カタカナだらけだったからですよ。

 

例えば、「ハードディスク」って、わかりますよねえ。ところが、当時わたしの所属したチームは、IBM製のメインフレーム(大型汎用コンピュータ)用のプログラムを制作する仕事をしていたものですから、「ハードディスク」とは呼ばずに「ダスド」と読んでいました。転職した後知ったのですが、英語圏のエンジニアは「ダスディー」と呼んでいたんです。

 

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とにかく、カタカナ表記だらけだったんです。それを初めてコンピュータの世界に飛び込んだわたしに、あたかもすでに知っているかのようにカタカナ言葉を連発されるもので、怒りが湧いてきたんです。

 

「先輩、コンピュータを仕事にしようと意気込んでるわたしですら分からないのに、仕方なくお使いになるお客様が理解できると思いますか?」と食いついたんです。間髪入れずに「ひょうっとしたら講義されている先輩は、それが何であるかわかっていないからカタカナ用語で済まそうとされているのはないですか?」なんて突っ込みました。

 

それ以来、先輩達にはにらまれました(😊)。経験のあるエンジニア同士で話すのならカタカナ用語でも、まどろっこしくなくて良いでしょうが、そうじゃない人には例えを用いて説明するとか別の日常使っている言葉で話すよう努力べきでよね。そのためには、言葉のさすものをよく理解していることが求められます。

 

最近IT業界のトレンドとなっているものの一つに、クラウドコンピューティングというのがあるんですが、最も著名なサービス提供者がAmazon.comです。AWS(アマゾンウェブサービス)というものがそれです。

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ほとんど英語

AWSのサイトに行って、フリーのドキュメントやセミナーなどのビデオをみてみてください。「宇宙人ですか?」と言いたくなるくらいカタカナ用語の連発で、何を言っているかさっぱりわからないことが散見されます。これはほんの一例に過ぎません。

 

思い出すのは、学生時代に聞いたヘルメットを被ってタオルを巻いて拡声器でアジテーションするにいちゃんです。東大闘争や全共闘のビデオがYouTubeのも上がっていますから一度観てみてください。あと三島由紀夫が東大の駒場キャンパスて論争するビデオをみて観てみてください。

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何を言っているのかちんぷんかんぷです。彼らは、マルクスの哲学をそれなりにかじっているのですね。マルクス唯物論哲学の弁証法の説明の中に「絶対的矛盾の自己同一性」という言葉があります。彼らは、この手の言葉を多用し、しかも簡潔にかつリズミカルにアジテーションしようとするもんだから多くの言葉が省かれて、本当に理解不可能なあるいは自分たちの近しい仲間内でのみわかる自己満足言葉を使うわけですよ。

 

人とコミュニケーションしようという努力が欠如してるとしか思えないんですよ、わたしには。

 

「love」を「愛」と訳した最初の日本人は誰かご存知ですか?はい、福沢諭吉です。その後、二葉亭四迷夏目漱石などの文豪が「I love you」を「死んでもいい」、「月は綺麗」、と訳した。ちなみに「情報」という言葉もまた明治初期に現れています。

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加藤周一氏によると、「明治の翻訳主義が急速な日本の近代化の原動力」であったようです。英語で学んだ知識を英語で理解する方法と、母語に翻訳して理解する方法とがありますが、明治の日本では後者をとった。いくつかのアジア諸国、例えばインドではそれが難しかったので、そのため英語を早くから公用語扱いせざるを得なかったそうです。

 

つまり、西洋の近代技術を多くの人が理解するために、日本語に翻訳した言葉、それが大きく貢献し、小学校から大学までのすべての教育を自国語で行うことができたわけです。言語能力は思考力の基礎ですからねえ。しかも母国語の能力は外国語の能力と比較にならないほど高度。圧倒的に有利だといわけで、明治初期の10年間で奇跡的に日本を様変わりさせたというのです。

 

それにもう一つ、日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字形態を持っています。外国語をまずカタカナを使って音で貯蔵する。そしてやがて漢字で母語化するということができる、世界でも唯一の言語。これは、外国語を消化するのに力を発揮するわけです。

 

まあ、母語を英語にしてしまえば良いのか、翻訳主義が良いのか?はっきりとした、結論は持っていませんが、いずれにせよコミュニケーションする時はしっかり使う言葉を考える、使う努力は必要ですよね。でなければ、英語を公用語化することも考えるべきかもしれませんね。

 

でわでわ