徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

日本を出て暮らそうよーBeyond Japan

少し暑さも和らぎはじめましたね。でも、なんと雨や雷の多いこと。わたしがプロモートしているカレーレストランがあるのですが、店主はパキスタン人で温厚な性格の方。彼の母国パキスタンでは大雨が降り続き洪水や土砂崩れなどで28日午後までの24時間で各地で28人が死亡し、6月中旬以降、これまでに確認された死者はあわせて1061人に達しているという。店主とはHPを制作して「義援金が集められれば良いのにねえ」と電話で話しました。

 

最近とにかく嫌なニュースが多くて、気持ちが滅入りがちなんですが、いかがですか?今わたしはフィリピンでのバイオ燃料ビジネスの立ち上げ資金を待っていて、落ち着かないってこともあるんですけどね。6年以上もフィリピンで環境ビジネスに関わっていて、これが人生最後の集大成かなと、すでに気持ちはフィリピンに行っています。

 

そんな中で時間があればそれを読書に費やし、日本の近現代史、政治・経済、データ分析、グラフィックデザイン、コミュティデザインからカフェの経営などの本を読み漁っています。お金や投資に関する本は嫌いだったので今までは読まなかったのですが、audibleでジム・ロジャーズ氏のインタビュー本を聞いてみました。人工透析をしている時間がもったいないので、audibleはとても重宝しています。

 

コロナ禍の経済回復のために世界の中央銀行が大量の株や債権の買い入れのために巨額の資金を使っており、お金を印刷し続ければ続けるほど次のクラッシュがより酷いものになり、その代償は高齢者ではなく若い人が払うことになり、悲劇的な事態になる、とジム・ロジャーズ氏は警告をしている。続けて、中でも最大のダメージを被るのは日本になるという。

 

なぜなら、日本の出生率は低く、外国人を受け入れておらず、日銀は今も大規模な緩和を続けているからだそうだ。日本は少子化に関してなんら対策をしていません。いや、一部の地方自治体は例外ですが。エマニュエル・トッド氏は、「移民の受け入れは始まっていますが、ドイツの人口政策や経済政策に比べると、日本は人口減少を受け入れている。人口が減ることを受け入れる国は、国力が減ることを受け入れる国です」と言っています。

 

我が国の国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2021年に生まれた子供の数(出生数)は81万1000人で、前年より3万に減少しています。2040年には出生数は70万人前後にまで落ち込む見通しです。その一方で2040年に70歳になる1970年生まれの人は200万人もいる。果たして社会保障制度は維持できるのだろうかと心配になります。

 

移民の受け入れについていうと、技能実習生や特定技能などの制度があり、ベトナムやフィリピン、インドネシアなどのアジア各国から日本へ来ています。彼らは、実習生つまり学びに来ているインターンなのですが、採用している企業は全く労働者として認識しているようで、しかも中には低賃金(一つの理由は中間で合法的に費用を雇い主から抜いているので結局実習生の報酬から抜こうとする)を労働者扱いをしたり、パワハラや軽い暴力(日本人同士でも今や許されない)を振るうなど、まあ無知蒙昧な雇い主や中間の紹介会社による搾取で多くの問題が起きています。

 

また、現場に行っても先輩でそこそこの年配の日本人から、いじめ・無理解・罵倒などで永住権を持った外国人労働者も辛い目にあっているケースが多々あり、短期で辞めて新たな職を探すなどということが頻発しています。今でも、日本人は外国人、特にアジアやラテンアメリカ、アフリカ出身の人々とソリが合わないようです。いまだに、欧米の人種には「give me chocolate」なのに、アジアやラテンアメリカ、アフリカ出身の人々に対しては「あんたたちダメね、お国に帰ったら」ってな調子なのです。まあ、近代化されていない村社会としか表現できない状態です。

 

一方日本人はというと、特に若い人たちは、製造業のラインやコンビニの惣菜や弁当作り、介護現場、農業、宿泊旅館業、建築建設などの現場ではすぐに辞めてしまう傾向があり、コロナ禍が和らいだ今人手不足となっています。そこに外国人労働者技能実習生をあてがっていこうというのが実情ではないのでしょうか。外国人労働者にネガティブなことを言うひとに、私はよく訊くのですが「少子化で子供が少ないし、介護士になりたい日本人が少ないのに、あなたはいったい将来誰に自分の排泄の世話をして貰うんですか?」と。

 

わたしの妻はフィリピン人なのですが、フィリピンでは6年制の医学部を出たオプトメトリストとよぶ医者なんです。ところが日本ではこの分野は医者ではなく訓練を受けた検査技師に近い職になっており(近々免許制なるようですが、世界では医者の資格がないとできない)、日本ではこの職につけないのです。と言うより日本語ができるかどうかが問題のようですが。仕方なく英会話教師や他のパートの仕事をしています。なので、外国人労働者の現場での実態が頻繁に耳に入ってくるわけですよ。

 

日本語の問題???世界人口のうち日本語を喋る人口はごくごく少数で、外国人が日本語を学ぶコストを回収するほど日本では収入を得られないわけで、スペイン語や英語を勉強した方が良いと普通の頭なら考えます。それを日本人は外国人に「日本語を喋らねば仕事をあげないぞ」と未だに身の程知らずのことを言っているわけですよ。日本人が英語を学ぶべきなんですがね。これも閉ざされた村社会と言える問題です。

 

日本人自体の貧困化が進んでいることはご承知の通り。そうすると、海外から来ているアジアやラテンアメリカ、アフリカ出身で日本で仕事をしている人に「羨望」(「不当な利益を得ている」とか理屈をつけてはバッシングに走り、引きずり降ろそうとすること)を抱く人が増えます。つまり、自らを向上させようとせず、ひたすら他人を引き下げることで満足を得ようとする傾向が強まります。政治学者の丸山眞男はこれを「引き下げデモクラシー」と呼んでいます。これは、アメリカやドイツを見ればよくわかります。そしてその意識を頼りに、経営者も酷い扱いをする人が増えるわけです。

 

鎖国でもしない限り、1国が風邪をひいたら他国も風邪をひくくらいに世界は結びついてしまった。ウクライナvsロシア問題で起こっていること、コロナ禍で起こっていること、それらはこのことを世界中に自覚させたのです。鎖国でもしない限り、日本語しか通用しない、外国人と対等な関係で付き合えない、なんてことでは将来が大変。ジム・ロジャーズは今後日本では中間層が没落し、社会に暴動や犯罪が増大すると見ている。そして「あなたが10歳だったら日本から逃げるか、AK-47(携帯用の自動小銃)を使えるようにしろ」とアドバイスしています。「日本が何もしなければ」、これは現実的なアドバイスになるだろうと思わざるを得ない。

 

「日本が何もしなければ」と言うのが味噌ですね。同様な状況に陥った国は他にもありますが、政府の施策及び国民の努力によってうまく回避してきています。それに比べると、日本は30年もの間うまく行っていません。

 

ただ、今脳裏でこれは早急に変えないと大変なことになりそうだと思うことがいくつかあります。学生時代にわたしの大学でヨーロッパ政治史という講義があり、担当教授は山口定(やまぐちやすし)先生でした。山口教授はベルリン自由大学でも教鞭をとられた「ナチズム・ファシズム」の大家の1人です。山口先生は、後半は日本政治についても様々な発言や著書を出されていました。多くのことを学びました。

 

ご存知のようにヒトラー政権は、史上最も民主的とされたワイマール憲法下で合法的に選挙によって成立しました。そして、議会制民主主義に基づくワイマール共和国は葬り去られたのです。なぜ?いくつかの要因を挙げなければ説明できないのですが、既存政党がいずれも未熟で、国民の利益を前提とした政治活動がなされていなかったこと、14年間に21もの内閣ができては崩壊するというありさまで、特に末期は議会政治が機能不全に陥っていたこと、また国民も上から支配されることに馴れきっており、「自らが主権者である」という意識が不十分だったことなどが指摘されています。

 

民主主義というのは、かくの如くひ弱なのです。歴史を眺めると同様な事象が他にも見受けられます。それと民主主義を維持発展させるにはお金もかかるということを付け加えておきたいと思います。民主主義は、今そこにあるのではなく普段に検証され、努力して守られなければなりません。日本国憲法12条にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と書かれています。

 

ワイマール憲法48条には、国家が危急の事態に瀕した場合、大統領緊急令を発令して「必要な措置を講ずる」ことができると定められていました。大統領緊急令の成立には国会審議は必要なく、「緊急事態」についての明確な定義もなかったため、大統領の裁量しだいでこれを発動することができたのです。ヒトラーはこれを最大限利用しました。

 

あれ?これって?と思われた方もいるでしょう。そうです、コロナ禍でロックダウンが問題になった時に議論になったことです。現在、安倍元首相の「国葬」をめぐって閣議決定で法律の根拠もないことを決定しましたね。岸田首相は、捻り出された括弧付き法的根拠を述べてはいるが、弁護士会の言を引用してみると、

国葬令」は憲法に不適合なものとして「日本国憲法 施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」第1条に基づき1947年の終了をもって失効しており、「国葬」を行うことについても、その経費を全額国費から支出することについても、現在は法的根拠かない。1967年に吉田茂元首相の「国葬」が実施された際には、翌年の国会答弁 て当時の大蔵大臣が「法的根拠はない」と答弁しており、1975年に佐藤榮 作元首相が死亡した際に「国葬」の実施が検討されたときも、法的根拠が明確でない」とする当時の内閣法制局の見解等によって見送られた経緯がある。 政府は、今回「国葬」を行う法的根拠について、内閣府設置法(1999年 制定)第4条3項33号で内閣府の所掌事務とされている「国の儀式」として 閣議決定をすれば実施可能との見解を示しているが、そもそも内閣府設置法内閣府の行う所掌事務を定めたものにすぎずその「国の儀式」に「国葬」が含まれるという法的根拠もない。

しかも、国民からも多くの批判の声が出されており、安倍元首相の昭恵夫人からも難色が示されているのに無視し、しかも国会で説明せよとの野党の声も無視という態度を見せています。岸田内閣に始まったことではないですが、国会軽視が酷すぎる。

 

ここが問題なんです、恐ろしいんです。たとえば国会での答弁、記者団への会見、あらゆるところで官僚の作ったカンニングペーパーを読み上げるか、聞いていて嫌になるほどの低レベルの答弁や野次の応酬、しかも居眠り。今や、国民の選挙によって「頼んだぞ!」と任された代表の器量などなきに等しい集団と化している。言い換えれば、各省庁の官僚によって操られているようにしか思えない頓馬ぶり。よっぽどNGONPOで頑張る学生の方が知性を感じるのは私だけでしょうか?

 

太平洋戦争前の日本を見てみてみましょう。政党による議会政治が機能しなくなり、首相が短期間に何人も変わり、5.15事件や2.26事件による軍部によるテロルに怯え、満州を統括していた軍部が独断で戦争を拡大していきました。統帥権軍部大臣現役武官制を最大限利用し、天皇をも無視した軍部。軍部は軍に所属している官僚たちであることを忘れてはいけません。

 

民主主義が機能するための必要条件は、議会政治が機能することであり、議会における討論を通じて国策が決定され、法律が作られることにあります。それが今や立法、司法、行政が悉く官僚に操られるようになったのではないでしょうか。官僚の視野にあるのは、既存の法律と、自らの権限と昇進のみで、自由な意志、言論とは無縁の人種です。上から言われたことを行うだけ、つまり「忖度」の塊なのです。これはヤクザ社会と似ていますね。下っ端は親分が何を望んでいるかを忖度して、人をも殺すわけです。戦前の軍人官僚を見てください。

        

 

代議士は、自らの言論で政府をも転覆させるものです。尾崎行雄犬養毅などは非常に雄弁で、彼らが一度登壇すれば、内閣総辞職、あるいは議会解散と言われたほどです。軍部の力が大きくなった時でも一陣笠代議士や「腹切り問答」で有名な浜田国松代議士、斎藤隆夫代議士の雄弁は軍部をも追い詰めるほどでした。ところが、2.26事件以降こういった公論は無くなってしまいました。

 

戦後で特筆できるのは、田中角栄元首相でしょう。もちろん全て良しというわけにはいきませんが、彼は討論こそ議会政治の真髄であることをよく理解しており、しかも非常に雄弁で、官僚たちを自由に駆使し傀儡にならなかったところにあります。しかも、誰よりも多くの立法に参画しています。田中角栄以降、もうそのような政治家は出てきていません。官僚の書いたカンニングペーパーを読み、茶番としか思えない国会という劇場で踊っているだけ。

       

 

岸田首相に至っては全くのくちパク劇場で、斜めからなされた記者の質問にも同じ言説しか出てこない。「官僚の視野にあるのは、既存の法律と自らの権限と昇進のみで、自由な意志、言論とは無縁の人種」に支配されることは、本当に恐ろしいことだと思わざるを得ません。

 

明石市や福岡市のように、独自に先進的な海外の事例にも学びながら、地域の特性に根材した素晴らしい政策を実施している自治体もあるようだけれども、国政に税金を持って行かれている中では限界もあります。地方移住も考えてはいるのですが、ジム・ロジャーズ氏のいうように海外に逃げた方が良いかもしれません。富裕層はすでにそうしてますね。国の改革に期待できないのなら、海外逃避も選択肢かもしれませんね。まあ、わたしは10歳ではないですが。

 

でわでわ