徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

亀裂に楔をー若者はSNSで政治を変える

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梅雨ですねえ。この季節は故郷の京都が恋しくなるんです。京都は雨が似合う街。わたしの通っていた高校は、北嵯峨高校といって大覚寺と大沢池に囲まれた場所にあり、遠くから見ると屋根の形がお寺のように見えます。

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わたしは北嵯峨高校の2期生で、ようやく校舎が完成した頃入学しました。悪い生徒で、授業をボイコットしては、自転車で嵐山や奥嵯峨へ行って、部活(剣道部でした)が始まるまで寝たり考えに耽ったりしていたんです。高校の周辺には、そんな良い場所がたくさんあるんです。

 

中でも好きだった場所は、祇王寺でした。ここには、苔に囲まれた庭園があり、しとしと降る雨がとっても似合うんですねえ。

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さて、毎日のように政府や政治家の報道、新型コロナの報道、オリンピックの報道、とどれをとってもなんか興味の湧かない「茶番劇場」を見ているように感じるんです。いかがですか?そして、テレビを見ることがほぼ無くなりました。気持ちが暗くなり、「アホらしくなる」からなんです。見る番組は、土曜日の「旅サラダ」「食彩の王国」そして「人生の楽園」になってしまいました。

 

もちろんニュースは見ますが、見たいニュースのテーマや質を考えるとネットサービスの方が、自分で選べるという点もあって、はるかに有益ですよね。

 

世間には、「ネットのニュースなんて信じられるの?」という疑問もあるようです。確かにSNSなどで流される情報には、たくさんのフェイクもあります。テレビでも「やらせ」があったり「捏造」があったりしますよね。お金儲けが背後にあって流される「情報」には、全く中立であるものは少ない。そこには何がしかのバイアスがかかっていると考えるのが自然だと思います。

 

ことにマイノリティに関する情報は、片隅に追いやられる、あるいは隠蔽されることが普通です。意識的に情報を探しに行かないと分かりません。

 

平成2年、西暦で1990年以降の投票率を見る限り、「政治への無関心」が若者層で増大していると言われています。しかし、その推移を見ると上昇下降の傾きは、年齢関係なくほぼ同じなのは不思議です。

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若者の投票率の低さや若者の政治離れに関して、さまざまな意見がある。例えば、「政治や選挙に対する学校での教育が不足している」とか「半分の国民が現状に満足し、投票に行かないというのはある意味で幸せな国だということだ」とか。

 

2019年に内閣府が行った13歳から29歳の男女に行った調査「我が国と諸外国の若者の意識に他に関する調査」を見てください。

政策決定過程への関与について日本の若者に聞いたところ、『そう思う』(「そう思う」と「どちらか といえばそう思う」の合計)と答えた割合は「子供や若者が対象となる政策や制度については子供や若 者の意見を聴くようにすべき」(69.5%)が最も高い。次いで、「私個人の力では政府の決定に影響を与 えられない(」58.5%)「、社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したい(」42.2%) となっている。 

 

ここから読み取れるのは、「政治が自分たちとは離れたところで政策を決めてしまっていて、自分たちを無視している」と捉えているということではないだろうか? 「社会問題の解決に関与したいが、為政者には手が届かない」と「諦め」てしまっている。

 

 「うそ、忖度、隠蔽、数の横暴」これが、高度経済成長以降特に顕著になっているのではにだろうか?高度経済成長期は、反政府の闘争も盛んだった。学生のデモ隊に、街のおっちゃんたちも加わった。一方でしっかり働き、しっかり「稼いで」成長を支えた。これが高度経済成長期でした。

 

経済が成長しているときは、同時に人々はいろいろな面でアクティブなのが、歴史の示すところです。バブル崩壊以後、成長は止まりゼロ金利の時代が続く。そして、社会が不活発になる。

 

しかし、決して若者(総称してはいけないかもしれない)が社会問題に無関心とは思えない。小さい動きではあるが、ともに考えて何かできることをしようという動きはあるし、就職ではなく起業を選んだ若者は、社会貢献を確かに意識している。

 

ちょっと待ってくださいよ、若者の意識やシチュエーションはよく理解できるが、もし何もしなっかたら一体誰が喜ぶのだろうか?誰が利益を享受するのだろうか?それは、力の強いものたちではないだろうか?

 

先日、東京オリンピック開催期間中の酒類販売の是非について、大会組織委員会が、会場での酒類販売を「検討中」と述べた。丸川珠世五輪相は閣議後の記者会見で、「大会の性質上、ステークホルダー(利害関係者)の存在がどうしてもあるので、組織委員会としてはそのことを念頭に検討すると思う」と述べた。東京都の小池百合子知事は記者団に対し、「組織委が担当として調整していると聞いている」と逃げた。

 

この事態に対して、SNSでは「五輪だけ特別なの」「ダブルスタンダードだ」などと反対の意見が相次いだ。#(ハッシュタグ)”五輪の中止”でツイートし、猛反発した。その結果、ついに一転販売を見送った(こそこそ隙間を作っているようだが)。

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ここからわかることは、2つある。1つ目は、政治を変えるのは選挙という手段だけではもはやない。2つ目は、大勢の意見を集約すれば政治は変えられるということではないだろうか?

 

しかも、SNSを使いこなせるのは若者です。大事なことは、しっかり意見を持ち、主張することですね。

 

しかも、このパンデミックで政府、行政、自治体、専門家委員会、などなど本来一枚岩であることが期待される中で、辻褄が合わない主張や言い訳の相違、つまり亀裂が隠せなくなっている。「赤木ファイル」や五輪に関する宮内庁長官経由の天皇の「開催に関する懸念」、財務省の緊縮財政論に対する経産省の積極財政論で対立など。

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こんな言葉を吐きたくなりませんか?「世も末だ」。まさに今まで是としていたシステムが機能不全に陥ってきていて、今までは「国民の目から隠しておけばなんとかできる」ということすらが通用しなくなるほどに、亀裂を生じていると考えられないだろうか?

 

私が、こういうことがわかるようになってきたのは、情報をしっかり集めて自分の中で消化し結論を出すように努力してきたからだと思っています。ですから、騙されないようにしっかり事実を分析し、「自分の頭で考える」ことがとても重要だと思うんです。

 

そして、若者には、得意な方法で「しっかり自分の意見」を発信してほしいし、「共感」を集めてほしいと願っています。