徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

2016年1月16日?

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急に寒くなりましたねえ。各地で、クリスマスに向けたインベントが続々開催されています。故郷の京都では、あちこちのお寺で夜間特別拝観が行われます。わたしには、「大根焚き」という行事、大きなお鍋で大根とお揚げの炊いたものが参拝客に振る舞われる行事がとっても懐かしい。今年は中止にされているお寺もあるそうですが。

 

先駆けとなったのは、千本釈迦堂での、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたとされる12月8日を記念して、無病息災・健康増進を祈願して行われた行事だそうです。「京都へ行こう!!」

 

話は変わりますいが、2016年1月6日、さてなんの日でしょう?…

 

この日は、台湾で初の女性の総統が選ばれた日です。そうです、蔡英文(さいえいぶん)総統です。

 

え?どうして彼女に興味があるのかって?この間、対米追随の対中国戦略の一環で、日台関係の親密さが話題になっていますよね。それに、台湾化のパイナップルの輸入だとか、台湾麺や魯肉飯(ルーローハン)の人気ぶりだとか、タピオカ入りティーだとか、東日本大震災で台湾から200億円超の寄付をいただいたとか、そして、IT関係者としてのわたしには何と言ってもオードリータン・デジタル大臣の存在で台湾への親近感はグッと増しました。

 

台湾はご存知のように半導体大国で、多くのコンピュータ機器を製造しています。そして、世界一のコンピュータ関連製品展示会である「Computex TAIPEI」が毎年開催され、わたしも何度も台湾へは足を運んでいます。そして、行けば必ず食べるのが、牛肉麺です。

 

日本の政治を見ているとイライラするか、失望感に苛まれることが多いのですが、台湾に現れた女性リーダーを見ていて、なぜ日本ではこのような人がリーダーとして選ばれないのかと考えてしまうのです。女性がリーダーとして男性に勝るとかどうとかはどうでも良いのです。蔡総統やオードリータン大臣のようなリーダーを担ぎ出せる台湾国民の素晴らしさに感服するのみなんですよ。

 

まずは、蔡総統について紹介させてください。

          

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”1956年に生まれた蔡英文。その家族は、屏東という台湾で最も南にある県にルーツを持つ。父親は客家人で、自動車ビジネスで成功した人物だった。母親は福建系の女性。父方の祖母は先住民族であるパイワン族だった。つまり彼女は、福建、客家、原住民という、台湾土着の3つの異なる系統の血筋を持っていることになる”

 

彼女は、父親から「人のやらないことをやりなさい」と言われて育ったそうです。それだけが要因かどうかはわかりませんが、勉強熱心だった様です。学歴は大したもので、台湾大学法学部を卒業、米コーネル大学修士ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得。そして、20代で台湾に戻り、大学教授に就いた。絵に描いたようなエリートですね。

 

あるときある弁護士から、自分の代わりに政府の貿易交渉の法律顧問になってくれないかと頼まれ、このことがきっかけで彼女の運命は変わっていったのです。

 

貿易交渉は法律の知識と共に交渉力が問われる仕事です。彼女の才能はそこで発揮されました。政府から重用され、台湾のWTO加盟に伴う交渉団の首席法律顧問となり、李登輝政権の国家安全会議の諮問委員にも任命されることになりました。さらに当時、中国から猛反発を受けた李登輝「二国論」の起草者にもなったわけです。

 

民進党には2004年に加盟し、民進党どん底にあった2008年、党内のベテランや大物が誰も主席を引き受けない状況で、あえて彼女は主席に就いたのです。そして、2012年の総統選では惜しくも敗れ、一時的に党主席を離れたのですが、2014年に党主席に復帰、そして同年末の地方選挙で民進党を圧勝に導き、その勢いに乗って、2016年の大事な選挙でも勝ち抜いたというわけです(史上最多得票で勝利した)。

 

彼女の演説は、実に「面白くない」、が、心に響かないわけではないと評されている。普通の政治家のようにテープレコーダーのような政治演説ではなく、自分の言葉で真面目に語っているからです。日本の政治家は、何を恐れてか「カンペ」を見なければ話ができないが、彼女は違う。朴訥(ぼくとつ)とではあれ、自分の言葉で話す。わたしたちは、間違わず火の打ちどころのない言葉が聞きたいのではない。その人の誠の思いを共有したいのではないでしょうか。

 

彼女の話すその様子が中国でも放送されたことで中国人の間で評判になり、それまでの民進党に対する「粗暴な独立派」というイメージが変わるきっかけになったとも言われているそうだ。日本の政治家にそんなことができるだろうか?

 

よく2つの世界大戦を経てきた政治家は、良くも悪しくも筋金の太さや信念の強さが違うと言われる。吉田元首相はその代表例だろう。戦後生まれの政治家には、その強さがない。

 

彼女は、朴訥としているだけではなく、自分の話した内容がマスコミによって報じられ、それが話したことを正しく表現していないと、何度も訂正を求め、「蔡更正」と恐れられていたそうだ。それだけ、自分の言葉に責任を持っているということでしょうね。彼女のおかっぱ頭で、難しい法律の交渉すら臆面もなくこなし、英語でも細部にわたるネゴができる。でも、パフォーマンス下手で口数が少なく、シャイな性格。こんな政治家が私たちと同じ目線でいると思われれば、多くの人に支持されると思うなあ。

 

こんなエピソードもある。大勢の村人たちが、『選挙費用の足しにしておくれ』と言いながら、クシャクシャになった100元(当時のレートで約300円)札を競うように蔡英文へ差し出したことがあった。ある老婆から300元を差し出されたときはびっくりして感極まりながら『ありがとう、本当にありがとう! 私は100元だけいただくね。でも200元はお返しするから、おいしいものでも食べて!』と言って、そっと老婆の手に2枚を返した。これが、資産家の令嬢に生まれ、台湾大学や英の名門大学に学び、国立大学教授から高級官僚、閣僚を経て政治家となった彼女なのだ。

 

総統選で敗北した時には、支持者に対して「可以哭泣,不要放棄」(泣いてもいい、しかし諦めてはいけない)と励ましながら、「有一天我們會再回來」(いつの日か、我々は再び戻ってくる)と呼びかけた。そして、民進党を立て直すために、人々の中に入っていった。その泥臭さ、地味さに親近感を覚え、今まで民進党支持者でなかった層のファンを増やしたと言われている。彼女と触れた人は、民進党の政治家のイメージと違うことを悟った。

 

そして、台湾の民衆は、蔡英文を必要としていたのです。2016年1月16日、時代が蔡英文を『政治家』にしたのです。

 

新型コロナが始まった時の対応を含め、彼女の偉業はさまざま語られているのでそれらに譲るとしましょう。さて、ここらでオードリータンさんの話をしたいのですが、その前にわたしの娘への教育論を聞いてください。

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わたしには、2人の娘がいます。1人は今フィリピンの大学で医学を学んでいます。薬学部を卒業し国家試験にも合格して、薬剤師となったのですが、どうも職場に馴染めなかったようで、「お父さんは糖尿や腎不全や病気の多い人なので医者になるわ」と良く言っていた通り医学部へ行き直したのです。下の子は、わたしと共に日本に来て、高校へ通っています。音楽とITが大好きで、いつも飽きずに勤しんでます。

 

わたしはよくこう言います、「学校へは行きたくなければ行かなくて良いよ。勉強したければ今はインターネットもあるし色々な方法がある。学校へは、友を作り人と共に平和でお互いを尊重することを学びに行くところだ。自分が何をしたいか?それが友を喜ばすことに貢献するか?を考えてほしい」って。

 

本の学校で学ぶことは、わたしはあまり進めていませんでした。わたし自身が、学校嫌いで、先生たちから見れば問題児でしたからね。嫌いな先生や科目は徹底して無視していました。先生が前に立って、学力や理解力そして好みの異なる生徒に同じ調子で授業をして、成績が悪いだの態度がどうのといっている今のシステムが大嫌いでした。ただ、部活をしにいっていただけかもしれません。

 

高校は北嵯峨にあり、授業をサボっては嵐山の喫茶店に行ったり、寺の境内で昼寝をしたりすることが多く、部活の時間に校舎へ戻るような生活でした。なんのために地学を学ばなければならないの?なんで地理を勉強しないといけないの?さっぱりわかりませんでした。

 

この態度は、仕事を始めてからも続いています。そのせいで、わたしは約3年から5年で転職をしています。「やりたいことはやってしまった感」や「もうこのやり方やこの世界は廃れる感」に従ってやりたいことを変えてきました。ちょっと「晴天を衝け」の渋沢栄一に似ているかもしれません(笑)。おかげで、「この男はすぐに辞めてしまうかもしれない腰の落ち着かないやから」として日本のヘッドハンターには映ってしまうようで、また職歴から「何者だこいつ?」と思われていたようですね。本人は至って冷静なんだけれども。まあ、日本の「慣習」や「常識」には当てはまらなかったことは認めますが。

 

不登校児でも立派なことをした人はたくさんいます。オードリータンさんもその一人です。彼は一途にITを学んできたんですよね。さまざなITコミュニティにも参加して、世界に友人も作った。独学で勉強、12歳からプログラミングを勉強し、義務教育を飛び出して15歳で起業。19歳で米シリコンバレーでも起業し、米アップルなど世界のIT企業の顧問も歴任しました。

 

大事なことは、彼がIQが高い天才だのということではなくて、日本の記者が次のようにオードリーに尋ねた時の彼の回答です。

 

「日本では小学校からプログラミング教育が始まりましたがどう思われますか?」

 

ープログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。

 

続いて、

 

ー私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養(かんよう)するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。

 

感動しました!全くその通りです。日本の教育の目的は一体何なのか、わたしには全くわかりません。大学を受験するためですか?そんなところで、娘が人生の大切な時間を過ごすことに、わたしは全く承服できません。

 

オードリータンさんは、ゲイですね。きっとたくさん悩んだだろうし、いじめも経験したのではないでしょうか?そういった世界とは離れて、性が問題にならないバーチャル上のコミュニティでITを勉強されてきたのでしょう。その過程で、自分のやりたいこと理想とされる社会について洞察されたのに違いありません。

 

オードリータンさんは言う、「デジタル技術の運用は、必ずその背後に哲学や価値観があります」と。「デジタル技術はもっと謙虚であるべきです。人間に寄り添い、多くの人間が技術の恩恵を受けられるようにすべきです。1位になれ、トップを目指せ、という技術競争を追求してそれについていけない人を生み出すのではなく、どのような技術がどれだけの人を取り込めるかを考えることが重要です。ですから、高齢者はIT社会で何一つ変わる必要はありません。ITのほうこそ、人間に近くなるように調整されるべきなのですから」。

 

このオードリータンさんを政府に引き入れたのは、当時の女性閣僚ジャクリーン・ツァイ、彼女は法律の専門家で、台湾の各地方裁判所で裁判官を務めた後、IBMで台湾や香港・中国エリアの法務長を歴任し、2013年に入閣した人物です。ジャクリーンさんは言ったそうです、「オードリーが民間の素晴らしい力のある方々を引き連れてきてくれ、一緒にコラボレーションすることになった時、私はスタッフたちに言いました。『人生でこんなに人々の命にとって意味があることができる機会は何回もない』と。皆で一緒に問題を解決するという姿勢が大切です」と。

 

反体制派であったオードリータンさんは、面白いことに国民党内閣のデジタル大臣であった蔡玉玲に注目され、2014年後半に、蔡玉玲大臣が彼女を「逆メンター」にしました。若い方が年配の方にアドバイスをする役割です。蔡玉玲大臣は、タン氏の能力を借りて、国民党政権においてデジタル国策を推進しました。と言うことは、ジャクリーンさんは、戦ってきた相手政党の時に登用された人材を引き抜いたと言うことになります。わたしにとっては、オードリータンさんもジャクリーンさんも『器』の大きな方達だと思えます。イデオロギーや年齢ではなく行動・結果・能力を承認してオードリータンさんに任せているリーダーが、蔡総統なのですよ。内閣人事を派閥の力関係やバランスなんかで決めているどこかの国とは全く違いますね。台湾では、政治が国民の方をちゃんと向いていると言うことです。

 

そして何よりも、そういうリーダーを生み出し支えている国民に、頭が下がります。オードリータンさんは言っています、「私たちは、挫折や対立を経験した時、どのように自分の心をケアすれば良いのかを非常に重視しています。台湾は人口密度がとても高いので、これは必須スキルなのです」、つまりレジリエンスですね。

 

わたしは、娘を蔡総統やオードリータンさんに近づける人間になってほしいと思っています。できれば、わたしも含めリーダーを生み出し支える日本国民になりたいものです。台湾の懐の深さに脱帽です。

 

ではでは