徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

曇り時々雷雨そして暴風(#安倍元首相 #統一教会)

この数年、メディアのニュースでは暗い話ばかりが報じられています。ウクライナをはじめ戦争は止まず、政府の失政で民衆が怒り権力の暴力装置ともぶつかり合う国があり、難民は増え続け飢餓で多くの子供が死んでゆく。「一体どうなっているんだ」、と思いませんか?

 

我が国では、安倍元首相の銃撃事件で、旧統一教会と政治家や政党との癒着が問題に上がり、更には森友学園問題も再燃しています。一層酷いことには、安倍元首相の『国儀』をするというわけです。日々民主主義が蹴破られていくのを感じます。政権・与党は、『選挙』の結果が出ればマニュフェストや民意などを無視して、日本版権威主義的に振る舞うわけです。

 

さて、安倍元首相の銃撃後、奈良県立医科大学付属病院からの発表、

  安倍氏の首の右前部に約5センチの間隔で2カ所の小さな銃創があった。銃弾が首から体

  内に入り、心臓と胸部の大血管を損傷したとみられる。心臓の壁には大きな穴が開いて

  いたという。左肩に銃弾が貫通したとみられる傷が一つあったという。体内から銃弾が

  発見されていないという。手術では胸部を開き、出血点を探して止血するとともに、大

  量の輸血をした。

を聴き、その後急に銃弾の入りと出が180度異なる発表が警察からあったのを覚えていますか。しかも大量の輸血をしたと言いますが、現場に血液は見られなかったでしょ。

 

さらに山上容疑者の銃撃時の立ち位置や爆音のするお手製の銃、家宅捜査で押収された山上容疑者お手製の銃の警察の持ち出し方、銃弾が見当たらない、警護体制などを見て、わたしにはJFKつまりケネディ暗殺事件が脳裏に浮かんだんです。JFKではオズワルド単独犯行が政治的に無理矢理押し付けられましたが、詳細な検証をしてみるとオズワルドの射撃位置と銃弾のルートが合わないことや銃声の分析から、オズワルド以外に実行犯がいた可能性が示唆されましたが、政治に握りつぶされたままになっています。

 

あのようなお手製の銃で確実に殺傷できるのでしょうか?6発の球が同時に出るらしいのですが、安倍元首相以外に何ら被害者がいないなんていうことがあるのでしょうか?しかも2回爆発音を鳴らしている。他からの狙撃を誘導する合図とカモフラージュだったということは考えられないのでしょうか?

 

銃弾が見つからないとか、その銃弾が本当に山上容疑者の銃から発砲されたものなのかとか、事前に旧統一教会関係の事務所に発砲した銃弾など、不明のまま。そんなことってあるのでしょうか?しかも、安倍元首相の演説時の警護体制に話題は移っていますが、以前にやはり同じ駅の反対側で安倍元首相が演説したときは、宣伝カーの上で演説し、しかも警護も完璧になされていたことが映像で残っており、なぜ今回は警護がズブズブだったのか?奈良県警スケープゴートにして終わらせてはならないと思うのです。

 

しかも時系列的に奈良県県警からの発表を見直してください。変化してるし、ある時は以前言っていたことを消去している場合もあります。法学部で刑法犯罪を学んだことがあればわかると思いますが、容疑者がこの山上氏のようにペラペラ何でも早期に供述する場合は、捜査撹乱の目的である可能性が高いということをまず考えます。これらを考えると奈良県警は、辻褄を合わすのに四苦八苦しているように見えて仕方がない。

 

わたしは、正直言って財務省と警視庁が裏で動いているのではと思いました。財務省はすでに職員(赤木さん)を死に追いやっておいて、麻生財務大臣や佐川前理財局長は保身のために嘘をついて部下をスケープゴートにし、最後はこともあろうか「認諾」で闇に葬ろうとした。わたしに言わせれば殺人鬼です。政治家や官僚は、「尻尾切り」でスケープゴートを決め、情報を隠蔽したまま幕引きをする、その常習犯です。

 

安倍元首相は、首相時代の初期は消費税増税には消極的で官邸主導にして官僚を統制している。そして、首相退任後は積極財政派に加担しておられた。これは、財務省とは真っ向から反対側になる。警視庁はというと、嘗て警視庁幹部の奥さんが統一教会にはまり、霊感商法で部下たちをターゲットにしたことがあり、警視庁としてはこれはまずいということで統一教会を潰そうとした時にそれを阻止したのが安倍首相だったという事実がある。

 

とにかくあらゆる可能性を前提とした操作がなされる必要がありますね。なお、自民党青山繁晴さんがYouTubeで警察への公式な質問状を提出されていますので是非見てみてください。

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奇しくも、山上容疑者の自供から「政治と統一教会」の関連が問題になり、連日報道がアップデートされています。統一教会との関係が取り沙汰されている議員の返答は聞くに堪えない。その集約された回答は、自民党福田総務会長の「それが何で問題なのかよく分からないです」と岸田首相の「丁寧な説明を」でした。

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そして、非常に厳しい宗教団体名の変更審査があり統一教会に関して長年却下し続けていたにもかかわらず、2015年下村博文文科大臣時代に審査もせずすんなりと変更許可を出し、しかも「わたしに事前の変更申請があったが部長クラスで処理しているはず」などと白々しい嘘をつくしまつ。

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統一教会幹部までメディアに登場して暴露し謝罪しており(No.2会見)、しかも関連訴訟からも統一教会がいかに「反社会的」であるかは明らかすぎるほど明らかになっています(特派員協会会見)。しかも海外メディアから「なぜ安倍元総理と統一教会の関係を日本のメディアは積極的に取り上げないのか?」と疑問視されているほど、メディアもまるで自民党に忖度しているかの如く、またモーニングショウやめざましテレビなどで解説している三浦瑠璃子などのコメンテーターまでが「お仲間」のごとく振る舞っているのは、この国の腐った状況を世界に曝しているわけですよ。

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はっきり言って、ここまで低レベルで劣化した政治家を代表者として選び、腐ったメディアを野放しにしているのかと思うと落ちるところまで落ちないとこの国の有権者は覚醒しないのだろうなあと思ってしまう。恥ずかしくてしようがない。

 

YouTuberのひろゆき氏が「統一教会に関する見解はリトマス試験紙だ」「関係ない=容認する=統一教会側」だとうまく指摘されています(リトマス試験紙)。「差別には第3の立場はない。許さないために戦うのか、容認し差別する側に加担するかだ」という言葉を思い出します。

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しかも統一教会は、韓国がアダム国で日本はイブ国、つまりイブがヘビに騙されてアダムに罪をもたらしたとして日本は韓国に罪の償いをするために献金をしなければならないのだと主張し、霊感商法で日本の信者の金を吸い上げている団体。それに対して右翼の大物である笹川良一、や岸信介、そして自民党の議員が賞賛しているわけですよ。彼らは、韓国様にひざまづいて罪を償うことを良しとしているわけですよね。もう訳がわからない!

 

実はわたしは統一教会に関して次のような経験をしています。わたしは、1980年台の初旬に大学生活を送りました。大学にはサークルとして原理研究会というのがありました。ある時大学校内で部落差別事件が発生、その主犯が原理研究会であることが発覚し、大学サークルの部落解放研究会はじめ人権を擁護する人たちが究明に乗り出したところ、ダンプで数十人の角材や木刀を持った暴徒が学園に押し入り、数名の人権擁護派学生を拉致した訳です。実はこのダンプで来た暴徒が統一教会信者だったんです。原理研究会統一教会の組織なんです。この頃、霊感商法の被害者が続々と現れ、「壺を70万円で買わされた」なんて話はみんなの知るところとなっていました。しかも、歌手の「ようこそここへクッククック」の桜田淳子さんが統一教会主催の合同結婚式に参加したという報道が全国に流れて、多くの人がショックを受けたのもこの頃でした(合同結婚式)。

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ですから、少なくとも50歳台以上であれば、統一教会原理研勝共連合の「反社会性」を知らない訳がないのです。それもあって、「世界平和統一家庭連合」へと名称変更した訳です。この年齢の議員は、とぼけることは出来ないと言って良いと思います。政治家たちは、宗教団体というより、勝共連合の政治運動体との関連が強いのかも知れませんが。

 

安倍元首相を「国儀」にすると岸田首相は言ってますが、理由は「国葬」には現在法的根拠がないために「内閣府設置法」第4条の「国の儀式」を適用しようと捻り出した言葉ですね。そこまでして、「国費」を使って各国要人を招待するようですが、その心は?と問いたいですね。確かに、世界にお金をばら撒いた首相だったので、海外の評判はすこぶる良いのが安倍元首相です。でそれ以外に一体どんな功績があるというのでしょうか?「日本経済を低迷させ続けたで賞」でもささげるのなら話はわかりますが。

 

いや~この国は病んでます。安倍元首相の暗殺を予言したかの様に評され忠告されている『パンとサーカス』の著者島田雅彦さんの論説を読んで見てください。現在、「旧統一教会と政治の関係」、「オリパラ利権」、超ブラック企業でメディアや政治に大きな影響力を持つ「電通」捜索、などなど検察による「安倍的なるもの掃除」が行われてはじめた。「カルロス・ゴーン」が検察により再逮捕、きっと「森友学園問題」、「赤木ファイル」、などへも及ぶかもしれない。いやちょっと待てよ、、「検察裏金疑惑で内部告発しようとしていた検察幹部三井さん」を検察は朝日系メディアへの告発インタービュー直前に逮捕し、この検察の動きを読売系メディアにのみ検察がリークするなんて事までやる組織です。検察は、三井さんの電話を盗聴していたのでしょうね。しかも、特捜部が動き逮捕している。ブラックを取り締まる側が超ブラックだ。この三井さん逮捕起訴事件は、かつての2.26事件の主犯格を処刑した時を彷彿とさせるやり方で、正しい法的手続きを踏まず、検察の権限で有罪実刑判決まで持って行ったもの、しかも保釈すら認めない。ここにも赤木さんの様な犠牲者がいるという事ですね。

gendai.media

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日本は、政治、行政、検察、裁判所どれもが憲法も法律も守らない。どこが民主主義国なのでしょうか?中国やロシアと何も変わらない。権限を利用して好き放題、ばれそうになればトカゲの尻尾切りでスケープゴートを出して隠蔽する。事実や証拠は無いのではなく改竄され隠されるわけだ。しかもでっち上げトカゲの尻尾切りを行った本人も、口封じのために罪に落とされる。これも、射殺されたJFK暗殺者とされたオズワルドの様だ。彼は、護送中に射殺された。

 

『崩壊を加速させよ』に関するインタビュー宮台真司氏は、「そこには「人々が気付くだろう」という楽天的な前提がありました。たぶん希望を事実と取り違えたんですね。人間にはよくあることです(笑)。むしろ人々の大半は永久に気付かないだろうと思い直すようになりました。」と語っているが、同じ心境にならざるを得ないですね。安倍元首相銃撃以後、暗黒が訪れるかも知れませんね。

realsound.jp

でわでわ

参議院選挙に向けて思うこと

梅雨明け

北関東付近は梅雨明けしたという報道が流れている。一方、参議院選が公示された。7月10日が開票日です。気になるのは、投票者数です。若者が選挙に行かない、そして行った若者の多くが自民党へ投票する、これが変化するのだろうかということです。

 

 

さて、先日ツイッターを見ていると、内田樹(うちだたつる)さんのツイートで非常に興味深いことを知りました。ちょっと引用させてもらいますと、

 

ダートマス大学のチームが行った直近の衆院選の選挙結果分析ですと、自民党が圧勝したこの選挙で、自民党の政策は他党に比べて高い支持を得ていないそうです。政策別の支持を見ると、自民党原発・エネルギー政策は最下位、経済政策とジェンダー政策はワースト2。コロナ対策と外交安保が僅差で首位。なぜその政策が支持されないのに自民党は勝ち続けるのか。そこで研究チームは政党名を示さないで政策の良否を判断してもらった場合と、政党名を示した場合を比較しました。すると驚くべき結果が示されました。自民党以外の政党の政策であっても「自民党の政策」だというラベルを貼ると支持率が跳ね上がったのです。共産党の外交安保政策は非常に支持率が低いのですが、これを「自民党の政策」として提示すると一気に支持者が増える。つまり、有権者はどの政党がどういう政策を掲げているかではなく「どの政党が権力の座にあるのか」を基準にして投票行動をしているのでした。「最も多くの得票を集めた政党の政策を『正しい』とみなす」という奇習をすでに多くの有権者たちが深く内面化している。今も昔も「勝てば官軍」なんです。

 

 

ちなみにこの記事は、https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00150/121700013/です。この記事によると、2017年に発表されたMITの山本鉄平准教授らが、最新の統計理論に基づき改良したコンジョイント分析の手法とプログラムを活用して、2014年、17年、21年と3回の総選挙を調査した研究結果だそうだ。

 

コンジョイント分析について堀内勇作氏は以下のように説明されています。

 

コンジョイント分析はもともとマーケティングの領域で使われてきた。実例で説明しよう。ある日筆者は、ジョギング中に装着できるヘッドホンを買いに大手家電量販店に足を運んだ。売り場へ行くと数えきれないほどのヘッドホンがあるが、選びたいのは1つ。いくつかの「属性」が、選択に関係ありそうだ。値段、ブランド、ワイヤレスか否か、ノイズキャンセル機能があるか否か……。このように消費者は様々な「属性」を「総合的に」勘案した上で選択する。 売る側からすると、どのような「属性」が消費者にとって重要で、属性ごとの選択肢(例:色の場合、黒、白、青、赤、など)のそれぞれが選択にどう影響を与えているか知りたいはずだ。その解明に適した手法がコンジョイント分析である。

 

 

これを読んだ時、驚いたがでも「やっぱりそうだったんだ」という気持ちになったというのが正直なところ。IT市場や技術の分析をしていたときによく「レガシー」という言葉を使いました。それは、「古いモノ」という意味で使うこともありますが、過去の成功体験に根ざした教えのように金科玉条となってそこから逃れられないモノやコト、長年続いたものがあたかも「真理」であるかのように認識されるようなコト、といった意味を含んでいます。いってみれば、バイアスの一つです。

 

例えば、食べ物の世界でもこんな実験がありました。一度も料理をしたことのない男性に暫く料理を教えて、世にあるレシピで調理をしてもらい高級な器で綺麗に盛り付けたものと、一流シェフに料理してもらい似たように盛り付けたものを食べ比べてもらう。その時、前者の料理を一流シェフが料理したと前もって偽情報を提供した場合、前者の方が美味しいと全員が答えたという実験結果です。

 

つまり本当の味というモノが解っている訳ではなく、一流シェフが作れば美味しいはずだ、シャネルであれば高価なのは当たり前だ、と言ったバイアスを通して物事を見るわけです。与えられた「属性」(この場合一流シェフが作ったという属性)あるいはバイアスによって判断する訳ですね。それが選挙でも当てはまる、正確にいえば「日本では・・・」というべきなのでしょうが。

 

日本の現在の衆議院選挙制度小選挙区制)では、「1つの選挙区から1人を選ぶ方法で、小党乱立を防ぎ、政局が安定しやすいのがメリットとされています。しかし、少数意見が反映されにくい、小党が不利になる、不正投票の割合が高くなるなどの欠点があります」。何せ、前回の衆議委員選挙では、自民党の絶対得票率は全有権者の26%強に過ぎないのに、獲得議席数は衆院定数(465)の議席占有率65%を占める「絶対安定多数」を獲得しているのです。

 

しかし、ダートマス大学のチームが行った直近の衆院選の選挙結果分析が正しいとすれば、選挙制度がどうあれ、日本の有権者自民党を支持し政権を継続させたわけです。新型コロナ対策で厚生労働省が打ち出したPCR検査抑制という国民の命に関わりかねないことを変更させられなかった自民党政府、官僚たちの書いた原稿を読むだけの自民党政府、防衛費や先進国と横並びの海外援助ならポンと何十兆も出す金を国民の福祉や生活のためには財源は?とかプライマリーバランスの黒字化を盾に渋る財務省を変えられない自民党政府、森友改竄事件で赤木さんという一人の命が失われたのに、真実をひた隠し最後は「認諾」で闇に葬った自民党政府、こんな政府を支持した訳です。

 

日本人の民度の低さには、本当に驚かされてしまう。「明日は我が身かもしれない」とは決して考えない。外国人の友人から「どうして日本人はデモもせず無視していられるんだ」とよく質問されます。まるでロシア国民がプーチン氏を支持しているように日本人は自民党政府を支持している。スリランカを見てみてください、パキスタンを見てみてくっださい。だから日本の政権は、どや顔でいられるわけですよ。

 

ダートマス大学の堀内勇作さんは、

 

そもそも、解散して急ごしらえで準備したマニフェストを、わずか12日しかない選挙運動期間中に有権者が十分に理解し、各党の政策を吟味した上で、最も自分の政策選好に近い政党を選んでいるとは思えない。マニフェスト選挙は、政策本位の政治の実現に役立っているのか。研究結果を踏まえても、一度立ち止まって考えてみる必要がありそうだ。

 

 

とおっしゃていますが、甘やかしてはいけない。まあ、「自民党ブランド」をいつまで後生大事にできるかが見ものです。わたしは「なぜ日本人は戦争に向かったのか?226事件とはなんだったのか?」に関心を持ち勉強しています。それらの歴史的事象は決して特殊な人たちが起こした奇怪な事件ではなく、そこには必然的にそこに至る社会システムの構造的問題に影響受けた「人」や「大衆」、そして「政治的指導者」が存在するということが浮き彫りになってくるんです。

 

作家の永井荷風は日記『断腸亭日乗』に226事件を述懐して次のように述べています。「そは兎もあれ日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行も之を要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於てもこれは到底望むべからざる事なるべし。」

 

よく考えてみてほしい、自民党政府は同じことを繰り返ししているではないですか。直近では安倍政権がまさにそうだった。不都合な事実の改竄、そして翻弄され改竄を実行せざるを得なかった赤木さん、最後は赤木さんをスケープゴートにして「認諾」で全てを闇に葬り去ったではないですか。そして何もなかったかのように「いつまで騒いでるの」と雑音であるかのように扱う一般民衆。まさに、永井荷風の言う「政党の腐敗も軍人の暴行も之を要するに一般国民の自覚に乏しきに起因する」と言うことが的確な評価だと思いませんか?

 

そして、戦争が終わってA級戦犯を処刑した直後に、「民主主義バンザイ!」「ギブ・ミー・チョコレート」と微笑みながら占領軍に歩み寄る大衆。この人たちは昨日まで、鬼畜米英を叫び、満蒙は生命線とマスメディアと共に軍を鼓舞していたのですよ。

 

国とは武装をしているもの。しかし、この武器は決して外にだけ向いているのではないことを忘れてはいけない。226事件天安門事件など、多くの事例がそれを示しています。その舵取りをする政府がどんな考えを持った人間達なのかによって、この武器がどこに向かって火を放つのかが決まる。憲法を変えることも私は必要があれば実行すべきだと思うが、どのような政府のもとでどのような改定をするのかが大事だと思う。現行の自民党政府のもとであれば、とくに9条の改定はさせたくはない。本来統治権力に枷をはめるために憲法があるのですが、都合よく国民を統制しようとするような意識の者に触らせてはいけないのです。

 

国民や大衆というものは、時には怖い存在になることは歴史を見れば明白です。絶えず学び続け、不都合な真実を見通し、政府や官僚を監視し、必要があれば声を上げることのできる存在でなければならないのです。それを主権者と呼ぶのですよ。

 

しかし、今多くの有権者は茹でガエル状態。お尻に火がついた時には茹で上がってしまって身動きできない、なんてことになってしまうかもしれない。

 



ところで、参政党という、YouTuberでもある神谷宗弊が立ち上げた政治団体が俄に人気を集めているようですね。面白いのは、元々他党に投票していた人や他党にいた人も集まっているらしい。この団体を立ち上げた動悸やストーリーは非常に面白いし、なるほどと頷ける。そして、政治に参加しようと鼓舞しているのは素晴らしい。ところが神谷宗弊氏は街頭演説ではマニフェストを訴えている様子がない。「今日本は腐っているし、欧米に毒された国になっている。かつての日本人の日本人らしさに覚醒し取って代わって政治を自分の責任で動かそう。」と繰り返し言っているだけのようですね。政策よりもまず哲学だって?そうなんですかねえ?

 

素晴らしいように聞こえる。上記のダートマス大学の研究結果を知って「マニフェストを訴えても国民は判断しないだろう」と訴えない戦略に出ているのかな?(笑)だがです、YouTuberでMMT理論を解かれている評論家の三橋貴明氏によるインタビューでトランプ元大統領を賛美し、おそらく工学者でYouTuberの武田邦彦氏(参政党から出馬)などの影響だと思いますが、「日本人は欧米の考え方ややり方を取り入れてダメになった」とか「脱炭素なんて言っているからダメで、日本の内燃機関の傑作を作れる自動車業界も電気自動車なんか造らずに、化石燃料を炊いても発電すべきだ」ということを唱えている。

 

わたしは、それらに恐れと疑問を感じます。わたしには、参政党に集まっている人たちは、既存政治への不満と結党のストーリーへの共感を主な動機としているのではないかと想像します。わたしはレッテルを貼ることは大嫌いですが、「鎖国でもするんですか?」と聞いてみたくなりません?社会や政治の閉塞感を大衆が感じている時には、ナショナリズムに火をつけられやすく神谷氏の歴史観がまさにそうだと思うんです。

 

しかし、「共産主義者だ赤だ!彼らが国を滅ぼす」と主張し、分断をも持ち込み、大逆事件のように無実のものにレッテルを貼って死にいたらしめた歴史を思い返してください。「我々は素晴らしい日本人なんだ。欧米に支配されるな!」とか「老人至上主義政治を廃して、若者向けの政策を!」とか、その背景には一部納得できる真実を反映しているが、これが国民間の分断を招く原因になる恐れがあることには注意が必要だと思う。ぜひ明石市泉房穂市長の子供支援についての説明を聞いてみてください。決して、老人が豊かになる、市が豊かになることと子供支援をすることを対立させていません。結果もそうはなっていません。

そして、226事件を思い出してください。反乱を指揮した陸軍の将校は、当時娘を売りに出さねばならぬほど疲弊し貧困の状態にいた農村出身の兵隊に給与を分け与えたりしており、つまりそんな世にしたのは腐敗した政治家や政党であると、政府要人を殺害し「天皇中心の軍部による政治」を実現しようとしたわけですね。軍部とは国のために命を投げ打ち、そして尽くす集団の象徴だったのでしょう。これらの将校が決起の理由を演説した時、国民からも共感と激励を受けたというのも事実。腐敗した政治家に対し、無私で潔白な日本人=ナショナリズムを対峙させるわけです。そして、暗殺という手段を正当化し国家を変えようとしたわけですね。動機は純粋で将校達が立ち上がった理由に頷けても、取った手段は間違っていたわけです。

 

何か共通していませんか?参政党が226事件を起こすなどと言っているわけではないのです。頷けることもいっぱいありますが、結党の動悸があまりにも感情的で、ジャパンアズナンバーワンのような間違ったナショナリズムに導かれないかが心配なんです。そして、選挙に行かなかなった有権者が果たして、この参政党を通じて投票しようという気になるのでしょうか?注視したいと思います。しかも、どのような経済政策、エネルギー政策、少子化ジェンダー・教育・・・、を主張するのかみてみたいものです。

 

それと一言、消費税について自民党内部にも100人を超える議員が、消費税5%減税および0%減税を訴えています。なぜこの1点で消費税減税勢力が多数派になるような戦略が組めないんでしょうか?要するに最も最悪な悪党をいかに少数勢力にできるか、ということです。国民はしっかり税金とはどういう性格のもので、消費税がどのような機能を果たしており、減税すればどのようなメリット・デメリットがあるのかを勉強する必要がありますが。茹でガエルには無理だけど、茹でガエルになりそうだと気づいた人は勉強しましょうね。

 

でわでわ

 

 

風待ちロマンのおやじに!

最近になって、再びデザインの勉強を始めたんです。再びというのは、かつても何度かチャレンジしたことがあるってことです。iPad proとApple Pencilという最高のデザインツールが登場したことが、「再び」のきっかけでした。

 

AdobePhotoshopillustratorなどどという効果なソフトウェアがなくても、それらと同等のことができる安価なツール、Affinity Photoやprocreateなど、が使えるようになったことも背中を押すことになったと言えるでしょうね。

 

さて、そうなると意匠の過去のデザインや作品をたくさん観て、小さなアイデア袋の中にインスピレーションを溜め込むことにも時間を費やすことになります。小さい頃から絵画を見ることや絵や版画を創作することは好きでした。絵や版画が独立してイメージ化することはなく、音や音楽そして何が鹿の物語、といってもあくまでも自分よがりなものなんだけれども、が同時にアタッチされるんですね、わたしの場合。

 

わたしの好きなクリエイターの一人で、原研哉さんがいます。無印良品のアートディレクターですね。「豪華に引け目を感じることなく誇りをもって簡素であること。」これはわたしの好きな思想です。田中一光氏が提案した考え方ですね。この思想を継承されている原研哉さんが今年の4月に書かれた『低空飛行』(岩波書店)を手にする機会がありました。

         

        

明治維新以来、顧みてこなかったこの国の資源は、ユーラシアの端に列島をなす独創的な自然と、それを畏怖する感受性、そして千数百年一つの国であり続けたことによる圧倒的な文化の蓄積である」(本書の帯より)

 

covid-19、何のイデオロギーももたず、ただ感染した人に病をもたらすという、世界共通の敵と全世界が戦った数年でした。ウィルスのみならず気候変動とも世界が一丸となって戦わなければ、分断されて「俺は関係ないぞ!」とはいっていられない敵と戦っているわけです。その結果、否応無しにわたしたちは「働き方」「家族」「生きがい」「豊かさ」「人生」というものを再定義せざるを得なくなったのではないでしょうか?

 

わたしたちの人生を「ブルシット」なものにしている最たるものは、「ブルシットジョブ」「住宅ローン」コンビニに代表される「便利さ」ではないでしょうか?加えてわたしたちを閉じ込めているコンクリートのビルではないだろうか?それらが、わたしたちをコミュニティーと自然から分断していると言えないでしょうか?「ブルシットジョブ」に居場所や時間のほとんどが、制約を受けている。

 

「簡素であること」「空っぽ」「顧みてこなかったこの国の資源」、これらは人生を見つめ直すときに大事なキーワードだと思うのです。毎日報道されている「ウクライナへのロシアの侵攻」によって、「グローバル」と盛んに使われた言葉では実感し得なかった「世界が何でどのようにつ繋がっているのか」、まるで「因果は巡る糸車」であることを思い知ることになりました。世界と無関係に成立し得ないことも多くあるけれども、人新生を未来志向でリノベーションすることで、「不便」を「手足を動かすことの喜び」に変え、「豊かさ」をReinventしようとする20代、30代の若者が確実に増えています。コロナ禍で強制されたリモートワークや失業によって、そのような”メタバース”に放り込まれた訳です。わたしと同年齢、あるいはそれ以上の年配の方々は、20代30代に学ぶべきだと思います。

 

例えば里山を含む街のジオラマの前で、子供たちに「どこに再生エネルギー供給を設置しようか?」と聞くと「ここで必要だし、あそこにも必要だ」と、自分の損得勘定を抜きに真剣に考えて指摘しますよね。まさに、この感覚がとっても重要なんです。

 

『低空飛行』ー異次元観光へ。原研哉さんは、「低空飛行」というサイトで「21世紀の中葉に向かって、人の移動はどうなるのだろうか」と問いかけています。そして、「移動について言うなら、それが可能な状況になると、人々は徐々に動きを加速していくように思われる。なぜなら文明史的な観点で、世界は『遊動の時代』に入ったからである。」と述べられています。更に「定住が、通信技術と移動手段の共進化によって揺らぎ始めているのだ。リモートワークや遠隔コミュニケーションの成熟は、家にいながら仕事ができるというより、どこにいても仕事ができる・繋がる、という状況を生み出したと考えた方がいい」。ということで「低空飛行」とは、「地上の景色をつぶさに眺められる高度で、日本の深部あるいは細部をくまなく見てまわる旅をイメージした比喩的な名称」として、日本の魅力の核心に目を凝らそうというサイトになっています。

 

旅行に限らず、移住・ワーケーションとして考えても有益なポイントで、地方に移動することを検討している人には「BEYONDポイント」(BSテレ東の番組『都会を出て暮らそうよBEYOND TOKYO』 より)となる。実は、わたし自身この番組にハマっています。

                  

高度経済成長が終焉し、低成長時代に入った1983年に出版された石井慎二氏にが、著作『すばらしき田舎暮らし』(宝島社)を著し、1987年に雑誌『田舎暮らしの本』を創刊しすることで「田舎暮らし」大量生産・大量消費・合理主義などといった都市を表象する要素を排除したライフスタイルを提案しブームをつくった。

 

このブームは1990年台のバブルによって、余暇あるいはレジャーとしての「田舎暮らし」へと変化してしあった。つまり、富裕層に対する商品化に劣化してしまった。「2007 年問題」を覚えているでしょうか。団塊の世代が一斉に定年退職を迎える年、再び 「田舎暮らし」が注目されるようになり、2000年10月から西田敏行氏ナレーションの『人生の楽園』というテレビ番組が始まった。わたしは、この番組が今でも好きで毎週土曜日に観ているんです。

 

コロナ禍で、20代30代を中心に都会を離れ地方に移住する人が増えてきた。もちろん、週末だけを地方でキャンプをしたり、農場を借りて農業をしたり、都会と地方との行き来で家を借りたり買ったりしている人もいる。しかし、やりがいを見つけた人は、現在の都会での収入も「便利さ」をも捨てて、田舎暮らしを始める。

 

「自然の豊かなところで生活したい」、「子供や家族ともっと時間を共有したい」、それらに加えて「安全なところで過ごしたい」という理由が付け加わったのが、コロナ禍での地方への移住の特徴なのです。つまり、「密の少ない」ところということのようだ。

 

わたしも例に漏れずですが、『低空飛行』やテレビ番組の『人生の楽園』、『都会を出て暮らそうよBEYOND TOKYO』、そして『食彩の王国』の影響を受けて気に入った地方へ移住したいと夢見るようになったのです。そもそもわたしは「京都」出身なのですが、大原の古民家に住みハーブを含めたガーデニングを楽しまれている、元は英国のお姫様だった『ベニシア』さんの生活に憧れていたんです。

 

京都にはご存知のように京野菜というものがあり、周りを山で囲われたまだ自然豊かな神社仏閣がたくさんある土地で、多くの人が地方からやって来て古民家や京町屋に止まったりお店を構えたりする街でしょ。京にUターンするというのも良いかもしれません。

         

しかしわたしは料理が好きで食べることが大好き。京都は、若狭まで行けば別ですが、海が遠い。野菜、果物、魚、肉、それらの産地が近くにあり、山も海も近くにある場所に住みたいという、超贅沢な野望を持っているのです。しかも、「安全な」といった場合に地震や災害の少ない所を探してしまいます。

 

確かに京都は比較的地震が少ない。日本で一番地震の少ないのは富山県。関東近辺、特に北関東から東北太平洋側は本当には地震が多い。雪深いところも避けたい。となるとわたしの見立てでは、岡山県の瀬戸内沿いや三重県の伊勢湾沿いということになる。この歳になると、農業をしたりする自信はない。話すのは好きだし、勉強するのも大好き。

 

慣れない土地に行ったときに、気掛かりなのは人間関係ですよね。住むためには、最も大きな障害になりうる可能性があることは間違いない。分断された人間関係を取り戻すというのも重要な要素。だからコミュニティというのは本当にに大事だと思う。

 

『TURNS』、『ソトコト』といった雑誌もよく読むのですが、「ローカルデザイン」や「コミュニティデザイン」という言葉が目立ちます。つまり単にわたしが生きがいを求めて移住するということに留まらず、その地域で助け合いそして共生するためのコミュニティに参画することも目指したいと思うのです。「自分の利害を超えて友を助ける」こんなことがわたしの子供の頃(1960年代)にはまだ微かにありました。京都には室町時代法華経徒を起源とした町衆文化・精神というのがあって、自立した地域とコミュニティが微かに残っているんですね。祇園祭に代表される祭りはまさにそれです。

 

例えば、ソフトウェアのプログラマーとして生計を立てていた人が、都会から移住してきて農業をしたいとしても、その土地の行政や農家を営むご近所さんの支援なしに、自立するのは非常に困難であることは想像できますよね。電気もガスも水道もないところで自給自足することは困難だし、現金収入も入り用となります。農作物を作ることはできても、現金に変える手段が必要です。つまりサプライチェーンが必要になります。土地のものを調理したり、自分で作れないものを買ってきたり、最小限のコミュニティが必要にあります。ゴミも適正に処理しなければなりません。

 

ここで「豪華に引け目を感じることなく誇りをもって簡素であること」が生きてくるんです。そして「手足を動かすことが喜びに変わる」ためにも、助け合えるご近所さんも必要となります。そして「顧みてこなかったこの国の資源」を発掘し、創造することで地域の活性化に貢献できれば経済も回り出します。「面白い地域には、面白いデザイナーがいる」と言われます。まさにコミュニティーや地域を作るには、デザイナーが必要なのです。最新の工法でそして素材で作る家ではなく、古民家の太っといしっかりとした梁や柱を生かして最小限のリフォームをして住みやすくした家、これにはデザイナーが必要です。それを地域に広げて考えれば、やはりデザイナーは必要なのは納得できますよね。

 

で、わたしは地方に移住したとして何をしたいのか考えてみました。父親がそうであったように、カウンター越しから訪問者とおしゃべりができる空間を作りたい。はい、喫茶店ですね。カフェかな?そしてできる限り地のものを素材としたちょっとした軽食とコーヒーやお茶を出す店。そしてカウンターの後ろには、たくさんの本があり、ジャズ、チル、クラッシックなど雰囲気にあった音楽が流れている。わたしは、そこの「おやじ」として訪れた人とさまざまな話題に興じる。これが夢なんです。笑わないでくださいね。



できればですが、お店の周りでハーブなんかを育てて、食材飲材として使う。プチトマトくらいあっても良いかもです。わたしが大学を卒業したのが1985年だから20代30代の人にとって、わたしの青少年期に親しんだ音楽や文化は、全く新しいものであることがほとんどだろう。であれば、きっとわたしの好きな曲や話題にも興味をひいてくれるかもしれない。(笑)

 

暇な時には、お店の表の椅子にでも腰掛けて海を眺めてハッピーエンドの「風をあつめて」やユーミンの「優しさに包まれたなら」でも口遊むかな。

 

街のはずれの背のびした路地を

散歩してたら

汚点だらけの

靄ごしに起きぬけの路面電車

海を渡るのが見えたんです

それでぼくも

風をあつめて風をあつめて

風をあつめて

蒼空を翔けたいんです

 

小さい頃は神様がいて

不思議に夢をかなえてくれた

優しい気持ちで目覚めた朝は

大人になっても奇跡は起こるよ

カーテンを開いて静かな木漏れ日の

やさしさに包まれたならきっと

目に映る全てのことはメッセージ

 

わたしは宮崎アニメが好きで中でも『魔女の宅急便』が大好きなんです。主人公の「キキ」が魔女として他の街で知らなかった人たちと触れ合い、交わって、成長していきますよね。そこに自分の移住を重ねてしまうんです。しかも魔女であることを生かして「宅急便」でパン屋の女将さんの「おそのさん」たちに貢献しそして生計を立てます。あんな街で生活してみたいなあって思うんです。

 

とにかく「ブルシットジョブ」は、AIやロボットに任せて「心豊かな」生活を助け合うコミュニティの中で過ごしましょうよ。日本人は、鉄腕アトムドラえもんのように人を支援する夢あるロボットを生み出して来たわけです。決してターミネータなんかは発想しないんです。いいですか、AIやロボットは人間のように「手足を動かすことの喜び」を味わいながら全く異なったことにへのアイデアを生み出したりすることなどできないんですから。これが「ピュシスへの回帰」です。



でわでわ

井の中の蛙大海へ飛び込め!

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東北や北海道、そして日本海側では記録的な大雪となっています。わたしが住む地域でも。2020年から住んでいますが先日初の積雪を見ました。妻は、フィリピン出身で雪を見ることは当然んなく、雪が降ると車の運転を怖がります。ニュースで雪の中で起こる自動車事故を見れば、自分は正しく運転できていてもいつ何時他の車がスリップでもして追突してくるかわかりませんものね。

 

さて、そんな中、我が家ではちょっとした問題が起こっています。まあ、困った問題では無いのですが、頭を悩ませていることは間違いありません。

 

2020年の8月に家族で日本へ移住してきたのですが、当然連れてきた妻と娘にとっては初めての日本生活です。何かと苦労をしています。最たるものは日本語です。フィリピンだと英語がわかればフィリピン語を知らなくともなんとかやっていけますが、日本は日本語がわからないと全く生活できないところです。

 

わたしには二人の娘がおりまして、上は今フィリピンで医学を学んでいます。連れてきたのは、下の娘で2020年は中学3年生として市域の公立中学で学びました。そして2021年高校に進学するわけですが、この地域(群馬県伊勢崎市)は車のスバルをはじめ多くの工場が存在します。そのためか、ブラジル、ペルー、フィリピン、などからきた多くの外国人が住んでいます。

 

当然ながら、不十分な日本語力で学ばなければならない子たちも多くおり、一般の高校へ進学するのが難しいわけです。幸いにも、今は、わたしが高校生だった頃にはなかった単位制の高校があるんですね。そこは、数学や英語などの成績だけでなく、入学したい動機やプレゼンテーション/コミュニケーション能力を重視しています。その結果、外国人の子弟や中学である意味で落ちこぼれた日本人の子弟が入学してきます。そして、自分で計画をたて3年で卒業しても良いし4年で卒業しても良いという柔軟なシステムになっています。

 

家族で相談をして、娘はその高校へチャレンジすることになり、幸いにも入学を果たす事ができました。わたしの娘は二人とも、フィリピンのモンテソーリ(「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」ことをモットーにしている学校)という私立の進学校で勉強しました。日本に連れてきた下の娘は、成績が良く1年飛び級していましたので、学力には問題ありません。

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日本語も日本語検定4級に先日合格しましたが、社会科や理科などなどの問題を読み解くにはまだ難しい状況です。しかし、数学や英語そしてスペイン語(ブラジルやペルーの子供たちもいるからこの授業があるようです)は、最高クラスの成績を取得しています。本人にとっては、大学を考えた時にやはり不安なようで海外の大学に行きたいようです。

 

わたしは、娘には「学校は行きたく無いなら行かなくていいんだよ」といつも言ってきました。特に日本の学校なら行かなくても良いと思っています。専門に勉強したい事があるなら、あえて保健や古文なんかに時間を費やす必要は決して無いと思っています。わたしは、自分の経験として本気でそう思ってきました。今ならインターネットでさまざまな知識は瞬時に手に入れる事ができますからね。世界を見渡せば、台湾のデジタル大臣のオードリー・タン氏のように学校をドロップアウトしても、立派な仕事ができ企業にも認められる人もいます。学校をドロップアウトした秀才は決して稀では無いわけです。

ただし、多様な個性や能力を持つ人々の中で、共に助け合い活動する知恵を学ぶには学校という場は欠かせないとは思います。しかし、こと高度な専門能力を鍛錬するには、今の日本の学校では難しいと思うのです。

 

先日ノーベル物理学賞を受賞された米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎氏の会見で「日本からアメリカに国籍を変えた主な理由は?」との記者の質問に対する回答で、「彼ら(日本人)はとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「はい」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味しません。「いいえ」の可能性もあります。なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです。」と同調圧力のことを述べられ、それが嫌で国籍を変えたというようなことをおっしゃっていました。

 

わたしも同感です。日本では、「変わり者」でいること、「とんがって」いること、などをよしとしない。大人しく「上」のいうことに従い、隣と同様なことをして輪を乱さない、そんなことが学校でも会社でも社会でも求められます。Apple社が1984年にIBMの独占を警告する有名なテレビコマーシャルを作りましたね。まさに、同じ服を着て、同じような髪型で、全く生気のない人間が隊列を組んで行進をしていた、あのシーンを想起させます。ですから、指導者と生徒が議論することもない、仲間の間でディベートをすることもない。板書された事項をひたすら暗記する、そんな教育が行われています。

 

平成14年から実施された「学習指導要領」を見てください。「ゆとり」「総合教育」など耳障りの良い言葉は並んでいますが、教科は増えているのに1週間でこなす単位数は減っています。てんこ盛りの薄っぺらな内容の授業しかできない。そして教師には、これまたてんこ盛りの仕事が求められます。「体罰の禁止」や「パワハラ」に細心の気を遣いながらの生徒指導や事務処理、これでは教師も身が持たずストレスフルな毎日を送らねばなりません。そうなると、生徒も教師も劣化する一方。

 

娘に、「フィリピンではどうだった?」と訊いてみた。開口一番「日本の学校はあれはダメこれはダメと規則ばかり多くて、こと学習に関してはゆるゆるだ」との返答。フィリピンではまず若年層の数が日本と比べてとんでもなく多い。学費の安い公立の学校にはものすごい数の生徒がいます。進学を考えている比較的裕福な家庭の子供は、娘の通っていたモンテソーリ校やラッサール校などの私立に行きます。日本のように科目は多くありません。しかし、ものすごい量の課題(宿題)が出され、またプロジェクトと呼んでいる個人又はグループでの発表が頻繁にあって、中学の時も夜遅くまで取り組んでいたのを覚えています。

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わたしが数学の教科書を見た時、「わたしが中学の時、こんな難しい数学を学んでたっけ?」と驚きました。わたしは数学が大得意だったので、鮮明に覚えています。もちろん公立の学校のように1クラスの人数も多くなく、1クラスが30人ほどで教師の目も届きやすい。能力別クラス、と言っても1学年で高低2クラスくらいですが分かれている科目もありました。日本とはずいぶん違っており、娘が指摘するように、日本の学校の従業は「ゆるゆる」だというのがよくわかります。すでに中学校時代からまるで先進諸外国の大学で学んでいるようなものですね。

 

娘は、ソフトウェア開発と音楽に特に興味を持っており、学校が「ゆるゆる」なぶん、独自にギターやキーボードなどを練習したり、プログラマーの集団である「ハッカソンHackathon)」などのグループに参加しています。国際的なプログラマーの集団はいくつもありますが、そこに参加するには、英語が必須です。フィリピン人は世界でも高い英語力があり、アジアではシンガポールに次いで2位とされています。娘がなんなく「ハッカソンHackathon)」などの国際的なグループに参加できるのは、フィリピンで英語教育を受けてきたからです。

 

わたしは、フィリピンにいたときは娘になるべくフィリピン語のテレビ番組を避けて、英語の番組を見るように誘導してきました。その結果、フィリピン語の成績は英語に比べて少し悪かったですねえ(笑)。わたしは、決して勉強を押し付けたり、学校へ行くように強制することはしませんでした。娘は、友達と交流(良い友達を選ぶのに長けていた)したり、学校へ行くのはとても楽しんでいるようでした。

 

高校2年生になり、大学進学を考えるようなったのですが、アメリカのオレゴンに住む妻のおばさんから、アメリカの学校へ進学したらどうかというアドバイスがありました。イギリスやオーストラリアに住む親戚からも「こちらの大学へ進学してはどうか」と色々アドバイスをもらい、娘もその気になったようです。それで、ならば進学に必要な準備が日本の大学進学とは全く違うので、アメリカの高校へ早期に転学したいと相談にきました。

 

最初聞いたときは、「アメリカへ行くということ?」と思ったのですが、話してみるとオンライだけの授業を提供する学校があり、それに入学したいということでした。おばさんのアドバイスでもアメリカの大学へ進学するなら、非常に優位だということなので了承しました。

 

昨年、茨城県の公立高校から18歳の松野知紀さんが、ハーバード大学へ入学するという記事が出ていました。ここ数年、日本の公立高校からアメリカのトップレベルの大学に合格されたニュースを目にするようになりましたね。いずれも、積極的にリサーチし、社会活動にも盛んに参加する、自分で道を切り開いていく方がであることが共通点です。AERA誌の報道によると、「TOEFLアメリカの共通テスト・SATのスコア。それに、高校の成績書と教員の推薦文、課外活動の記録、エッセー、面接なども課される。学力はもちろん、人柄や高校3年間での努力も重視されるのだ。そこで松野さんは東京マラソンの英語通訳、ディベート大会の審査員などの募集をネットで見つけ、積極的に応募した。茨城にいて、待っているだけで情報が来る環境ではなかった」ということです。

 

最近、YouTubeやメディアに登場するようになった、イェール大学教員の成田悠輔さん(なりたゆうすけ:東京大学大学院経済学研究科修士課程修了、マサチューセッツ工科大学よりPh.D.取得:データで教育の効果などを測定し分析)と乙武洋匡さん(『五体不満足』の著者)が教育についての対談をしていました(乙武洋匡の情熱教室「成田さん学校って必要ですか?」)。その中で、学校教育は多様な生徒や教師が共に活動し生活を学ぶ場としては必要だが、そこから離脱する自由を許容すべきで、こと特別なスキルや知識(数学、音楽、語学etc.)を手に入れる場は別途区別すべきではないかと述べていました。

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全く賛成です。しかも、有名校へ進学したからといって優秀になったという結果を示すデータはなく、優秀な人間が優秀になっているだけ。ただ、教師がそのの質や学力を伸ばすのが上手かどうかは、結構結果に影響するというデータはたくさんあるという。教師を選ぶというのはとても大事で、例えば故小室直樹先生のようにフルブライト留学生として経済学の本場アメリミシガン大学大学院に留学。ダニエル・スーツから計量経済学を学び、さらに奨学金を得て研究を続けた。1960年マサチューセッツ工科大学大学院で、ポール・サミュエルソンロバート・ソローハーバード大学大学院ではケネス・アローチャリング・クープマンスらから経済学を学び、翌1961年、再びハーバード大バラス・スキナー博士から心理学(行動主義心理学)、タルコット・パーソンズ博士から社会学ジョージ・ホーマンズ教授から社会心理学など学問の分野を超えて社会科学を学んだとある(Wikipediaより)。

 

さらに1963年東京大学大学院法学政治学研究科に進学。丸山眞男が指導教官となり政治学を学ぶが、小室氏が心理学ばかり勉強しているので、丸山の弟子の京極純一に預けられた。その他にも、東大のゼミナールを渡り歩き、中根千枝から社会人類学を、篠原一から計量政治学を、川島武宜から法社会学をそれぞれ学ぶ。つまり、超一流と目される教官を選んで師事されたわけですね。

 

“天才とは努力する凡才のことである”とは、アインシュタインの言葉ですが、まさに故小室直樹先生のような人を言うのでしょう。娘には、まさにそのような生き方を推奨しています。そして、それが貫き通せるのはまだ幸せな状況にいることを自覚してほしい。日本では、今や、世界に通用する論文を書ける研究をしている大学もほとんど無いのが現状で学生もいわばモラトリアムを過ごすばかりのようになってしまっています。成田氏によるとアメリカのイェール大学では、膨大な宿題が出て膨大な文献を読む事が求められ、休みの時は有力企業でインターンをしなければならない。教育投資を回収するために、忙しくするサラリーマン以上に忙しいのが現実だという。

 

昨年の10月21日第18回ショパン国際ピアノコンクールで、51年ぶり内田光子さん以来の2位入賞を成し遂げた反田恭平(そりたきょうへい)さんをご存知だろうか?彼は、『日本は好きだけど、好きじゃない。「馴れ」を断ち切って世界へ出よう』と文藝春秋の2022年3月号でおっしゃていました。音楽教育の内容や生徒たちの音楽教育やプロへ向かう姿勢に、彼は危機感を持っている。反田さんは言う、「現実、一万人規模の音大卒業生が誕生するが、そのなかで、音楽で食べていけるプロになれるのはほんのわずか。ゼロパーセントに近い」と。

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音楽大学芸術大学へ行っても、「プロになるための努力をしていない」「いまの大学では技術は教えられても、演奏家を一人で食べていけるよう育てる授業はほとんどないのが現状」。そして、先生と生徒は議論をすることもなく、先生が、「ここはこう表現するんだ」と言えば生徒は無条件にそれに従う」。諸外国とは全く違う。先生と生徒が、さまざまな議論をして生徒は最終的に自分の表現を確定していくのが本当で、反田さんは、先生の解釈が理解できないときは「先生は作曲家と会ったことがあるんですか?」と平気で言っていたそうだ。

 

韓国、中国、ベトナムからショパンコンクールの一位が出ているのに、日本からはまだ出ていない、と日本の音楽教育の現状を嘆いておられます。つまり、日本の教育は、コピーを量産しているに過ぎないと言うことですね。日本は、非常に整った設備の中で音楽教育を受ける。しかし、鍵盤が打鍵しても下がらなくても、音が出たものとイメージして練習する、これがロシアやポーランドなど諸外国では普通のこと。ピアノを使わずに譜読みをする術や、頭の中で音を鳴らす技を身につけるように鍛錬をするそうです。

 

さらに「作曲家自身がいろいろな苦労をし、さまざまな想いを抱えて生きてきたから。幸せなだけの人生の中で音楽を作って来た人はきっといないでしょう。だからこそ演奏家は、それに匹敵するくらいの人生を送らなければ、曲に込められた感情を表現し、自分なりの音をつくることはできないと思います」と一度は世界に出て鍛錬を積むことを推奨されているのです。

 

娘を通して、自分が抱いていた日本の教育への違和感を熟考することができました。いかがでしょうか?

 

でわでわ

『人民を忘れたカナリヤたち』

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再び新型コロナの陽性患者が急速に増加しています。オミクロン株恐るべし。でも、以前とは異なり重症化率が低いこともあり、またイギリスやフランスなどではピークを過ぎたとこともあって、日本政府のまん延防止などの対応策に疑問を投げかける声も多くあがっています。

 

さて、大学入学共通テストが始まった15日、東京都文京区の東京大学周辺で受験生らが襲われる事件が起きました。昨年から小田急線や京王線の刺傷事件、そして大阪・北新地のビル放火殺人事件など、無差別に人々に危害を加え、自らも死を望むような事件が相次いでいます。

 

思い返せば、2008年6月8日に東京都千代田区外神田で発生した通り魔殺傷事件では、7人が死亡、10人が重軽傷を負っている。これは秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれています。さらには、2018年に東海道新幹線車内の殺傷事件、19年には京都アニメーション放火殺人事件が起きました。

 

「他人を巻き込んだ間接的な自殺」にみえる事件が目立ち始めています。はて、これらは私たちが理解できない特別な人が起こした事件なのでしょうか。

 

前途を悲観したり、人間関係に絶望して自殺するというのは、日本では昔からありましたが、この手の事件は、1968年10月11日に発生した「永山則夫(当時19歳)連続射殺事件」(在日アメリカ海軍横須賀海軍施設から盗んだ拳銃を使い、男性4人:警備員2人・タクシー運転手2人を相次いで射殺した事件)を思い起こさせます。

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永山則夫

永山則夫事件」には、無視された『封印された精神鑑定』(ETV特集 永山則夫 100時間の告白 ~封印された精神鑑定の真実~)があります。鑑定をしたのは石川医師でした。石川医師は、詳細に永山則夫とのやりとりから犯罪に至る経緯を分析している。少年が凶悪犯罪に至るというのはヨクヨクの事があるから、しっかり調べてやらないといけないが、司法にはそういった意思がなく無視をしている」と指摘しています。

 

永山は獄中で心理的に回復を遂げ、ベストセラーとなる『無知の涙』の執筆や被害者家族への印税の送金、同様な幼少期体験をもつ一般人女性ミミとの獄中結婚、彼女と二人三脚で自身のつらい少年期を見つめ直し『木橋』などの小説として発表するなどしました。そして1997年8月1日に東京拘置所で死刑が執行されました。

 

永山は自らの小説の印税を被害者遺族に送るだけではなく、社会の最下層で教育を受けずに労働を余儀なくされているペルーの子どもたちのための基金に使っていました。貧困に置かれ、無知の涙を流した自分のような者を二度と生まないために、教育による解放を願ってのものであったようです。執筆はひたすら贖いのために続けていたのです。

 

この事件は、その生い立ちや独房に入ってからの償いの姿勢や失った学びを取り戻そうとする努力などを見て、刑務官たちを含め多くの人が死刑を執行すべきではないと思っていました。ところが、その死刑執行の現実を知って、国家権力への憤りと刑務官であることのやるせない罪意識まで醸成しているのです。

 

文春オンラインから引用します。

 

 永山は死刑場に連行されたときは既に意識を失っていたのではないか、連行時に暴れた永山は制圧という名の暴行によって死刑執行後の遺体を見せられないほど傷つけられ、クロロホルムといった麻酔薬を使用されたのではないかと私は想像しました。永山は独居舎房を出た渡り廊下から職員に担がれて死刑場に運ばれたのです。そして意識のない永山に、処遇部長は形だけ死刑執行を告げる言い渡しをし、そのまま刑壇に上げて首にロープをかけ、床を落とした。おそらく本人は自分が死刑執行されたことも分からないままに絶命したのだと思いました。その想像はほぼ当たっていました。

 私がこれらの永山の最後を知ることができたのは、後日8人の刑務官から送られてきた匿名の手紙によってです。そこには、死刑執行の様子だけでなく、死刑に対する率直な思い、例えば、更生させた人間を殺さなければならない矯正職員である刑務官の自己矛盾といったことも書かれていました。また、出世に汲々としている幹部を許せないという思いなども綴られていました。永山の処刑には多くの刑務官たちが心を痛めたのです。

 死刑執行当日、朝食後執筆をはじめた永山は突然、独房から引き出されました。机上には書きかけの原稿があり、脇には未完成原稿と多数のノートもあった。それらすべての遺留品が遺骨とともに引受人に渡されたかは不明です。私はかつて刑務官という国家権力を背景にして仕事をした一人として、また議院内閣における法務大臣を間接的に選んでいる日本国民のひとりとして彼に心から謝罪したいのです。」

 

 

永山則夫事件は、このような問題を世の中に投げかけたのですが、どうしてこのような凶悪犯罪を犯すに至ったのか、家族・地域・社会がどのように関わってきたのか、ということを真剣に考えなければらないないと思うのです。言い換えれば、『封印された精神鑑定』から社会を浮き彫りにし、私たちが心に留めなければならないことが何なのかを考えたいのです。処刑したからといって、犯罪は無くならないのです。

 

社会学者の宮台真司氏は、「人を殺せないのは、殺してはいけない理由があるからではない。殺せないように育つからだ。そうした感情面の発達は、どんな人間関係の中で育ったかで決まる。」とおっしゃっています。「愛」に代表されるように「人と人との距離や関係性」を考えてみてほしい。

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宮台真司

わたしは、1960年生まれです。所得倍増をスローガンとした池田内閣の時代です。まさに「Always 三丁目の夕日」から数年後、東京タワー完成から東京オリンピックの間。高度成長期真っ只中でした。この頃の地域には、地蔵盆があったり町内会がさまざまな催しをしていました。悪さをしている子供を見つければ、自分の子ではなくとも近所のおっちゃんやおばっちゃんが「こらこらそんなことをするんじゃないよ」と戒めてくれた。多彩な年齢層の大衆が、ごっちゃに関わって生活しているコミュニティが機能していた時代です。

 

わたしの年代は、高度成長、安保闘争、低成長、バブルなどを経験した世代ですね。良い仕事について頑張れば豊かに生活ができるという実感があった世代です(しかし、永山則夫が育った漁村・農村は違ったでしょうね。貧しく生活も厳しい閉塞的な地域でしたでしょうね)。ですから、異なった年齢層のごちゃっとしたコミュニティで、いろんな人生が学べたのです。

 

ところが、徐々にですが、ごちゃっとしたコミュニティが次第になくなっていきます。1960年代後半頃から各地でスーパーマーケットを初めとした大型商業店舗の出店が急増し、それに対抗して地元商店街による大型商業施設の進出反対運動も激しさを増すようになり、わたしの父も地域の八百屋・肉屋・菓子屋・玩具屋・帽子屋などを守るために、大手スーパーマーケットやデパートの建設計画があると地域で闘っていたのを覚えています。この頃から、個人商店が衰退し、習字やそろばん教室の順番を待つのに近所の天ぷら屋でコロッケ買って友達と食べながらおしゃべりしながら待つなんて光景も無くなってきました。

 

地域には差別もあったし、いじめもありました、けど、みんな「ごちゃっと絡み合いながら」生活をしてきたと思います。誰かが成功したら多くの人から「よかったなあ」「頑張ったなあ」と喜んでもらい、うまくいかなったら「頑張りやー」「大丈夫やって」って励ましてもらえる。そんな家族を超えた地域としてのつながりがありました。

 

宮台真司氏は、「60年代の団地化で地域が、80年代のコンビニ化で家族が、90年代のケータイ化で関係全般が、空洞化した」とおっしゃっています。

 

確かに、わたしが小学生の時代、1960年代はわたしの住む地域(京都市右京区)にはまだ古い1軒屋がほとんどでまだ舗装されていない道もあって、徐々に集合住宅や市営住宅などが建ち始めた頃でしょうか。しかし、大阪や東京では、人口が巨大化し地域外から職を求めて流れ込んでくる人も多くなり団地化が進んでいたのでしょう。

 

まだ、家族経営の八百屋や肉屋、洋服店惣菜屋がたくさんあって、買い物中にあった近所の人たちが井戸端会議をしたりといった光景が普段に見られたし、神社でのお祭りでさまざまな年齢の集団が思い思いの集まりを楽しんでいたのを思い出します。子供同士の喧嘩なんて普通のこと。まあ、教育熱は非常に高かったとは思います。塾へ通う子供も増えてきました。

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昭和の八百屋

大学を卒業して入った会社で東京に転勤になりましたが、東京ではマンション暮らしになり、食事もコンビニで買って食べる事が多くなりました。街のあちこちにコンビニとファストフード店舗ができ始めました。

 

1992年頃からフィリピンに遊びに行くようになったのですが、当時の恋人の実家は、トンド地区という真田裕之が主演し大森一樹監督が映画化した『エマージェンシーコール』の舞台になったスモーキーマウンテンのあった地区、にありました。犯罪者も住んでいると言われるフィリピンでも最貧困地域で巨大なインターナショナルポートのある側の地域でした。

 

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「外国人がよくそんなところに行きますねえ」「危ないよ、ジープに乗っていると腕落とされるよ」なんていろんな人から言われたものです(笑)。まあ、お母さんが教会で炊き出しなんかを手伝って地域でも有名人だったせいか、近所の人は優しくしてくれました。仕事のない男たちは、集まると度数の強いレッドホースというビールや超安いジンを焼き鳥をつまみに道端で飲むのが常の風景で、わたしが近くを歩いていると、あちこちのグループが「日本人かあ?まあ飲んでいけよ!」と呼び止めてくれるんです。

 

家の修理は手伝ってくれるし、調味料がなければ近所で分けてくれるし、とにかく集まるとおしゃべり。非常に心地の良いコミュニティでした。ご存知のようにフィリピンは平均年齢が24歳位でとにかく子供が多い。「貧乏なのにそんな子供作って学校どうするの?」って言いたくなりますよね。平気なんです、子供は宝です。障害を持っていても大切にされます。努力をして這い上がる子供もいます。トンドから這い上がった人、市長になった人、上院議員になった人、必ず地域に尽くします。そこには、いろんな人生があります。

 

フィリピンから帰国して、新橋あたりを歩いていると、ゾンビが歩いているようで何か生気のない人がたくさん歩いているなあ、と感じることが増えました。2007年からフィリピンに定住したのですが、年に1回帰国してゾンビの街にいるように感じ、日本に帰ってくるのに抵抗を感じるようになりました。

 

フィリピンは、貧乏でも明るくなんとかなるさと暗くならずに生活しています。酷い搾取をされていると思うし、貧富の格差もすごいものがあります。でも、ともかく明るい。窮地に落ちた困窮邦人(日本人)を助けているのも彼らです。どんなに貧困でも分かち合うんですねえ。これは全く日本にはないところです。「自己責任」とか「自助」なんてことを言って、知らんふりするのが日本社会。フィリピンのような慈愛と相互扶助の精神が、日本では完全に欠落していると感じるようになりました。だから困窮してもフィリピンが心地よいと思うのでしょうね。

 

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そして、フィリピンでは、麻薬、ひったくり、スリ、泥棒は多いけれど、日本のように人間関係のない人を無差別殺人するなんて事件は全くありません。殺人事件でもほとんど簡単に理由がわかる事件ばかり。

 

なぜなんだろう?きっと京都の子供の頃にはまだあった「ごっちゃに生きる」コミュニティが、なくなったからじゃあないだろうか。そして、日本では街ゆく人は、携帯電話を覗き込むばかり、そしてSNSというバーチャルで気の合う者だけのコミュニティで生きている。そこには「ごちゃっとした」コミュニティはありません。SNSの外部はというと、お決まりの価値観を押し付ける環境、「良い学校に行って良い会社に入って…」「…になって家業を継いでくれ」、に取り巻かれて育つ。その一線を外すと奈落の底・絶望に陥ったかのようになってしまう。悩みを打ち明けたり、助けてくれと縋れるコミュニティは、家庭ですら無くなっている。

 

宮台氏によると「子は、親の自己実現のダシにされ、進学校に入れと尻を叩かれるが、かつてと違ってその価値観の外が分からない」「地元の公立で優等生だった子も進学校に入れば、多くは教室で「ただの人」。自分を価値のない存在だと感じる。それで終わりではない。疑似共同体であるのをやめた会社でも、希薄な関係の中で置き換え可能な存在で、競争に負ければ「ただの人」。

 

回転寿司屋や多くのレストランチェーンの仕事もまさにそうだ。機械でこさえたシャリにカットされたネタを載せるだけ、冷凍されたネタをオーブンやレンジでチンするだけ、まさにいつでも誰にでもとって替われる仕事ばかり。コンビニやそのようなレストランで出来合いのものを買って帰れば、家族との共同作業でワイワイ食事することもない。

 

宮台氏、「だが、人の感情はこうした過剰流動性に耐えられない。「死刑になりたい」「誰でもよかった」と本人が語る無差別な加害行為の背後に、加害者自身が置き換え可能な「誰でもいい」存在として扱われてきたことによる怨念がある」。

 

かつてカルト宗教や新興宗教に入信する若者が増加した時がありました。オウム真理教がその代表だけれども、教団幹部は爆弾を製造できる高学歴者が多くいましたね。そういった敷かれた線を歩かされて矛盾を感じ、遂に社会への「怨念」を持って生きるという人は、ずうっといたわけです。現実の社会から逃避して、「あったかい懐」に縋ろうとしたわけです。その末が、大量殺人=社会の破壊だったのです。

 

宮台氏、「背景には、30年間続いてきた絶えずクビに脅(おび)える非正規雇用化や、絶えずハブられること(仲間外し)に脅えるSNS化もある。それをもたらしたグローバル競争とテクノロジー化は今後も確実に進み、「誰でもいい人」が量産される」。「また、日本に限らず、貧富の差があっても同じカフェで同じ服装で同じようにケータイをいじれるという「過剰包摂」が進み、弱者が連帯しにくくなった。それだけでなく、互いに弱者だと見られたくないというマウンティングのつばぜり合いさえ生じている」。

 

わたしにはフィリピンにあったコミュニティが懐かしい、60年代に過ごしたコミュティが懐かしい。「勉強して良い学校に行き、国家公務員、弁護士、医者になって豊かな生活を手に入れるんだ」「漫画読んだりゲームばかりしてるんじゃないぞ、バカになる」と親にプレッシャーをかけれれても、近所のおじさんが「俺は中卒で大工になったが、楽しいぞ。これは俺が立てた家なんだって自慢できるしなあ」なって違った生き方があって、そこにも豊かな人生があることを教わった。

 

「たとえ親の経験値が低くても、多様な大人に接する機会を増やし、様々な映画や音楽に接する場を与え、自分の日常とは違う世界があるという想像力を培う」事がとても大事だし、異なったコミュニティに身を置き、利害を超えた付き合いのできる人たちと接することがとても大事だと思う。生き方・豊かさ・楽しさは、多様で一つではない。失敗しても、オルターナティブな道がある。子供たちをそんな環境に置いてやる必要があるのではないでしょうか?

 

わたしは、親の「弁護士になれ」という期待に背いて、学者になりたいと思っていた。学者?とどのつまり何をしたいの?そう自分が決めたテーマで、研究したこと、調べたことを文字で世の中に知らせたい、ということだった。でも学者にならなくともそれはできる道を見つけました。大学院の試験に受からずに悩んだけれども、ああ別のやり方で同じことできるじゃないかと気づいて、なやんだことがバカらしく思えた事がありました。

 

悩みを利害を超えて考えてくれる、相談に乗ってくれる、助け合えるコミュニティさえあれば社会を恨んで無差別殺人や自殺をしなくて済むのではないだろうか。

 

でわでわ

財政政策「仁義なき戦い」に物申す!

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自民党内部で面白い現象が起きている。それは、積極財政派と緊縮財政派の論争です。まるで、自民党内で2大政党政治が実現しているかのような錯覚すら覚える。MMT貨幣論を支持し積極財政を推進する西田昌司参議院議委員を本部長とする『財政政策検討本部』、方や、岸田文雄首相(同党総裁)直轄の『財政健全化推進本部』でです。

 

面白いことに、『財政政策検討本部』の最高顧問が安倍前総理、顧問が高市早苗自民党政調会長であり、『財政健全化推進本部』には麻生副総理が最高顧問ついているということです。本来与野党の最大の争点だと思われたものが、自民党によって吸い取られ、マスコミによって大々的に報道されると言うことになるのでしょうね。下手をすると、野党は完全に陰に隠れてしまうことになるかもしれませんね。

 

岸田総理は、「コロナ対策と中長期的な財政健全化は決して矛盾はしない」と強調し、年明けにも基礎的財政収支プライマリーバランス、PB)黒字化を目指す財政健全化目標年度の検証議論を行うと述べました。おそらく、黒字化年度を数年先に伸ばして、国債を発行することで若干の積極財政的ポーズを取るのではないかと思われます。

 

過去を振り返ってください。1970年代つまり高度経済成長終焉あたりから国債問題はクローズアップされてきました。三木内閣のオイルショックによる景気悪化がきっかけですね。日本だけではなく国際的にも同様の状況で国債発行が進みました。その後、財政再建に各国が取り組みます。日本においても然りで、鈴木善幸元首相が『増税なき財政再建』を掲げて行財政改革に着手しましたが、鈴木元首相が掲げた財政再建目標(50年代に特例債依存体質から脱却)の達成が不可能であることが明らかになり、財政健全化目標を先送りにしました。

 

小泉元首相時代には、『聖域なき歳出削減』として中期的なプライマリーバランスの黒字化や一般会計の新規発行国債を30兆円以下にするという目標 を立てたのですが、若干財政が健全化したように見えたはしましたが結局挫折することになりました。その後も次々と財政健全化目標を立てますが、次々に先送りにしてきたのです。

 

岸田総理はどうだろうか?最初は、プライマリーバランス黒字化は場合によっては先送りをする必要もあるといいながら、2025年プライマリーバランス黒字化を目指す方向に変貌しているのです。

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財政健全化は、アメリカをはじめ先進国で実施してきているのですが、日本だけが長きにわたってどうも成功していないようです。その理由には様々な分析があるのですが、財政再建には財政規律の設定や財政ルールの堅持が重要とされ、日本は財政再建に失敗したのはそうした財政規律の欠如にあったと結論づけるものがあります。予算編成上の財政規律ルールが重要な役割を果たしているが、財政規律ルールあるいは財政健全化の目標を実現するためには、有効な歳出削減と歳入強化の具体策によって左右されるとされます。

 

良い例としては、1981年に成立したレーガン政権の新自由主義による財政再建の失敗と、1993 年、12年ぶりの民主党出身のクリントン政権の時代の財政健全化を比較してみるのも良いかのしれません。

 

ともあれ今重要なことは、財務省やマスコミが流布している「特例国債=借金」と言う考え方が誤りであるという認識を持つことです。国債というものの仕組みを知れば明らかなのですが、多くの国民は、その知識を持つ努力ができないでいるという現状もあります。その「無知」に漬け込んで矢野財務次官が「財政破綻に近づいていく」という立場もわきまえぬ無責任な論文を発表し、国民の動揺を掻き立てる輩も出てくるのです。財務省はホームページ上に「デフォルト(破綻)しない」とすでに明言していることに留意されたい。この点の理解は多くの識者が語っておられるので参考にしていただきたい。

 

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では、積極財政か緊縮財政かを考える際にまず重要なことは、第1に経済状況の現局面の認識です。そのためには、さまざまなデータから詳細な分析が必要になります。景気状況だけでなく、生産、投資、金利、物価、為替、貿易、株式市況、雇用、食料、賃金、社会保障、公共料金、税制、国家財政と地方自治体の行財政問題などなど、多方面にわたっての分析と経済・景気の局面判断が必要です。単にインフレかデフレかという大雑把な認識では不十分ですね。

 

そして、歴史的段階つまり法律と同じで過去のある特定の状況下で必要だったルールが現在も適用されていて、それが陳腐化していないかどうかという判断も重要です。陳腐化しており現行に合わないものは積極的にアップデートする必要があります。例えば、各種の特別措置や優遇税制を全面的に見直し整理した場合、新たに追加される税収規模は想像以上に大きなものです。従来この重要な問題にかんする具体的研究はほとんど公表されたものはないのが現状です。

 

次に、これが最も重要なのですが、何をどのような時間軸でどうしたいのかという政策目標が定めなければなりません。財政・予算政策というのは、政府の政治政策のまさに鏡です。予算規模と分配項目が決められねばなりません。もちろんここには政治的思惑や力関係がモロに出てきますからしっかり監視すべきです。そして次に財源の話になるでしょう。赤字国債の発行が、その補填する歳出の規模と内容の点からみて、国民経済の早期回復をもたらす効果が期待できるのかどうかの説明は必須ですね。予算の景気への影響を考えるにはその規模や伸び率だけでなく、より重要なその使途・内容を具体的に検討してみなければなりません。

 

いうまでもなく財政の根本問題は、資源と所得の再分配にあります。国家はそれを資本主義経済のなりゆきにまかせるのではなく、その時々の政策目的に応じて積極的調整を行う責任を負っているはずです。

 

過去の政府予算案にたいする一般の反応をみると、そこには二つの全く異なる立場からの批判が提出されていることに気づきます。一つは、この予算が、高い国債依存率になっている割には規模と伸び率が意外に抑制的であり、この程度の財政ではとうてい現在の深刻な不景気を浮揚させる効果は期待できないとする批判であり、主としてジャーナリズムや産業界に多い批判です(A論とする)。もう一つは、革新系の理論家や政治家たちにかなり共通してみられた批判で、巨額の赤字国債にたよる財政は当然インフレの再燃につながるから反対だと主張する議論です(B論とする)A論は、不況克服のためにはもっと積極的な赤宇予算を組めといい、B論はインフレにつながる赤字予算には絶対反対だという。この二つの議論がかみ合わず、互いに機械的に対立していることがありました

 

この問題の解決には、不況時における赤宇予算の問題、それとインフレとの関係についての理論的な整理が不可欠ですが、まずもってこの二つの議論は、ともに真実の一面を反映しており、必ずしも機械的対立に走る根拠のないものだということを指摘しておく必要があると思われます。その理由を端的に示すと次のようになります。

 

仮りにA論に従って、この赤字予算によっても不況の克服ができず、生産の回復がはかばかしくないとすると、税収の回復も期待できず既発行国債の償還もすすまないことになるので、ついにはその利払いのためにまた国債を増発しなければならいという破局的事態が到来します。こうして雪だるまのように増大していく国債の引受け手は結局中央銀行以外になくなり通貨供給の激増をつうじてB論が危惧しているような財政インフレーションの悪化を招くことになる。

 

事態の発展がこうなるとすると、A論はB論に反対できなくなります。しかし、この議論で、もしA論が否定されることになると、すなわちもし仮りに、赤字予算のテコ入れによってA論とは反対に生産と景気が回復の軌道に乗ってくるとすれば、収益も回復し、それによって一旦発行された赤字国債の償却も進み、必ずしもインフレの再燃をもたらすとはいえなくなる。このように、両論の対立は全く機械的なものであり、本質的な対立ではなかったことが明らかになります。

 

赤字国債は、いついかなる場合でもインフレをもたらすとはいえません。政府は赤字国債の発行をつうじて貯蓄形態にある貨幣資本の一部を動員することができます。このこと自体はインフレーションとは関係がありません。国家が、これらの資金を生産的資本の蓄積(投資)にふり向けるか社会保障など消費目的の所得に変えるかということも、インフレとは関係がありません。予算の赤字とインフレーションとのあいだには、本来は、直接的な因果関係は存在しないのです。

 

深刻な不況下において、資本の投資・蓄積活動が衰え、巨額の遊休資金が企業の内部に私蔵されているような場合、これらのいわゆる過剰流動性国債あるいは公債として吸収し、公的目的に動員することは、この資金の、その後の用途が消費向けか蓄積向けであるかに関係なく、経済の活性化につながっていきます。

 

赤字国債が経済にあたえる影響を評価するに当っては慎重であるべきです。大規模な国債発行がインフレと結びつくか否かは、第一にその発行条件、とくにその調達の方法、消化の手段と見とおし、貸付資本市場の状態や引受け利子率の如何などに係わっており、さらにその発行後における一般的経済状態のなりゆき、税収の如何などによって左右されます。発行される国債をすべて貸付資本市場で調達することは民間の資金需要との合からも困難です。従って通常、その一部または相当部分が中央銀行の引受けとなり、それは通貨の増発を引き起こします。問題はそれが、生産の増加・商品流通の増大とパランスをとりうるか否かです。わが国の場合、国債の主な引受者は民間金融機関であっても、一年後には日銀の行う買オペの対象とすることができるので、中央銀行の引受け=通貨増発が生じることに変りはありません。このルートを通じての通貨供給の人は、そのときの品流通量には関係なく行われるので、それはインフレーション進行の潛在的な危険性をはらんでいます。この潜在的な危険性が現実の財政インフレに転化するかどうかは、この国債によって動員された資金がはたして経済にたいし有効な使途に向けられたか否か、それが国の一般的経済状態の改善に役立っているか否かは、この国債償還の方途と見通しの如何、などに係わっているのです。

 

ポイントは、現在の経済状況の分析、それを踏まえて経済や国民生活のゴールをどう設定するのか、この国債によって動員された資金がはたして経済にたいし有効な使途に向けられたか否か、それが国の一般的経済状態の改善に役立っているか否か、なのです。私たちはこれらをしっかり監視し、必要があれば声を上げなければなりません。

 

岸田政権の予算案とアメリカのバイデン政権の予算政策を比較してみることをお勧めします。政権は、就任100日以内で3つの大きな財政支出計画を相次いでまとめ上げました。そのスピードと規模の大きさは驚くべきもので、1930年代の世界大恐慌を受けて成立し、ニューディール政策を推進したルーズベルト政権に肩を並べるとも表されています。3つの計画で総額、単純に合計すると6兆ドル、日本円で約600兆円という巨額で、アメリカのGDPの約3割の規模になります。これに対して日本の追加経済対策は、昨年12月にまとまったものですが、32兆円代。対GDP比6%に相当します。アメリカの財政支出規模が、いかに巨大かということがわかります。

 

さて、規模もすごいですが、重要なことはその使途です。

 

第1の計画は「米国救済計画」と呼ばれるもので、短期的にコロナ禍で打撃を受けた国民と企業を下支えする仕組みで、今年から来年にかけて集中的に1.9兆ドルを出すという計画です。

第2番目は、「米国雇用計画」と呼ばれていまして、こちらは、インフラ投資が中心で、今後8年間かけて2.3兆ドル。

第3番目の「米国家族計画」と呼ばれるものは、個人や家族に対して、教育や子育てを中心にした支援で、今後10年間で1.8兆ドル規模となっています。

 

「雇用計画」というのは、とりわけインフラ投資に重点を置いています。老朽化したインフラの改善だけでなく、デジタル化、脱炭素化していく米国経済の未来に適合的なインフラを整備し、未来志向の投資計画となってます。「家族計画」というのは、個人および家族への支援です。人への投資と特徴づけることができます。具体的には、第一に教育、二番目に子育て支援、三番目に、勤労者と家族を支援するための税額控除制度の拡充、こういった3つの要素からなっています。

 

教育について、全国民を対象とした2年間のコミュニティカレッジ、日本では短大に相当するものですが、それを無償化します。そして、すべての3・4歳児に無料で、高品質のプリスクールというか、就学前の学習機会を提供するという大胆な政策が打ち出されています。2つ目の子育て支援についても、チャイルドケア利用の負担軽減などが盛り込まれています。3つ目は税額控除で、低所得世帯に対しては子育て費用、その他の家族を扶養する費用を税金から差し引く控除対象の拡大・充実が謳われています。

 

アメリカの議会予算局では大幅な今回の財政支出拡大によって、2022年までは大幅な財政赤字を計上すると見込まれています。が、成長で税収が増えるほか、予定されている法人税率の引き上げとか、富裕層への課税とか、そういった増税措置が取られることによって財政は均衡に向かうと見込まれているのです。一連の計画は、米国経済を急速に成長軌道に戻して、さらに将来にわたって成長を加速すると見込まれています。

 

日本の場合、いまだに物的投資を投資と考える傾向にあって、アメリカの計画は教育や子育て支援「人への投資」として捉えられていて、そして、10年間で約200兆円もの資金を投下していくというわけですから、人的資本形成を通してアメリカ経済の将来の成長を高めることに寄与するだろうと思います。つまり雨イカの場合は、明らかな未来志向の財政政策だといえます。

 

さて、皆さんどう思われますか?

 

ではでは

2016年1月16日?

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急に寒くなりましたねえ。各地で、クリスマスに向けたインベントが続々開催されています。故郷の京都では、あちこちのお寺で夜間特別拝観が行われます。わたしには、「大根焚き」という行事、大きなお鍋で大根とお揚げの炊いたものが参拝客に振る舞われる行事がとっても懐かしい。今年は中止にされているお寺もあるそうですが。

 

先駆けとなったのは、千本釈迦堂での、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたとされる12月8日を記念して、無病息災・健康増進を祈願して行われた行事だそうです。「京都へ行こう!!」

 

話は変わりますいが、2016年1月6日、さてなんの日でしょう?…

 

この日は、台湾で初の女性の総統が選ばれた日です。そうです、蔡英文(さいえいぶん)総統です。

 

え?どうして彼女に興味があるのかって?この間、対米追随の対中国戦略の一環で、日台関係の親密さが話題になっていますよね。それに、台湾化のパイナップルの輸入だとか、台湾麺や魯肉飯(ルーローハン)の人気ぶりだとか、タピオカ入りティーだとか、東日本大震災で台湾から200億円超の寄付をいただいたとか、そして、IT関係者としてのわたしには何と言ってもオードリータン・デジタル大臣の存在で台湾への親近感はグッと増しました。

 

台湾はご存知のように半導体大国で、多くのコンピュータ機器を製造しています。そして、世界一のコンピュータ関連製品展示会である「Computex TAIPEI」が毎年開催され、わたしも何度も台湾へは足を運んでいます。そして、行けば必ず食べるのが、牛肉麺です。

 

日本の政治を見ているとイライラするか、失望感に苛まれることが多いのですが、台湾に現れた女性リーダーを見ていて、なぜ日本ではこのような人がリーダーとして選ばれないのかと考えてしまうのです。女性がリーダーとして男性に勝るとかどうとかはどうでも良いのです。蔡総統やオードリータン大臣のようなリーダーを担ぎ出せる台湾国民の素晴らしさに感服するのみなんですよ。

 

まずは、蔡総統について紹介させてください。

          

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”1956年に生まれた蔡英文。その家族は、屏東という台湾で最も南にある県にルーツを持つ。父親は客家人で、自動車ビジネスで成功した人物だった。母親は福建系の女性。父方の祖母は先住民族であるパイワン族だった。つまり彼女は、福建、客家、原住民という、台湾土着の3つの異なる系統の血筋を持っていることになる”

 

彼女は、父親から「人のやらないことをやりなさい」と言われて育ったそうです。それだけが要因かどうかはわかりませんが、勉強熱心だった様です。学歴は大したもので、台湾大学法学部を卒業、米コーネル大学修士ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得。そして、20代で台湾に戻り、大学教授に就いた。絵に描いたようなエリートですね。

 

あるときある弁護士から、自分の代わりに政府の貿易交渉の法律顧問になってくれないかと頼まれ、このことがきっかけで彼女の運命は変わっていったのです。

 

貿易交渉は法律の知識と共に交渉力が問われる仕事です。彼女の才能はそこで発揮されました。政府から重用され、台湾のWTO加盟に伴う交渉団の首席法律顧問となり、李登輝政権の国家安全会議の諮問委員にも任命されることになりました。さらに当時、中国から猛反発を受けた李登輝「二国論」の起草者にもなったわけです。

 

民進党には2004年に加盟し、民進党どん底にあった2008年、党内のベテランや大物が誰も主席を引き受けない状況で、あえて彼女は主席に就いたのです。そして、2012年の総統選では惜しくも敗れ、一時的に党主席を離れたのですが、2014年に党主席に復帰、そして同年末の地方選挙で民進党を圧勝に導き、その勢いに乗って、2016年の大事な選挙でも勝ち抜いたというわけです(史上最多得票で勝利した)。

 

彼女の演説は、実に「面白くない」、が、心に響かないわけではないと評されている。普通の政治家のようにテープレコーダーのような政治演説ではなく、自分の言葉で真面目に語っているからです。日本の政治家は、何を恐れてか「カンペ」を見なければ話ができないが、彼女は違う。朴訥(ぼくとつ)とではあれ、自分の言葉で話す。わたしたちは、間違わず火の打ちどころのない言葉が聞きたいのではない。その人の誠の思いを共有したいのではないでしょうか。

 

彼女の話すその様子が中国でも放送されたことで中国人の間で評判になり、それまでの民進党に対する「粗暴な独立派」というイメージが変わるきっかけになったとも言われているそうだ。日本の政治家にそんなことができるだろうか?

 

よく2つの世界大戦を経てきた政治家は、良くも悪しくも筋金の太さや信念の強さが違うと言われる。吉田元首相はその代表例だろう。戦後生まれの政治家には、その強さがない。

 

彼女は、朴訥としているだけではなく、自分の話した内容がマスコミによって報じられ、それが話したことを正しく表現していないと、何度も訂正を求め、「蔡更正」と恐れられていたそうだ。それだけ、自分の言葉に責任を持っているということでしょうね。彼女のおかっぱ頭で、難しい法律の交渉すら臆面もなくこなし、英語でも細部にわたるネゴができる。でも、パフォーマンス下手で口数が少なく、シャイな性格。こんな政治家が私たちと同じ目線でいると思われれば、多くの人に支持されると思うなあ。

 

こんなエピソードもある。大勢の村人たちが、『選挙費用の足しにしておくれ』と言いながら、クシャクシャになった100元(当時のレートで約300円)札を競うように蔡英文へ差し出したことがあった。ある老婆から300元を差し出されたときはびっくりして感極まりながら『ありがとう、本当にありがとう! 私は100元だけいただくね。でも200元はお返しするから、おいしいものでも食べて!』と言って、そっと老婆の手に2枚を返した。これが、資産家の令嬢に生まれ、台湾大学や英の名門大学に学び、国立大学教授から高級官僚、閣僚を経て政治家となった彼女なのだ。

 

総統選で敗北した時には、支持者に対して「可以哭泣,不要放棄」(泣いてもいい、しかし諦めてはいけない)と励ましながら、「有一天我們會再回來」(いつの日か、我々は再び戻ってくる)と呼びかけた。そして、民進党を立て直すために、人々の中に入っていった。その泥臭さ、地味さに親近感を覚え、今まで民進党支持者でなかった層のファンを増やしたと言われている。彼女と触れた人は、民進党の政治家のイメージと違うことを悟った。

 

そして、台湾の民衆は、蔡英文を必要としていたのです。2016年1月16日、時代が蔡英文を『政治家』にしたのです。

 

新型コロナが始まった時の対応を含め、彼女の偉業はさまざま語られているのでそれらに譲るとしましょう。さて、ここらでオードリータンさんの話をしたいのですが、その前にわたしの娘への教育論を聞いてください。

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わたしには、2人の娘がいます。1人は今フィリピンの大学で医学を学んでいます。薬学部を卒業し国家試験にも合格して、薬剤師となったのですが、どうも職場に馴染めなかったようで、「お父さんは糖尿や腎不全や病気の多い人なので医者になるわ」と良く言っていた通り医学部へ行き直したのです。下の子は、わたしと共に日本に来て、高校へ通っています。音楽とITが大好きで、いつも飽きずに勤しんでます。

 

わたしはよくこう言います、「学校へは行きたくなければ行かなくて良いよ。勉強したければ今はインターネットもあるし色々な方法がある。学校へは、友を作り人と共に平和でお互いを尊重することを学びに行くところだ。自分が何をしたいか?それが友を喜ばすことに貢献するか?を考えてほしい」って。

 

本の学校で学ぶことは、わたしはあまり進めていませんでした。わたし自身が、学校嫌いで、先生たちから見れば問題児でしたからね。嫌いな先生や科目は徹底して無視していました。先生が前に立って、学力や理解力そして好みの異なる生徒に同じ調子で授業をして、成績が悪いだの態度がどうのといっている今のシステムが大嫌いでした。ただ、部活をしにいっていただけかもしれません。

 

高校は北嵯峨にあり、授業をサボっては嵐山の喫茶店に行ったり、寺の境内で昼寝をしたりすることが多く、部活の時間に校舎へ戻るような生活でした。なんのために地学を学ばなければならないの?なんで地理を勉強しないといけないの?さっぱりわかりませんでした。

 

この態度は、仕事を始めてからも続いています。そのせいで、わたしは約3年から5年で転職をしています。「やりたいことはやってしまった感」や「もうこのやり方やこの世界は廃れる感」に従ってやりたいことを変えてきました。ちょっと「晴天を衝け」の渋沢栄一に似ているかもしれません(笑)。おかげで、「この男はすぐに辞めてしまうかもしれない腰の落ち着かないやから」として日本のヘッドハンターには映ってしまうようで、また職歴から「何者だこいつ?」と思われていたようですね。本人は至って冷静なんだけれども。まあ、日本の「慣習」や「常識」には当てはまらなかったことは認めますが。

 

不登校児でも立派なことをした人はたくさんいます。オードリータンさんもその一人です。彼は一途にITを学んできたんですよね。さまざなITコミュニティにも参加して、世界に友人も作った。独学で勉強、12歳からプログラミングを勉強し、義務教育を飛び出して15歳で起業。19歳で米シリコンバレーでも起業し、米アップルなど世界のIT企業の顧問も歴任しました。

 

大事なことは、彼がIQが高い天才だのということではなくて、日本の記者が次のようにオードリーに尋ねた時の彼の回答です。

 

「日本では小学校からプログラミング教育が始まりましたがどう思われますか?」

 

ープログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。

 

続いて、

 

ー私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養(かんよう)するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。

 

感動しました!全くその通りです。日本の教育の目的は一体何なのか、わたしには全くわかりません。大学を受験するためですか?そんなところで、娘が人生の大切な時間を過ごすことに、わたしは全く承服できません。

 

オードリータンさんは、ゲイですね。きっとたくさん悩んだだろうし、いじめも経験したのではないでしょうか?そういった世界とは離れて、性が問題にならないバーチャル上のコミュニティでITを勉強されてきたのでしょう。その過程で、自分のやりたいこと理想とされる社会について洞察されたのに違いありません。

 

オードリータンさんは言う、「デジタル技術の運用は、必ずその背後に哲学や価値観があります」と。「デジタル技術はもっと謙虚であるべきです。人間に寄り添い、多くの人間が技術の恩恵を受けられるようにすべきです。1位になれ、トップを目指せ、という技術競争を追求してそれについていけない人を生み出すのではなく、どのような技術がどれだけの人を取り込めるかを考えることが重要です。ですから、高齢者はIT社会で何一つ変わる必要はありません。ITのほうこそ、人間に近くなるように調整されるべきなのですから」。

 

このオードリータンさんを政府に引き入れたのは、当時の女性閣僚ジャクリーン・ツァイ、彼女は法律の専門家で、台湾の各地方裁判所で裁判官を務めた後、IBMで台湾や香港・中国エリアの法務長を歴任し、2013年に入閣した人物です。ジャクリーンさんは言ったそうです、「オードリーが民間の素晴らしい力のある方々を引き連れてきてくれ、一緒にコラボレーションすることになった時、私はスタッフたちに言いました。『人生でこんなに人々の命にとって意味があることができる機会は何回もない』と。皆で一緒に問題を解決するという姿勢が大切です」と。

 

反体制派であったオードリータンさんは、面白いことに国民党内閣のデジタル大臣であった蔡玉玲に注目され、2014年後半に、蔡玉玲大臣が彼女を「逆メンター」にしました。若い方が年配の方にアドバイスをする役割です。蔡玉玲大臣は、タン氏の能力を借りて、国民党政権においてデジタル国策を推進しました。と言うことは、ジャクリーンさんは、戦ってきた相手政党の時に登用された人材を引き抜いたと言うことになります。わたしにとっては、オードリータンさんもジャクリーンさんも『器』の大きな方達だと思えます。イデオロギーや年齢ではなく行動・結果・能力を承認してオードリータンさんに任せているリーダーが、蔡総統なのですよ。内閣人事を派閥の力関係やバランスなんかで決めているどこかの国とは全く違いますね。台湾では、政治が国民の方をちゃんと向いていると言うことです。

 

そして何よりも、そういうリーダーを生み出し支えている国民に、頭が下がります。オードリータンさんは言っています、「私たちは、挫折や対立を経験した時、どのように自分の心をケアすれば良いのかを非常に重視しています。台湾は人口密度がとても高いので、これは必須スキルなのです」、つまりレジリエンスですね。

 

わたしは、娘を蔡総統やオードリータンさんに近づける人間になってほしいと思っています。できれば、わたしも含めリーダーを生み出し支える日本国民になりたいものです。台湾の懐の深さに脱帽です。

 

ではでは