徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

日本の「常識」という呪魔術

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2021年度のノーベル物理学賞を、真鍋淑郎:米プリンストン大学上席研究員(90)が受賞されたました。明るいニュースですね。真鍋さんは、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルを世界に先駆けて発表されました。まさに今全世界で取り組もうとしている最重要な課題に直結する研究ですね。

 

注目したいのは、真鍋さんが5日にプリンストン大で記者会見し、国籍を変更した理由について聞かれた時の回答です。

 

「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです」と説明した上で、「米国ではやりたいことをできる」と強調。そして「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、最後には「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と語り、会場の笑いを誘った。(yahooニュースより)

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これは非常に重要なことで、日本に住むわたしたちは考えなければならないことだと思いました。しかし、考えれば考えるほど難しい問題であることもわかりました。「やりたいこと」の許容できる範囲をどう線引きするのか、という問題です。

 

元日本マイクロソフト代表取締役で『2040年の未来予測』の著者である成毛眞は、真鍋さんがアメリカに移られたのが高度経済成長期前のまだ戦後の復興時期であったことを考慮すれば真鍋さんの例をとって優秀な日本人が海外へ流出するという議論をするのには違和感がある、とされている。確かに、「好きな研究を何でもできるからです」、とおっしゃってるいるように移住された背景にあるいくつかの問題は現在の日本には当たらないかもしれない。しかし、非常に調和を重んじる関係性を築き、という日本人の傾向はなんら変わっていないと思うのです。

 

わたしは、2006年から2020年までの約13年間をフィリピンで生活しました。フィリピンに渡航するようになってからの期間を含めれば、約28年にもなります。外資系企業で仕事していたことや、IT産業アナリストに従事していたとき、欧米のITベンダーからの招待で海外へ出かけることも多く、外国人と仕事をしたり生活したりする時間が長くありました。そこで感じてきたのが、まさにこの『協調』と『自由』の問題です。

 

たいてい日本人は外国人と会話をすると、「yes yes」と言ってニコニコしていることが多いでしょう(本当はyesではないのに)。ですから吉田政権下で対GHQ交渉を担当した白洲次郎がマッカサーに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたように、はっきりと返事をする、NOならNOと言う、日本人の礼儀は曲げない態度が、アメリカ人にも貴重がられるのですね。

 

フィリピンに定住したのは仕事がきっかけでしたが、そのきかっけを自ずから探していたと言っても良いでしょう。日本でナイトクラブに勤める多くのフィリピン女性と出会って、よく「彼らはラテン系の人」といわれるように、あの底抜けの明るさや大ざっぱ(細かいことを気にしない)に惹かれたことがフィリピンで生活してみたいと思った理由にあると白状します。

 

『なれのはて』という映画でも取り上げられているフィリピンに住む困窮邦人、わたしも何人かの困窮邦人に出会いました。困窮邦人となってしまった理由は、人によって異なっているでしょう。でも、彼らの意識には、共通に「日本社会の窮屈さ」というのが少なからずあります。実は、わたしもその一人だったと言えるでしょうね。

 

わたしは、両親に厳しく育てられました。父の気に入らない事をしたり、物事をぞんざいに扱ったり、整理整頓をしていなかったりすると、言葉の前に拳骨が飛んでくる、そんな風でした。。ですから、スリッパが揃えられていないとか、使われたものが元の状態に戻されてないとか、フロアーマットが木目に揃えておかれてないとか、貸した本のページの角が降り曲がって帰ってくるとか、並べられた本の高さの違うものが混在してデコボコになっているとか、そいうことが許せない性格になっていたんです。

 

これらは極端だとしても、脱いだ靴はそろえるとか、幾分かは見栄えなどを気にしますよね。その理由には、「他人がどう感じるか、他人に失礼がないように」が全ての基準ではなかったかともいます。日本人の遠慮深さや婉曲表現そして敬語にまでその精神は貫かれています。これは、日本人の美徳であることは認めます。まあしかし、大半は自分が気づく範囲のご都合主義ではあるんですけどね。

 

フィリピン人はというと、人によって違うでしょうが、おおよそわたしとは真逆です。はきものは揃えない、適当にスペースを見つけて物を置く、顔や手が汚れていれば着ているシャツなどで拭く「どうせ洗うんだから」。フィリピン人と付き合ったことのある方は、うなずくところが多いのではないでしょうか?

 

でも、程度の差はあれ日本人から見れば、外国人は適度に適当にしていると思われませんか?少なくとも、日本人のように拘らないことが多いです。これは、モノづくりにも確実に影響してますよ。日本人は品質の細部にこだわる、「品質にいやにこだわる」とそれは「コストと時間」に跳ね返ります。芸術の世界ではそれが必要なのでしょうが、モノづくりの世界では「障害」になることも多いと思います。

 

わたしは、フィリピン人の妻を持っていますが、実に最初はその適当さにイライラさせられることが多かったのです。妻は決して貧困な家庭の出ではありませんし、大学の医学部も卒業し医師のライセンスも持っています。大家族で、4人兄弟の唯一の女の子でしかも上から3番目、お姫様の如くに育てられていたようです。やはり、ことを適当にする場合も多い。底抜けに明るいし少々のことではめげない、簡単に誰とでもすぐに仲良くなる。やはりフィリピン人ですね。

 

それと、フィリピンの家庭やコミュニティでは、みんな夜中でも大音量で音楽を鳴らしてカラオケを楽しみます。最初は、「うるさいなあ、近所迷惑だ」とイラついたものですが、特に貧困地区ではそうなんです。でも、「ああそうやって憂さを晴らして生きてるんだ」と想い、「自分だって好きな音楽を音の良いスピカーでたまには大音量で聴いてみたくなるもの」と思えば、我慢していたのが遂には微笑みに変わったのを覚えています。みんな楽しんで生きているなあと。

 

フィリピンで生活されている困窮邦人について言えば、困窮している日本人だけではないですが、多かれ少なかれ私と同じように、フィリピン人の底抜けの明るさや、大雑把さ、優しさ、許容力にひかえれている事は間違い無いと言えます。フィリピンに生活する困窮邦人がどうして生きていけると思いますか?誰かが助けているんですよ。はっきり言えるのは、それは日本大使館や日本政府ではありません、日本人では無いのです。まさに、フィリピン人なんです。それも多くは日本人から見れば貧しいフィリピン人なんです。この事実はマニラ新聞の日本人記者による『日本を捨てた男たち』や『脱出老人』に書かれています。また紀行文を書かれている著名な旅人の下川裕治さんも『「生きづらい日本人」を捨てる』という本を書かれています。

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これらの本に登場する困窮邦人、ホームレス、日本を捨てた人々、そしてわたしも含め、日本のマジョリティの「常識」では問題児であったのかもしれない。それを問題児として一刀両断にして切り捨てるのが日本の社会ではないかと私は思っています。

 

助け合って生活する、老人を大切にする、そういう精神に溢れているのがフィリピン人の社会なんです。そして、他人を詮索しようとはせず「いいじゃないか」と許容する。これは、真鍋さんもおっしゃっていたように「他人を傷つけたくはないけど、彼らが何を望んでいるのかは知る由もありません」ということになるんです。さらに、彼の「自由な研究」を支えてくれた奥さんには、とても感謝されていました。

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日本のホームレスの中にも、自由な生活だからが好きという方もいらっしゃいます。わたしは大学時代に大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の組合と交流していましたが、ホームレスであることに自由を感じる人は結構おられたのを覚えています。もちろん、現状を自分で肯定し納得するためにそう繕っている人もいたかもしれませんが。

 

一方、日本の「常識」や「他人の目」は、本当に窮屈でありました。親の教育によって性格に塗り込まれた性格はありながら、やはり窮屈だと感じるのです。その結果、嫌な先生の授業を後ろを向いて座ったり、手をあげて当ててもらって「わかりません!悪い生徒です。はい、外に出て立っています。」と言って授業をエスケープしたり、やりたい放題。でも好きな科目や先生の授業は、かじりついて勉強する。自分にとってそれをやる意味がどう考えてもわからないものは、徹底してやらない。やりたいことは、「ええっ?なんで?」と言われてもお構いなしにやる。そんな生活でした。しかも、不合理なことを要求する先輩、先生、上司には食って掛かる。

 

当然、叩かれます。しかし、「やる」と決め約束したことは必ずやり遂げる。そんな生活をしてきたので、「頑固で自分勝手な奴」と思われてきたと想います。そんなわたしでも、フィリピンでの生活は許容するまでには時間がかかりました。でも一旦許容できれば、それは心地よさに変わり、やがて普通のことになっていきます。

 

生まれや習慣の違うものが共に生きていくには、多様性を許容することが寛容です。そして暖かく見守り、可能であれば支える。小さな世界で言えば夫婦がまさにそうですよね。それが、ご近所さんに広がり、やがて世界という範囲にまで広がる。そうなったときに、許容力や親切の真価が問われるのでしょう。

 

少なくとも人は一人で生きている訳ではないので、他の人に影響を与えずにはおかないものです。わたしたちは、自分の人生を生きる限り有意義に過ごす道徳的義務もあります。その信頼と義務を無視すれば、他の人にも害が及びます。

 

問題は、『協調』と『自由』をどこで線を引くかということです。それは本当に難しいことです。簡単に文字に表現できないことです。まず大前提として 「人は必ず変化する」「人は他人を思いやる」ということへの絶対的信頼と、「悪は必ず滅びるあるいは自滅する」という確信を持つことが大事ではないでしょうか。そうすれば、我慢して苦にならず許容することもできようというものです。

 

手放しで無制限の「自由」は存在しません。否、存在できません。例えば、エベレストに登りたいと思ってどれだけトレーニングをしたからと言っても、それだけでは登頂することはできません。なぜなら、気象という我々の力ではコントロールできない自然の法則が働いており、その理解なしには、いや理解していたとしても、わたしたちの意識の外で働いているものですから、完全に征服はできない。できる限り調べて理解しようと努力し、登頂するまで耐えず窺い続けることです。つまり、「意識の外で働いているもの」によって制限が与えられている訳です。

 

多様性とは、自分自身の意識の外に存在している相違を耐えず窺い続け「認め合う」「許容する」ことが絶対的に必要になります。「自分自身の意識の外に存在している相違」によって不利益を被ってはならないという約束が必要なんです。

 

日本では、学校の校則、会社での服装規定、学問での研究領域、おそらくパワハラも、余りにも無意味で憶測に基づいた非合理的な制限があり、「他人に迷惑をかけない」を口実にした社会的圧力がかかる。「社内だけの文書ならミスコピーした紙で裏面が白紙なら、コストの節約のためにそれを使え」、これはコスト計算してみるとわかるように、一度印刷機を通ったインクの乗った紙はスタックし易いので印刷時のコストは上昇するということを知らない、まさに『無知』が生み出す不合理な意見なんです。しかし、その意見は「常識」化していませんか?そしてそれによって作られたルールや規則はたくさんあるでしょう。

 

外国人との関係でいうと、異なった習慣や思考に対して優劣をつけてしまうなどと言ったことにつながっているのではないでしょうか。「あなたはフランス人のようね」と言われた時と「あなたはフィリピン人のようね」と言われた時に、どう感じるか正直に考えてみてください。全く具体的な人物を提示されてもしていないのに反応してしまうのは、何某かその民族に対するイメージを持っているからではないでしょうか?その「何某かのイメージ」がくせ者なんです。どのようにしてその「何某かのイメージ」を持つに至ったのでしょうか?それは一体どういうものなのでしょうか?よく考えてみる日つゆがあるのでは無いでしょうか。それは、一種の「無知」のなせる技なんです。

 

真鍋さんもわたしも、こういった日本の社会に閉塞感を感じたのでしょう。これでは、不合理な「常識」にも従う「プラスティック」のような人間しか生まれてこない、びっくりするような偉大なことができる「破天荒」な人間は生まれてこないと思うんです。自分自身の意識の外に存在している相違が「嫌いか好きか?」ということはどうでも良くって、その相違によって圧力をかけない、低く見下げない、邪魔したりしないことは最低限のマナーだと想います。

 

慶應義塾大学の医学部教授である宮田裕章さんは、「イノベータを生み出せなくなる」のではないかと懸念されていました。結局そこに行くんでしょうね。大学時代にピアスをしたり髪の毛を染めたりしていた学生が、就職活動をし始めるとピアスを外し、髪の毛の染め色を落とし、紺かグレーのスーツにネクタイ姿に返信する光景。女性もどの程度まで髪の毛を染めていいのか悩んだりする。これでいいんでしょうか?

 

今のまま、日本で摩耗していくよりも「自分の生きたいように生きたい!」「自分をきちんと評価してくれる社会で働きたい」という人生や価値観を求めて、日本を脱出していく若者も後をたたないという現状もあり、この調和を重んじる関係性や「常識」が生み出す閉塞感は無視できないと思うのです。

 

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宮田裕章さん


でわでわ