一冊の本とCoffee、そして音楽
幼稚園の頃、版画の自画像で入選し、京都市の展示会に出展していただいたことがある。その時に京都ノートルダム小学校の先生にえらく褒めてもらって、「ノートルダムへきっと入学しなさいよ」とさそわれたことがありました。父親は、「勉強するのに高いお金を払わなくとも、自分で努力すればいいんだ!」と相手にしてくれなかったのを覚えている。
絵を描くことが好きで、当時のテレビ漫画にでてくる主人公や主人公が乗っていた未来の乗り物なんかをよく描いていました。家が小さかったので、自転車やバイクを置くためのスペースに半畳ほどの板間を作ってもらって、そこにお下がりの机と椅子を置いて絵を描いたり勉強したりしていました。以来、小さく隔絶された空間で、本を読んだり絵を描いたりする習慣が自然と身についたのです。
小学校の5年生頃でしたか、いきなり父が「家を造るぞ!」と青写真に描かれた図面をみせてくれました。当時の家族構成は、父・母・弟2人・父方のお婆さん・父方の叔父2人と、私を入れて合計8人の大所帯でした。100坪近い土地に2世帯住宅を注文建築で建てたんです。もちろん広くなって喜ぶことも多かったし、念願のシェパードも飼えることになって嬉しかったのは間違いないですね。でも、残念なことが一つ、小さく隔絶された空間で一人で何かに打ち込む場所を失ってしまったのです。
広い応接間ができ、そこに父はチーク材で造られたピアノを買い入れました。さてどうするつもりかと思っていたら、「おまえピアノやれ!」といわれ、「はっ?」でした。小学校3年生から剣道を習い始めていて、それも父の命令みたいなものでしたし、しかも剣道とピアノってちぐはぐな気がして気が進みませんでした。まあでも、ピアノ買っちゃったわけだし、仕方なく始めました。
美術と同様音楽も嫌いではなかったので、自宅まで来てくれる先生について練習を始めたんです。ついでに父の高価なステレオでクラッシック音楽を聴くようになりました。でかいスピーカーでしたのでド迫力のサウンドが出ました。それでドボルザークの「新世界」なんかをかけるとすごい迫力でした。
2年間ピアノ習って「ソナチネ」を始めた頃、なぜかクラシック音楽から別のジャンルの音楽に触れてみたいと思うようになり、ピアノを止めギターを勉強するようになりました。剣道の先輩の家で聞かせてもらった、S&G(サイモンとガーファンクル)の「スカボロフェアー」や「明日に架ける橋」が強烈な印象だったこともあって、S&Gをコピーしようと一生懸命練習したものです。ポール・サイモンのギターテクニックはすごい、はい。
歌謡曲を除けば、かぐや姫や井上陽水などのフォークソング、ツエッペリンやディープパープルなどのハードロック、ピンクフロイドやE.L.P.などのプログレッシブがはやっていて、学生がバンドを造って文化祭にでたりしていました。わたしもそのひとりでした。
高校3年のときでした。京都産業大学から少し登っていった鞍馬山の入り口付近に、二軒茶屋というところがあり、父がそこに新築の家を買ったんです。のどかな場所で、家の裏には叡山電鉄が走っており、門の上にちょこんと猿が座っているなんてこともある場所でした。お婆さんと叔父さん、そしてわたしの3人がそこへ引っ越したんです。休みの日には、バイクで鞍馬の方へ出かけ、川床でぼたん鍋を食べるのが有名な貴船川が流れており、その川辺にすわって小説を読むのが習慣になり、家では一人部屋になったため思索にふけることも多くなり、詩などを書いたりすることもありました。
大学に入ると突然社会の矛盾に疑問を持つようになり、マルクスやレーニンそしてチェ・ゲバラに影響を受け学生運動に飛び込みました。ウッディ・ガスリーやピート・シーガーなどのプロテストソングなんかを聴いていろいろ考えに耽ったりすることも多くなりました。
京都立命館大学の高野悦子さんの手記「二十歳の原点」をご存知でしょうか?「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という一説。自殺をしてしまった高野さんが、1969年1月2日(大学2年)から同年6月22日(大学3年)までの、立命館大学での学生生活を中心に書いた日記。理想の自己像と現実の自分の姿とのギャップ、青年期特有の悩みや、生と死の間で揺れ動く心、鋭い感性によって書かれた自作の詩などが綴られている(wikipediaより)。
この本に「シアンクレール」という喫茶店が出てくる。「思案に暮れる」をフランス語風にカタカナにしたのが店の名前の由来だそうです。いわゆるジャズ喫茶で、今はもうないのですが。わたしは、ここを訪れてはじめてジャズという音楽に興味を持ちました。
ディジー・ガレスピー、チャーリ・パーカー、チック・コリア、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンスなどなど、下宿に40万円もつぎ込んでかったオーディオでヘッドフォンを架けて何度も聴きました。でも、ジャズ喫茶にはもっと素晴らしいオーディオがあります。ですから、たまに出かけては素晴らしい音色を楽しんだものです。
京都にはブルーノートという老舗も有り、ジャズ喫茶を訪れては一杯のコーヒーで何曲も何曲も聴いていたのでした。わたしは、ジャズを聴くとなぜかいろいろな思索をする癖があるのか、自分の世界を創造してしまうのですよね。
チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever)』を聴いたときはショックでした。「なんなんだこれは?」と音楽観が揺さぶられたのを覚えています。わたしの脳内に、見たこともない色合いの世界へ手を引っ張って連れて行かれ最後は美しい未来への扉が開く、そんなイメージを奏でるのです。
たしかに、クラシックなジャズではないですよね。アコースティックなピアノではなく、電子キーボードを使っていることやフルートの使い方も影響しているのだろうなあ。
京都には、クラッシックを聴かせてくれる名曲喫茶も、フランソワーズ、築地、ミューズなど四条河原町の木屋町界隈には独特の空間があり、よく通ったものです。そして、関西ブルースのレジェンド憂歌団が活躍した日本最古のライブハウスといわれる「拾得[じっとく]」(上京区)、「磔磔[たくたく]」(下京区)、そしてアンゴラのメッカ京大西部講堂なんかもある。
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ジャズやブルースにフュージョンを聴き始めた頃から、わたしの聴く音楽のジャンルは一挙に広がった。ドック・ワトソンやビルモンローらのブルーグラス、ロシア革命を追った「世界を揺るがした10日間」の著者ジョン・リードを描いた映画「レッズ」を見て影響を受けたラグタイム、ボブ・マーリーのレゲー、アフリカの部族音楽などなど。
一方、クラッシックもどんどん深くなっていった。というのも大学時代の恋人は、京都でも有名な高校オーケストラのチェロ奏者だったために、いろいろなレコードを教えてもらいました。「ブラームスの交響曲の四番、これを聴くならカルロス・クライバー指揮に限る」と彼女は言い張るのです。
「えっ?何が違うの?」と訊くと、「音と音の切れ目に注目してみて」というのです。何度か聴いて、他と比べてみて確かに違いを感じたんです。つまり、切れ目が切れているのではなくとてつもない深みに落ち込み、次の音が始まるまでにスーッとの上ってくる感じがはっきりとすのですよ。いや、驚きました。そうやって聴くことが出来れば、「この曲はこの指揮者で、このオケ」って好みが決まるでしょ。いやー鍛えられました。それ以来、クラッシックも沢山聴きましたよ。
こうして、ときどきのシチュエーションや感情のありかによって、聴くジャンルや曲が決まっていくようになりました。素晴らしいスピーカーが置かれたジャズ喫茶や名曲喫茶で音楽を聴く習慣はなくなりません。地方へ出かけても、かならず探し当てて足を運んだものです。
しかし、思索が伴うときは決まってジャズ、ブルース、クラッシックを聴く。なぜかなあ?どうも脳裏に深い世界を創造してくれるのは、それらのジャンルの曲だからだろうか?自分でもはっきりとした理由は見当たりません。そしておまけに必ずコーヒーをすする。しかもミルク入りのコーヒー。名曲喫茶の築地では、ウィンナーコーヒーという泡立てた生クリームが浮かぶコーヒーが有名で、必ずそれを注文する。
年齢と時代が音楽や曲の好みを変えてきた。しかし、とうとうこの年齢になって、新たなものを受け入れられなくなってしまった気がする。過去の部屋に閉じこもったままだ。でも、一冊の本と一杯のコーヒー、そしてジャズ、ブルース、クラッシック。「小さく隔絶された空間で何かに打ち込む場所」は、物理的な世界から脳裏に創造された世界へと変わった。
でわでわ