徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

京の友よ!儀範たれや!

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      上賀茂 樫の実学園の塀

 

前稿で【『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」】について書きました。その後、友人のFacebookでの投稿によるすすめで、あるYouTubeコンテンツを見ました。創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツでした。

 

友人というのは、京都時代に大学受験のために通っていた塾で知り合った松井孝治君です。彼は京都でも有名なホテルオーナーの次男坊で、洛星高校という京都の難関受験校に通っていて、東大へ現役で合格し、通産省(現在の経産省)を経由して参議院議員になった絵に描いたようなエリートでした。わたしと彼は、高校3年生の時に塾内ではなく、塾の近所にあった「マリン」という喫茶店を舞台に青春のほんの1ページを描いたに過ぎない関係でした。

 

わたしが、東京に転勤になり松井君に会おうと連絡を取ったとき、彼はすでに通産省に勤務していました。あるとき、彼のオフィスに訪ねていきました。書類だらけのオフィスで、「虫が出るぞ」と彼にいったのを覚えています。美しくスマートなオフィス環境で中央官庁の方々は働いているものと想像していたのですが、いやはや当時は全然そうではなかったのです。

 

数年後彼から、結婚するので式に出席しないかと誘いをいただき、参列させていただきました。まさに竹下政権誕生のその日で、さずが出席者の数人が官庁と結婚式場を忙しく行き来しておられたのが印象的でした。その次に彼と会ったのが、彼が参議院に立候補したときでした。予想に反して民主党からの出馬でした。京都にベンチャービジネスの象徴的存在であった堀場製作所の堀場社長が、彼の後援会長に就任されていて、わたしは末席に登録させていただいたわけです。

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その時から、ある意味で遠い存在になってしまった松井君。なんと次にこちらからemailで連絡を取ったのがつい先日、彼は離党して慶應義塾大学の教授となっていたのです。以来、Facebooktwitterで彼の投稿を目にする日々が続いています。2021年9月20日、彼の投稿で創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツを知りました。東大名誉教授の御厨教授、日本経済新聞編集委員の清水真人氏、そして松井君の対談を見ることにしたのです。

 

初めて知ったのですが、松井君は一般財団法人創発プラットフォームの理事で、御厨教授は評議員議長でいらっしゃいます。松井君が理事だとは知らず、以前から創発プラットフォームのコンテンツは好きでよく拝見してました。また、13回にわたる松井君へのインタビューがコンテンツにあるのですが、そこでも彼との空白の年月、彼がどんなことに携わってきたのかを初めて知ることになったのです。

 

1990年代後半の橋本政権時代、30代半ばのエース官僚たちが官邸に集められ、省庁再編、そして官邸強化に携わったことがあったが、そこで重要な役割を彼が果たしていたとか、鳩山政権時代に内閣官房副長官であったなど、続々と彼の立派な活躍を知ることが出来、改めて彼の偉大さを思い知りました。

 

さて、『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』の対談や、御厨教授と三浦瑠璃子さんとの対談で、御厨教授が「リーダーが小粒になり」だとか「菅総理なんかはこんにちはと声を掛けるとこんにちはと返してくれそうな」と、昔の総理大臣にはもっと風格や威厳があったのだがと述べられていたのが印象的でした。

 

これは、わたしが述べた『器』に対する認識と重なるところがあると思ったんです。御厨教授の分析で興味深いのは、「メディアと通信手段の変容」がそれに関係しているとされている部分です。昔は、新聞の紙面で政治家の様々を知りました。その後テレビが加わり、1990年代にファックスという通信手段が生まれ、そして今はというとスマートフォンSNSというように変遷してきた。

 

そういえばこんなとがあった。

 

 沖縄の本土復帰から1カ月後の1972年6月17日土曜日。佐藤栄作首相が7年8カ月の長期政権の退陣を発表し、首相官邸で記者会見に臨んだ。「テレビカメラはどこかね」。会見場にびっしりと顔を並べた新聞記者たちを前に首相はけげんそうな顔をした。「新聞記者の諸君とは話をしないことになっていたんだ。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。首相は話が違うといわんばかりにそう言うなり、引っ込んでしまった。

 竹下登官房長官の取りなしで首相は会見場に戻ってきた。「そこで国民の皆さんにきょう……」。言いかけると、前列の記者が声をかけた。「総理、それより前に……。先ほどの新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」。

 「出てください。構わないですよ」。間髪を入れずに首相はテーブルを右手でたたき、大きな音が立った。「それでは出ましょう」。記者は応じた。一瞬置いて別の記者が「出よう、出よう」と呼応した。ぞろぞろと席を立っていく記者を首相は目を見開いてにらみつけた。

                               出典:毎日新聞

 

政治家たちも、メディアの変遷にともなって、それぞれにどう付き合っていくかを必死に考えてきたのでしょう。メディア対策がうまい政治家もいればそうでない政治家もいる。また、メディアというのは政治家vs国民という関係だけではなく、政治家vs政治家という関係においてもっと戦略が必要になる。SNS時代になった現在、政治家も裏で取引する以外に、メディアの使い方が思い浮かばないのかもしれない。一億総メディア発信者時代になっているので、ことが即座に伝わってしまい、情報伝達がリアルタイム化してします。そのせいもあってか、政治家にとってメディア戦略が複雑で難しくなる。

 

そうして、メディアを意識するが故に、反応にビクビクし『小粒』になっていくという現象が起こる。確かにそういうこともいえそうです。わたしには、もう一つ大事な政治家の変容のポイントがあります。それは、御厨教授もおっしゃっているように、「国民に必要なことを懇切丁寧に説明しない」という点でです。わたしはこれに「自分の言葉のありようで」でと付け加えたい。

 

つまり、政治家が政治政策や理念を伝えたり、国民を説得するには、「両刃の剣のように鋭く刺し通す」言葉の説明が必要です。遊説の時も委員会の答弁の時も、いつもそれが息をするように出来なければならないと思うのです。それを伝える手段としてメディア戦略というのは必要になるのだとわたしは思います。

 

なぜ今の政治家はそうではないのか?言葉はどこか上っ面で「聞き心地の良さ」だけが目立ち、大事な情報は隠す、詳細を説明しない!これでは、多くの国民は蚊帳の外だと感じ、政治から遠ざかります。そんな状態でも長期にわたって与党の座に座ることが出来ている。それが、おごり高ぶりを許す環境になってしまっている。しかも、行政文書の改竄までしてことを隠す、デモも反対運動もおこらない、国民を愚弄しているとしか思えないことがまかり通る。悪循環です。

 

大河ドラマの『西郷どん』のなかで、西郷吉之助が篤姫をつつがなく将軍家に嫁がした直後に、主君である島津斉彬とサケを酌み交わすシーンがあります。そこで島津斉彬が酒をついだ切り子ガラスについて「これは金のなる木じゃ」と、藩で製造させている物の説明をするシーンがあります。そこでこう言います「新しい技術を身につけた職人たちが金を稼ぐようになる。便利な道具で百姓たちは多くを実らせ、商人たちがそれを持って交易を広げていく。皆が豊かになる。暮らしが豊かになれば皆が前を向く。国は自然とまとまる」。その通りです。

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ボブ・マーリーの曲に『Them belly full 』があります。「Them belly full but we hungry A hungry mob is an angry mob・・・」(彼らの腹は一杯だが、我々は腹ぺこだ 飢えた暴徒は怒っている・・・)と始まる曲です。『民』の腹を満たすのが政治ではないでしょうか?そのための仕組みを作るのが政治ではないでしょうか?以前、日本にもそのようなことを信念にし身を賭した指導者はいたのです。

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デジタル庁でも宣言しているように「誰一人取り残さない・・・」、この言葉は自民党総裁選候補者も唱えている。ならば、彼らは答えなければなりません。「誰一人取り残さない・・・」とは、どのような状態なのか?一体何をどのようにすることで、「誰一人取り残さない・・・」という状態が実現できるか?

 

ご存じでしたか?1997年の日本人の平均所得は、3万8823ドルと、スイスやルクセンブルクに次いでOECDで3番目の堂々たる高水準でした。OECDの平均値2万2468ドルの1.5倍以上です。かつての日本はこれほどまでに、高い水準の経済力を誇っていたわけですが、現在はこの平均値にも満たないレベルになっているというわけです。一方で、大手企業の幾つかは、過去最高益を更新しているというのにです。

 

ドイツが年率で約2%成長、米国や英国、カナダが年率約3%の成長、韓国が年率約4%の成長となっている一方で、日本だけが、なぜか成長しておらず、むしろ停滞しているという事実にがくぜんとします。

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平均所得変化率 実質値 (OECD統計データ より)

 

コロナ対策はといえば、政府や専門家委員会の施策とは明らかに無関係に、感染者や死者数は変化している。いまだに、マスコミは「先週の何曜日と比較して増加しています」か「減少しています」といった報道を繰り返しているだけで、「なぜそうなのか?」と追求することを何もしない。

 

日本国民はこんな状況の中で、昔のように「米騒動」のように怒りを爆発させたり、政府への怒りのデモ行進をするわけでもなく、「豊かさ」の定義を変えたりしながらなんとか前を向こうと懸命に生活している。世界でも珍しい国民です。これがある意味では、自民党長期政権を許し、渋沢栄一が賢明に避けようとした「官尊民卑」的政治を生きながらえさせてきたのではないかと思う。

 

わたしは、かつて大学自治会の委員長を務め、学生運動に身を投じてきました。学生自治会とは、勝手に学生が作り上げた任意に存在している組織ではなく、大学当局との間で排他的統治を合法的に認められた団体(国際法に準ずる)のことです。ですから、規則に定められた選挙によって選出された委員から、選挙によって執行部を選出し、半期毎に学生大会を規則によって定められた学生の出席数の基で承認された自治会方針に従って執行運営されるものなのです。であるからこそ、大学当局との交渉権を有していたわけです。

 

学生大会に提案する方針案は、前半期の活動の総括、不十分であったことあるいは達成出来たことの原因を明示し、各情勢の分析に則って何をどのように執行するのか(当然学生の学ぶ権利の保護に関して)、なぜそれが重要であるのか、を明確に示すものです。そしてその合意を学生大会で獲得せねば成立しない、なにもできないわけです。情勢分析とは、国際情勢、国内情勢、そして教育・学園を巡る情勢を分析したものを指します。それを分析するために、有識者つまり教授陣やシンクタンクの研究員のような立場の方の協力も得なければ分析できないような代物です。

 

中でも重要なのは、過去提案した方針とその実行結果の総括です。なぜ成功したのか、なぜ不十分に終わったのか、なぜ間違ったのか。それらを赤裸々に分析し過ちや間違いがあれば、包み隠さず学生の前に提示して、次の方針を提案する。これが最も重要な営みです。果たして、今の政党や政治家は、そうしていますか?わたしには、全くそうしているようにはみえません。

 

友人の松井君は、かつて民主党時代の活動を13回にわたる創発プラットフォームのインタビューという形式をとりながら総括されおり、間違い、未熟さ、などをはっきりと語り、謝ったりまでされおり、わたしは感動しました。政治家という舞台を降りられたから出来るんだろうといってしまえばそうなのかもしれませんが、こういった態度が政治家に必要な謙遜さ・謙虚さだと思いました。全ての政治家が見習うべきだと思ういます。

 

松井君、君こそが総理の座を目指してくれないかなあ?(^-^*)

 

でわでわ