徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

人間の人間たる所以ー「分かち合う」

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嵐山の紅葉

暑さが和らぎ、そして寒いとすら感じるときがある今日この頃。すでに、紅葉のみられるところも報告されるようになりました。今年は秋刀魚が豊漁だそうで、安く太った秋刀魚が手に入るか楽しみですね。わたしは、京都出身なもので秋の紅葉は楽しみでなりません。渡月橋からみる紅葉、高雄神護寺でみる紅葉、鞍馬の貴船神社の紅葉、これらがわたしにとっての秋の紅葉なんです。秋は豊かな食彩の時期。丹波の松茸やくり、九条ネギや堀川ゴボウなども旬を迎えます。

 

秋は食材の時期でもあり、試作の時期でもあります。たまに歩いた哲学の道高瀬川沿いの小道は、なんとなくもの悲しい雰囲気もあり、考えに耽ってしまう。四条河原町を上がったところにある名曲喫茶『築地』に立ち寄ることもしばしば。浪人中は、西田幾多郎三木清の著作を読み、なんとなく哲学に憧れたのを記憶しています。

 

さて、岡潔(おかきよし)という名前をご存じでしょうか?日本を代表する数学者ですね。当時世界中の数学者が難問で避けていた多変数複素関数論の研究で人間業とは思えない仕事をした人です。戦前、戦中、戦後を生きた人です。

 

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岡潔は数学者であると同時に、岡哲学とでもいうことが出来る多くの思索を残している。『春宵十話』(しゅんしょうじゅうわ)や『紫の火花』(むらさきのひばな)はその代表的な著作物です。かれの思索のなかでの一つのキーワードが「情緒」、岡潔は言う「数学の本質は『計算』や『論理』ではなく、情緒の働きだ」と。解りますか?

 

「数学の発見をするとはどういうことか。高い山のいただきにある美しい花を取りに行くようなものです。もともと美的感受性がないと、花を手に入れようとも思わない。そこに花があることにも気づかないし、登っていく意欲も湧かないでしょう」と説明されれば解りますよね。

 

岡潔は、日本の教育を憂い著作の中で多くのことを述べている。「人間は動物だが単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽を継いだようなもの、つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したもの」とし、戦後の教育は動物性を伸ばしていると憂うのである。「人たるゆえんはどこにあるのか。私は一つにこれは人間の思いやりの感情にあると思う」「人の心を知らなければ、物事をやる場合、精密さがなく粗雑になる…対象への細かい心くばりがないと言うことだから…いっさいのものが欠けることに他ならない」。

 

ここで動物性と表現されているのは、生存本能や闘争本能のことのようです。受験に端的なように「人より高い成績を」とか「人に負けてはいけない」とか親や教師から聞かされることがあるでしょう。情緒すなわち人間の思いやりの感情や対象への細かい心くばりがどこかへ追いやられてしまう様ですねじっくりと時間をかけて人間性を成熟させるべきであると深く危惧されているわけです。

 

そして、純粋直感による少しの打算も分別も入らない善行を積み重ねることを強調されている。例えば、ある大人が通勤途中に川で溺れている小さな子供を見つけたとき、とっさに飛び込み、子供は助かったが助けようとした大人が亡くなってしまう、なんてことがありますよね?このとき、この大人は「池は深いのかなあ?泳げるかなあ?助ければ感謝状がもらえるかなあ?」などどと考えた末に飛び込んだ訳ではないですよね。これは、ちょっと極端な善行の例ですが。つまり人の悲しみを全く自分のこととして受け止めること、決して悲しんでいる人を見て「かわいそうだな」と同情したり、「きのどくだな」と哀れむことでもないのです。あの宮沢賢治の『雨ニモマケズ』と同じ思いです。

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さて、岡潔日本国憲法について面白いことを言っています。「なっとらん!」と、日本国憲法前文を評します。「日本国憲法前文に、「自由」・「平等」はたっぷり謳われていますが、「博愛」が入っていない。自由・平等は“自己主張”、博愛は“自己犠牲”、自分の感情を抑えないと他人の気持ちはわからない。博愛こそ、社会を営む基本。」という風に。「自由・平等・博愛」とはフランス革命のスローガン・精神でフランスの3色旗はそれを表現しています。

 

わたしは、大学で憲法学(国法学)を学びましたが、これは非常に新鮮だと思いました。「博愛」憲法上の条文にするのは難しいけれど、前文の精神に書き込むことは出来ると思います。しかし、岡潔の主張はもっともだと思います。

 

博愛=自己犠牲、純粋直感による少しの打算も分別も入らない善行、まさにこれこそが人間が多の動物と区別される所以であると思います。しかし、ひょっとすれば「岡潔は仏教に被れていてこれは単なる彼の思想に過ぎないんじゃないか?」と疑義を持たれる方もいるかもしれませんね。

 

ところが、わたしたちの存在そのものが、それを科学的に証明する証拠なんです、といったらどうでしょうか?「ほんとう?」って思いますか?考古学の発見や脳科学の実験などさまざまな実験を通してこの人間と動物の違い、人間が人間である所以が解き明かされるのです。

 

NHKが制作した『ヒューマン なぜ人間になれたのか』をご存じでしょうか?「人間とは何か。人間を人間たらしめているものとは一体…。現在、地球上に70億人いる人類。民族、宗教、イデオロギーはさまざまだが、誰もが共通して持つ“人間らしさ”、それは20万年という進化の過程で祖先から受け継いできた、いわば“遺伝子”のようなもの。それは今もこれからも私たちの行動を左右していく。私たちはどのように生きるのか。私たちの底力とは何なのか。“人間らしさ”の秘密に迫る。」(出典:NHK

 

この番組に紹介される内容を順不同にみてみましょう。そうするとあることが判明してきます。

 

第1に「幼児の精神的な病気」と紹介されるアメリカでレポートされた事実です。親のいない幼児91人を調べたところ2歳になるまでに37%の幼児が命を落としていた。どの子も栄養や衛生は問題なかった。発見されたその要因は、「Lack all human Contact」、つまり「コミュニケーションの欠如」であった。幼児に対する話しかけは行われず、ひとりぼっちであったのです。これは幼児だけのことではないのです。母親もひとりぼっちで悩み、病に陥ることはまれではないでしょ。

 

こんなことは、チンパンジーや多の動物の世界ではあり得ないことです。これをみて思い出したことがあるんですが、かつて、狼に育てられた少女のドキュメンタリーを読んだことがありました。人間に発見された時は四つん這いで歩き走っていた。当然、言葉はしゃべれない。赤ちゃんは、育てた親が日本語でコミュニケーションすれば日本語を話すようになるし、英語あれば英語を話すようになる。猫が生まれてから人間に育てられたからと言って、人間の言葉をしゃべるだろうか?二足歩行するだろうか?この少女は、人間の行動がとれるように戻そうとしているうちに死んでしまいました。

 

ということは、人間だけが人間になるために他者としての人間を必要とするといえないだろうか?

 

現在も、人間と他の霊長類の脳の差異に関する研究が行われています。人間とチンパンジーの違いは、遺伝子のコーディングのうち2パーセント未満にすぎません。どのようにして、これほどまでにほかのサルと似ている人間のDNAが、大きな脳の違いの原因となっているかを解明することが研究の目的です。

 

人間の脳では、チロシンヒドロキシラーゼ(TH)遺伝子として知られるものが、より多く発現していたことが判明し、これは神経伝達物質ドーパミンの合成に一役買っているということが判明しています。そして、新皮質には、ドーパミン作動性介在ニューロンドーパミンを主要神経伝達物質として利用するニューロン)が存在し、これが大型類人猿には欠けているとも判明しました。

 

「興味深い発見です。なぜなら、ドーパミン作動回路は多くの重要な認知機能、気分の制御、作業記憶の機能に関係しているからです」と、ピサ大学生物学科の研究者で今回の研究に参加したマルコ・オノラーティは『WIRED』イタリア版に語っています。しかし、わずかこれだけであることも事実なんです。

 

とはいえ、比較的容易に出来る実験でそれ以上の違いが分かってきます。更にそれらを紹介しましょう。

 

2匹のチンパンジーを使った協力行動の実験です。写真のようにプチとマリを仕切られた檻の中に入れます。プチの檻の前に手を伸ばしても届かないところに好みの飲み物を置きます。マリの側にはステッキを置いておきます。プチはステッキを使って飲み物をとるために、マリが手にしたステッキをさして貸して欲しいという仕草をします。それまでマリは知らん顔していますが、手を伸ばして貸して欲しいジェスチャーをしたのをみて、プチにステッキを渡します。プチはそれを使って易々と飲み物をとり飲むことが出来ました。もちろん感謝の印にとマリに飲み物を分けるなどということはしません。

 

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2度目に同じことをやってみます。人間ならマリに解っているのだからステッキをプチに渡してやればいいのにと思いますが、プチが明示的に貸して欲しいというジェスチャーをするまでは、全くの知らんふりです。つまり、おもんぱかったり、思いやりで自発的に協力したりという行動をチンパンジーはとらないということが解ります。この実験は、異なったチンパンジーで地道に根気よく何度も実験を行っているが、結果は同じでした。

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どうしてでしょうか?番組の中ではこう説明しています。人間の場合、狭い産道でしかも横向きの径の長いところから回転しながら生まれ出るには、身体の小さい赤ちゃんの状態で生まれなけばならず、基本的には難産になり、生まれ出るときから他者の手を借りて生まれ出ます。成長するのにも他者の協力が必須であるためだと説明しています。たしかに、チンパンジーは、お産の時は全て自分一人ですよね。なるほど、この時点から人間は他者の自発的な協力を必要とするわけですね。

 

狩猟採取で生活をたてていた古代社会では、非常に平等な社会であったことは知られています。現在でも古代社会と同様な暮らしをしている部族は世界にいくつもあることは知られています。当然、狩猟採取をするわけですから、食物は時には部族の人数をすべておなかを満たすだけとれない場合もあります。また、協力しないと狩猟も出来ません。生きるためには協力が必須なのです。ですから、誰が獲物を捕っても皆で平等に分けます。そして分け前にあずかった人は、お礼を言うわけでもない。なぜなら、平等に「分け合う」ことが当たり前のこと、自分が獲物を捕獲出来ないときも、分け前にあずかり生きていけるためなんですねえ。

 

また、児童心理学の研究から次のようなことが分かっています。人間の乳児の最初の行動のひとつは物を拾って口のなかに入れることです。次の行動は拾ったものをほかの人にあげることです。それは世界共通だという。米国でも、欧州でも、日本でも、乳児は同じような本能的な行動パターンを示すという。

 

ここまでで、どうやら人間の人間たる所以は、「分かち合う」「助け合う」ことにあるようだとわかりますね。ここからは、人間は他者をどのように認識するかという実験や事例が登場します。そして、よりその人間たる所以の核心に迫ってゆきます。

 

イラク戦争を覚えているでしょうか?あるときアメリカ軍が地元の宗教指導者と折衝しようとある街を訪れたとき、住民はアメリカ軍が宗教指導者を捕縛に来たのだと思い込み、アメリカ軍の行動を止めようと向かってきたことがあった。口々に帰れ帰れと叫び、アメリカ軍を取り囲んだ。対話しようにも言葉が分からない。とっさにアメリカ軍の司令官は部隊に向かって思いもよらぬ指示を出した。「everybody smile」(笑うんだ)! すると事態は一変し、住民は敵意がないことを理解した。

 

この司令官が言うには、「私は89カ国へ行っているが、言葉の壁はあっても笑顔がつうじなかったことはありません」。「笑顔」が、協力関係を築く糸口になっているのでですね。

 

赤ちゃんにこんな絵を見せる実験がありました。鉢の上に野菜をのせた絵です。これを逆さにすると帽子をかぶった人間の顔に見えるのです。この二つの絵を見るとどのように赤ちゃんの脳が反応するかという実験です。顔に見える絵を見せたときは、野菜に見える絵の時と比べて盛んに左脳が反応していることが解りました。次に、目の機能は正常で脳の視覚野へは見た画像は送られているが、その視覚野が損傷しているために最終的にその画像が認識できないという黒人の男性がでてきます。この男性に、怒ったり、不機嫌な顔をしている顔の画像と、笑ったり、微笑んでいる顔の画像を複数枚見せます。驚いたことに、男性は「ポジティブ」な表情か、「ネガティブ」な表情かを確実に答えることが出来るのです。四角や丸などの図形では、一切認識できないのにです。どういうことでしょうか?

 

これは専門的には「blindsight」とよばれています。どういうことかというと、表情をみている場合、脳の中で活動しているのは視覚野ではなく、扁桃体という場所であることが解っています。扁桃体は、命に関わる情報を処理する場所として知られています。どの人間でも、無意識のうちに他者の喜怒哀楽の表情をこの仕組みで推察しているわけです。

 

つまり、赤ちゃんと同様、人間はその歴史のはじめから仲間とともに生きることが必要な生き物でした。だからこそ、相手のうちにある感情、すなわち喜怒哀楽を認識する能力が備わっているのだと、科学者はいいます。この仕組みが、人間の自発的な協力を生む鍵なのです。これは、人間が集団で生活するために備わっている機能といえるでしょう。

 

チンパンジーの実験、イラクの例、赤ちゃんの実験、画像を認識できない人の例、どれをとっても人間だけが「無意識のうちに他者と協力し合う」ことが出来ることをしめしています。がしかしです。キイロタマホコリカビという粘菌も協力し合うという例が出てきます。周りに食べるものがなくなり生命に危険が及んだとき、十万匹以上が集まって集合体を作り始める。その目的は、高く伸びた先に胞子をつけ遠くに飛ばすためです。この先端部分の胞子だけが遠くに飛ばされ生き残るわけです。残りの細胞は全て犠牲になる。人間には出来ないですよね。この協力はすごいが、確かな限界がある。集まり協力し合うのは、同じ遺伝子のグループに限定されてると言うこと。人間で言えば家族や限られた親戚だけということになる。

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人間は違う!

 

どうして人間は、世界中拡散してに移動し生存できたのだろうか。きっと他者と笑顔で分かち合い生き延びてきたからだろうと推測できる。実験は続く。

 

無作為に抽出した人に、一定額のお金を渡し(例えば1万円札10枚とか)、それを全て自分のものにしても良いし、他人にあげても良いので好きなようにしてくださいといってそばを離れる。この実験を多くの人に行うと一定の傾向がみえてくる。どの国、どの場所でも、人に分け与えないと言うことはなく、少なくとも20%は他人に分け与えるというほぼ同様の結果になりました。

 

さて、日本ではどうだったのでしょうか?結果は、自分が56%をもらい、44%を他人に分け与えるという結果になったそうです。どう思いますか?まだ、他者と笑顔で分かち合う機能は生きているんですね。

 

アフリカのカメルーンのある街に、世界中の研究者が注目する場所があるという。第二次大戦後に貨幣が使われ始めた村で、少し離れた密林の村ではまだ狩猟採集生活を送っている村がある。それぞれは同じバカ族です。その二つの場所の人々をモニターし比較しているのです。先ほども記述したように、狩猟採取で生活しているほうの村では、獲物を平等に分け合う。この村でもっとも嫌がられるのは、分け与えたことを自慢したり、隠し持ったりすること。ですから、人から抜きん出て成功しようとする人は出てこない。しかも富を蓄積することが難しい社会です。お金が現れる遙か以前は世界中そうであったようです。

 

では、お金が生まれるとどうなったのでしょうか?その最初であるメソポタミア文明を生んだシリアのハッサケ地方をみてみます。世界最初の都市といわれるテルグラフはここにあり発掘が進んでいます。その発掘で解ったことは、麦がお金の役割をしていたということです。麦を通してものが交換されるわけです。この交換という行為も人間しか出来ない行為であることをご存じですか?

 

このころから、職業というものが生まれ細分化していきます。麦を始め穀物の生産も3倍に拡大しています。つまり、交換が盛んになったため麦が大量に必要になったのでしょう。そして、より大量に麦や穀物を生産できる技術を持ったものが現れ、人口も急激に増えていきます。この後、次々と都市が建設されていきます。

 

そして、ギリシャアテナイで、民主主義、哲学などが生まれます。そしてもう一つ、それは銀貨です。刻印によって純度が担保された銀貨ですね。物々交換だと、お互いに欲しいものを持っているとは限らず、自分が持っているものと欲しいものを持っている人を見つけなければ交換は成立しません。しかし、価値を担保されたお金を介することによって交換は非常に楽になり経済を発展させることになりました。この通貨で交換を可能とする経済圏はたちまち拡大します。しかも、麦などと違い、貯めることができるという重要な特徴があります。

 

通貨は、麦などと違って腐ることもなく永遠の価値を持ちます。そこで、先ほどのバカ族のもう一つの村、通貨が流通し始めた村です。この村のある村民が、いままではとってきたものは全て分け合っていたにもかかわらず、分け合う前に一部を都会から移住してきた商人のところへ持って行き、売って通貨に変えたのです。この村民はこう言ました「みんなには悪いと思ったのですが、どうしてもお金が欲しかったのです」と。彼はこのお金で石鹸や塩を買いました。

 

そして、その後この村民は、高値で売れるカカオを育て、もっとお金を手に入れようと計画しました。作業員を出世払いで雇い、土地を耕し始めます。こして、狩猟採取のその日暮らしの生活から、長期的的な展望を持った生活に変わっていきます。しかも、主従、いや雇用関係も生まれたわけです。「分かち合う」という関係を犠牲にしたわけですね。

 

このように、本来人間たる所以であった「分かち合う」を駆逐していったのは、農耕と貨幣であることが解っています。そして、格差が生まれ始め持てるものが支配者となり、土地を耕すものから税金を徴収し始める。支払いを満たせない場合は家族を引き裂き、奴隷として売り飛ばすことも始まります。この欲望による暴走を抑制するために、「アマギ」といういわば徳政令のようなものを、メソポタミアではほぼ毎年行っていたそうです。そやって、奴隷にされた人を社会の一員として復帰するチャンスを与えていたということです。

 

 

貨幣への欲望が高まるのは、脳科学的には快楽を司る腹側線条体といわれる部分が関係しています。株取引をしているディーラーを観察すると、儲かる金額が多ければ多いほど腹側線条体が活発に活動していることが解ります。つまりお金を求める欲望にはきりがないように見受けられます。

 

ここで面白い実験をみてみましょう。2人の人を向かい合って座ってもらいます。そしてくじを引いてもらうんですが、一つは「Rich(お金持ち)」もう一つには「Poor(貧乏)」と書いてあります。「Rich(お金持ち)」を引いた人には参加料として80ドルを、「Poor(貧乏)」を引いた人には30ドルが渡されます。つまり格差をつくるわけですね。このあと50ドルを一人に配るのですが、「Rich(お金持ち)」に配って合計130ドルになったとき腹側線条体が少し上昇します。つまり喜んだわけですよね。こんどは、50ドルを「Poor(貧乏)」に配って双方が同額になったとき、つまり格差がなくなったとき、「Rich(お金持ち)」の腹側線条体は極めて激しく反応したんです。

 

この測定を20人に行うと、なんと腹側線条体の上昇率は5倍も大きかったのです。お金を儲ければもうけるほど、腹側線条体は大きく上昇し快楽を感じると思われていたのとは逆の結果だったということが解ったわけです。公平であること、差がなくなるということを、脳はとっても気にしており喜ぶのだといえます。ここで重要なことがあります。この二人は、面と向かって座っているということです。つまり、目の前でおこっている格差を慮って、「分かち合う」という心が動き始めると言うことです。

 

岡潔は、人間たる所以であるつぎ木された人間性、つまり人間の思いやりの感情(「分け与える」)をじっくりと育てる必要があることを、一貫してその著作で述べている。動物性が勝り始めた世を憂えてのことである。わたしたち人間には、他者を前提に共存し、「分かち合い」、公平であることを喜び、無意識のうちに利他性を発揮する、能力が存在することは科学的にも証明できる。

 

がしかし、それを阻み動物性の頭をもたげる要因が、農耕と貨幣によって再生産されているのが今の世。そうなると、教育されトレーニングされなければ人間性という芽を覚醒することは出来ないわけです。証明もできない、考古学上の発見でどんどん変わっていく進化論などを教える時間があれば、動物・昆虫・植物・その他一切の生物の驚くべき造りをつぶさに観察することを通じて、自然への畏敬を育てる方がよほど人間性を深く理解することに役立つはずです。

 

人類がそれに気付き、まずは自分の中に備わっている「分け与える」という人間性に従った生き方・行動をして欲しいものだと思う。止めどもない欲望に駆り立てられることへの歯止めとしての「アマギ」がまさに必要なのです。

 

でわでわ