徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

未来の働き方=リモートワーク? (2)

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前掲の「未来の働き方=リモートワーク? (1)」では、リモートワークに対する従業員の側から見た場合、実際やってみてどうだったのか、ストレスはあったのか、ということをアンケートなどを頼りに考えました。

 

結果的には、過半数の方が満足し継続したいと考えています。それに、20代の若者は積極的な感想を持っているが、年配の方になるとストレスを感じる人が多いということがわかります。

 

では企業側の意見を見てみましょう。組織・人事領域をテーマにした調査・研究・情報発信を行なっているカオナビHRテクノロジー総研は、2021年1月下旬に調査を実施している。それによるとリモートワークの実施率は、会社の規模が大きくなるほど高くなっていることがわかります。

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ホワイトカラー3職種(営業職、事務系管理職、事務職・技術系事務職)は、現場従業者が含まれる他職種と比べると、リモートワークの比率は39.5%と高かく、また勤務地域別では、首都圏のリモートワーク実施率が40.2%と顕著に高いという結果でした。

 

緊急事態宣言が発令された上でのリモートワーク実施率は全体で24.6%であり、決して高い実施率とはいえません。では、実施できない理由とはなんなのでしょうか?それをみてみることにしましょう。

 

アイティメディアが実施したテレワークの実施状況に関するアンケートによると、テレワークを導入できない理由のトップ5は、「出社しなければできない業務が多い」が最も多く65.5%、次いで「持ち運べるPCが与えられていないため」が40.8%、「社内の労務規定が整備されていないため」が34.4%、「環境整備に避ける予算がない、少ないため」が33.1%、「経営層の理解がないため」が25.5%でした。

 

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これらは、リーモートワークが適さない仕事を除けば、そもそもリモートワークを会社の制度として整備していないということになるでしょう。それは、経営者がリモートワークを取り入れることに消極的であることの表れではないでしょうか?

 

カオナビHRテクノロジー総研の別の調査項目で、「制度はあるが利用していない」という層も1割程度は存在するのですが、58.8%がそもそも「リモートワークの制度がない」と回答する結果が出ています。

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欧州の一部では、すでに労働者の「在宅勤務権」が認められており、ドイツや英国でも政府が検討を開始したと報じられています。日本では、企業に任されているだけなので、プレッシャーが全くない状態です。

 

さまざまな調査で明らかになってきているのは、従業員と経営者の間にある温度差です。経営者がテレワークに否定的な理由には、自宅で仕事をこなす形態だとサボる人が増えるのではないか、という考え方があるようです。

 

終身雇用とメンバーシップ型雇用で、机を並べて仕切りのないオフィスで仕事を長年してきた年配の社員や経営者が、「サボるのではないか」と想像するのはわからないでもない。そして対面でコミュニケーションしないと「良いアイデア」が生まれたり、「チームワーク」が生まれない、となんら科学的根拠のない思いを持つのも、「まあ、そう思うよなあ」と若干のシンパシーは持てます。

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こういうふうに考えてみたらどうでしょうか。従業員あたり、オフィスで仕事をしてもらうのに一体どれくらいのコストを企業が背負っているか?当然都心にオフィスがある場合は高くつきますが、使用している面積、交通費、その他で少なくとも月額8万円から10万円かかっているらしい。リモートワークに変えることで大幅な固定費の削減ができるのではないでしょうか?

 

都心一頭地のオフィスを取っ払って、必要なだけのコンパクトオフィスに変えて大幅なコスト削減をしているDeNA(株式会社ディーエヌエー)などの企業が出始めています。固定費を年間30%削減し、社員の生産性が上がり残業代も削減できている企業もあるほどです。

 

この状況を睨んで、さまざまなタイプのオフィススペースを作り、都心以外でもレンタルしている企業も増加している。共有スペースには木がいっぱいうわっていて、実っている果物を無料でもいで食べられるとか、面白い発想で生産性に寄与するというコンセプト。

 

わたしがいた、Googleのフィリピンオフィスでは、色々なタイプのスペースがあり、好きなところで仕事をしてもいいということになっていました。飲み物やスナックもフリーでした。一人で個室に籠るもの、大きな机で数人で仕事をするもの、寝転んでミーティングするもの、色々あって、自分の気分で選んでいたのを思い出します。

 

確かに、リモートワークを導入するにあったて、どの職種にどのように適用するのか?人事評価制度をどうするか?外部からのアクセス・セキュリティは?リモートワーカーへの補助はどうするか?押印はどうするか?さまざまな、経営にまつわる整備作業が発生します。そして、管理手法も変化せざるを得ないので、マネジメントのトレーニングも必要でしょう。

 

変化する時には必ず避けられないトレードオフがあります。そしてやってみなければわからないことも多々あるでしょう。マネジメント視点でのリモートワーク効果が有効かどうか、業務処理件数や処理にかかる時間はどうかなどを定期的に測定し、検証します。導入して終わりではなく、継続的に運用するために改善することは必須です。

 

いつの時でも、「変化は痛みや苦労を伴う」ものです。より良き未来のために、乗り越えるものです。決して経営側だけではなく、従業員側も同じでしょう。「リモートワークはやってみたけれど」的な話はいっぱいあります。小さな子供が家にいて、カンファレンス中にやってきて中断させられるとか、同僚と会えなくて寂しいとか、それらがストレスと表現されるわけです。

 

5%社員は午後の時間になにをしているのかといえば、主に「対話の時間」に充てているのです。インターネットなどから情報収集するのももちろん重要ですが、それ以上に「人から得られる情報を重視する」のも5%社員の特徴で、みずから動いて人に話を聞きに行く作業を積極的に行っていました。

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                  Amazon                 

 

これは、越川さんの分析です。5%の社員にはオフィスを動き回る習慣があるそうです。その目的は、仕事の質を上げるための情報収集なんですよね。

 

わたしが、産業アナリストをしていた時を思い起こすと、他の分野のアナリストの意見を聞くことはすごく大事でした。パーティションで仕切られた個人オフィスで仕事をしていましたが、必要な時に「ちょっといいですか?」と言って意見をもらいに動く。みんなそうでした。リモートワークになったら、「ちょっといいですか?」ってどうすれば良いのかと考え込んでしまいました。ほとんどは、椅子に座ったままの仕事ですが、個人ブースの門を叩くのは茶飯事でした。

 

まあ、全員がオンラインになっていて、メッセージを送ればできるような簡単なことだけれど、実際やってみるとどうなるんだろうかと思ってしまうんですね。

 

少なくとも今後は、「with コロナ」を前提に考えるしかない。とすれば、パンデミックをきっかけに「働き方」を見直し、従業員に生産性の高い良い仕事をしてもらうのは大きなメリットになりませんか?大事なのは、「やってみる」ことと、絶えずそれを最適化するために変更することです。いかがですか?

 

でわでわ

未来の働き方=リモートワーク? (1)

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Apple社のオフィスビル

Apple最高経営責任者(CEO)であるTim Cook氏が米国時間の6月2日に、9月より少なくとも週3日のオフィス勤務を開始するよう従業員に要請したことに対し、一部の従業員グループが異議を唱えているようだ、という報道がありました。

 

従業員グループの書簡を公表したのは、The Verge(Vox Mediaが運営するアメリカ合衆国の技術系ニュースサイト及びメディアネットワーク)です。その書簡によると、

「リモートワーク/柔軟に仕事場を選ぶ勤務形態に関して、幹部チームの考え方と、多くのAppleの従業員の実体験との間にずれがあるように感じる」

さらに、「われわれの多くは、自分の家族、幸せ、最高の仕事をするための権利と、Appleの一員であることのいずれかを選択しなければならないと感じている」とし、「多くの人はそのような選択をしたくない」

The Vergeによると、「この書簡はApple従業員約80人が執筆、編集した。約2800人のメンバーが所属する、リモート勤務推進派のためのSlackチャネルから始まった」としている。

 

Apple社は、リモートワークを一時的で例外的な措置と考えていたようです。対面でコミュニケーションを取ることで、画期的なビジネスを育むことができるという考え方を、設立時から持っていたようです。Appleの精巧なドーナツ型の本社には、共同創業者Steve Jobs氏の考えが反映されていて、巧みに設計されたオフィス空間が、従業員の間の予期せぬ相互作用を生み、まったく新しいソリューションが生まれるような何気ない会話などにつながるという思考を持っている会社であることで知られています。

 

これと真逆なのは、Facebook社です。Facebookは2021年4月18日、同社従業員は新型コロナウイルスパンデミックの後も自宅で働くことができると改めて発表したのをご存知だろうか?

 

ブルームバーグの報道では、フェイスブックシリコンバレーのオフィスを、2021年5月に定員の10%に限って再稼働する予定で、従業員はマスクの着用、ソーシャルディスタンスを義務付けられ、場合によっては毎週新型コロナウイルスの検査を受けると記事は報じています。

 

2020年5月に、FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグは、同社従業員の50%を今後10年以内に完全にリモートワークにしたいと述べています。約1年間の実践でリモートワークが、企業側にとっても高評価だったことが、2021年の発表で知ることができます。

      

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リモートワークに肯定的なのは、FacebookだけではなくTwitter社も同様です。マイクロソフト社は、「リモートワークが認められるのは平均勤務時間の半分以下」としています。

 

とにかく、リモートワークは現時点で賛否両論ですね。

 

わたしは、1987年から約6年間、ソフトウェアの開発の仕事をしていました。最初の3年間はいわゆる設計・仕様書に基づいて1からプログラムを作成する仕事でした。想像通り、長時間労働が当たり前でした。ある時、「社内で使う書類であれば、ミスコピーで生まれた紙の裏面を使え!」と言われて反発していた同僚がいたんです。

 

当時、プロジェクト管理で著名なトム・でマルコとティモシー・リスターによる共著である『ピープルウェア』という本が出版されていて、オフィスでの仕事の仕方や環境に問題を感じていたわたしは、この本に飛びつきました。「ソフトウェア開発社にとっての生産性」にまつわるオフィス環境のあり方を、様々な実験から合理的にあるべき環境を教えてくれています。

 

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                        Amazon

 

で、これを読んで分かったことは、「一回印刷した紙を使って、再度コピー機で印刷すると、未使用の紙でコピーした時よりコストが上がる」ということでした。「えっ?」と思われるかもしれませんが、裏紙を使えというのは、「もったいない」、いわゆるコスト削減だとの「常識」だと思っていたことが、実はそうではないということです。

 

この本では、産業として長く継続し主流だった製造業で「常識」だとされていた職場環境や生産性の向上方法が、ホワイトカラーのオフィスワークには適用できないことを示してくれています。「常識」と思っていたことを再検討することの必要性を痛感しました。

 

新型コロナによるパンデミックは、「常識」を再検討する機会を様々な面に与えていますよね。「働き方」や「オフィス」ということは、その際たるものでしょう。オフィスに集まって仕事をすることの重要性は、次のような考えに支えられてきたと言えます。

組織におけるイノベーションは、協力関係から生まれるものだ。会議などの公式な場、あるいは非公式な廊下などで出会う人々のつながりから協力が生まれ、顔を合わせて協力し合うチームからイノベーションが生まれると考えられてきた。

 

 しかし、これはリモートワークということを考えなかった時代に作られた理屈であり、しかも科学的な根拠もない代物です。

 

わたしが、ITRというリサーチ/コンサルティング企業に在籍していたことですのことですが、内山氏(現在会長)とGartnerを立ち上げ、軌道に乗った頃にGartner本社から会社をたたんで(Gartnerが買収するという意味)専属になるようにリクエストされて、それを断って有限会社ITRから株式会社化して東中野で4名でスタートした時に、どんな会社にしようかとみんなで話し合っていました。その時に「Appleのようにリラックスして寝転びながらミーティングできる部屋を作って欲しい」ということと、日本オラクルの常務だった熊坂さんからいただいたお祝い金で「高くても長時間疲れずに座っていられる椅子が欲しい」とリクエストしたのを覚えています。初期のApple社のオフィスでは、大きなクッションに座ったり寝転んだりしてMachintosh開発チームがミーティングをしており、その風景を写真でみたから、このような環境からアイデアというのは生まれてくるんだ、と勝手に思っていたんです。

 

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つまり、生産性やイノベーションを視野に入れたときに、そういう発想が出てくる時代だったのですよ。それと、目標通りに仕事をこなしていれば、出社時間に拘らない、3時間働いて帰宅することもいとわないという承認を得た、ってことかなあ。少なくともリモートワークなんて考えも及びませんでした。

 

今は、完全に自宅でを仕事をしており、、チームで仕事しているのはわずかなので全く問題なく仕事ができています。妻が料理の不得意な人なので、わたしが調理することになっています。わたしは、腎臓に問題があり野菜を食べるには30分以上水に浸しリンを除去しなければならないのです。つまり下準備のために炒めたりする1時間とか前にちょっとした準備が必要になり、家にいるのでそれも可能なんです。わたしにとっては、大きなメリットですね。

 

実際、コロナ禍でリモートワークを経験した人が、どう感じているかをみてみましょう。このテーマでの調査は、どの産業のどのような仕事をしている集団の調査結果かが結構重要で、結果も違ってくると思われます。ですからランダムな産業調査である方を、まず参照すべきだと思います。

 

社会調査などを手掛ける公益財団法人日本生産性本部が発表した調査の結果を見ます。これは、2020年の5月の調査のようです。

 

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次に、リクルートキャリアが2021年2月17日に発表した、「新型コロナウイルス禍における働く個人・企業の意識調査」の結果は以下の通りでした。

 

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これらから、過半数の人は、「満足している」と言っても良いでしょう。この割合は、オンライン主体のメディア業界のように、多くの従業員がパソコン主体の仕事をしている企業になると、満足度も継続したいという希望も高くなる傾向にあります。

 

では、リモートワークでストレスを感じたかどうかという点はどうでしょうか?リクルートキャリアが1月に行った調査では、新型コロナ感染拡大以降にテレワークをするようになった人に、テレワークにおける仕事上のストレスについて尋ねたところ、「テレワーク開始前にはなかった仕事上のストレスを感じたことがあるか」という問いに対して、「強く感じた」という回答が13.4%、「やや感じた」が46.2%となり、計59.6%が新たなストレスを感じていることが分かったという結果でした。

 

そのストレスはのちに解消できたのでしょうか?ストレス解消状況を年代別にみると、「解消できた」という回答は20代で41.1%、30代で35.4%、40代で32.2%、50~60代で16.4%。年齢が上がるほど長期間にわたってテレワークのストレスを抱えていることが分かります。「解消できていない」という回答は、50~60代では83.6%に上っています

 

では、「どのようなストレスを感じたかというストレスの理由や原因は?」となるとアンケートの取り方つまり回答の選択事項、調査の目的によって多種多様あります。例えば、リモートワークのためのシステムやルールからくるもの、システムの使い方の慣れ不慣れから来るもの、家庭事情から来るもの、仲間との触れ合いから来るものと、様々な要因があるわけです。

 

これらは、テレワークをしている従業員の側から見た結果ですね。次回は、企業の側から見たらどうなるかを眺めてみたいと思います。ぜひ、引き続き読んでみてくださいね。

 

でわでわ

亀裂に楔をー若者はSNSで政治を変える

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梅雨ですねえ。この季節は故郷の京都が恋しくなるんです。京都は雨が似合う街。わたしの通っていた高校は、北嵯峨高校といって大覚寺と大沢池に囲まれた場所にあり、遠くから見ると屋根の形がお寺のように見えます。

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わたしは北嵯峨高校の2期生で、ようやく校舎が完成した頃入学しました。悪い生徒で、授業をボイコットしては、自転車で嵐山や奥嵯峨へ行って、部活(剣道部でした)が始まるまで寝たり考えに耽ったりしていたんです。高校の周辺には、そんな良い場所がたくさんあるんです。

 

中でも好きだった場所は、祇王寺でした。ここには、苔に囲まれた庭園があり、しとしと降る雨がとっても似合うんですねえ。

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さて、毎日のように政府や政治家の報道、新型コロナの報道、オリンピックの報道、とどれをとってもなんか興味の湧かない「茶番劇場」を見ているように感じるんです。いかがですか?そして、テレビを見ることがほぼ無くなりました。気持ちが暗くなり、「アホらしくなる」からなんです。見る番組は、土曜日の「旅サラダ」「食彩の王国」そして「人生の楽園」になってしまいました。

 

もちろんニュースは見ますが、見たいニュースのテーマや質を考えるとネットサービスの方が、自分で選べるという点もあって、はるかに有益ですよね。

 

世間には、「ネットのニュースなんて信じられるの?」という疑問もあるようです。確かにSNSなどで流される情報には、たくさんのフェイクもあります。テレビでも「やらせ」があったり「捏造」があったりしますよね。お金儲けが背後にあって流される「情報」には、全く中立であるものは少ない。そこには何がしかのバイアスがかかっていると考えるのが自然だと思います。

 

ことにマイノリティに関する情報は、片隅に追いやられる、あるいは隠蔽されることが普通です。意識的に情報を探しに行かないと分かりません。

 

平成2年、西暦で1990年以降の投票率を見る限り、「政治への無関心」が若者層で増大していると言われています。しかし、その推移を見ると上昇下降の傾きは、年齢関係なくほぼ同じなのは不思議です。

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若者の投票率の低さや若者の政治離れに関して、さまざまな意見がある。例えば、「政治や選挙に対する学校での教育が不足している」とか「半分の国民が現状に満足し、投票に行かないというのはある意味で幸せな国だということだ」とか。

 

2019年に内閣府が行った13歳から29歳の男女に行った調査「我が国と諸外国の若者の意識に他に関する調査」を見てください。

政策決定過程への関与について日本の若者に聞いたところ、『そう思う』(「そう思う」と「どちらか といえばそう思う」の合計)と答えた割合は「子供や若者が対象となる政策や制度については子供や若 者の意見を聴くようにすべき」(69.5%)が最も高い。次いで、「私個人の力では政府の決定に影響を与 えられない(」58.5%)「、社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したい(」42.2%) となっている。 

 

ここから読み取れるのは、「政治が自分たちとは離れたところで政策を決めてしまっていて、自分たちを無視している」と捉えているということではないだろうか? 「社会問題の解決に関与したいが、為政者には手が届かない」と「諦め」てしまっている。

 

 「うそ、忖度、隠蔽、数の横暴」これが、高度経済成長以降特に顕著になっているのではにだろうか?高度経済成長期は、反政府の闘争も盛んだった。学生のデモ隊に、街のおっちゃんたちも加わった。一方でしっかり働き、しっかり「稼いで」成長を支えた。これが高度経済成長期でした。

 

経済が成長しているときは、同時に人々はいろいろな面でアクティブなのが、歴史の示すところです。バブル崩壊以後、成長は止まりゼロ金利の時代が続く。そして、社会が不活発になる。

 

しかし、決して若者(総称してはいけないかもしれない)が社会問題に無関心とは思えない。小さい動きではあるが、ともに考えて何かできることをしようという動きはあるし、就職ではなく起業を選んだ若者は、社会貢献を確かに意識している。

 

ちょっと待ってくださいよ、若者の意識やシチュエーションはよく理解できるが、もし何もしなっかたら一体誰が喜ぶのだろうか?誰が利益を享受するのだろうか?それは、力の強いものたちではないだろうか?

 

先日、東京オリンピック開催期間中の酒類販売の是非について、大会組織委員会が、会場での酒類販売を「検討中」と述べた。丸川珠世五輪相は閣議後の記者会見で、「大会の性質上、ステークホルダー(利害関係者)の存在がどうしてもあるので、組織委員会としてはそのことを念頭に検討すると思う」と述べた。東京都の小池百合子知事は記者団に対し、「組織委が担当として調整していると聞いている」と逃げた。

 

この事態に対して、SNSでは「五輪だけ特別なの」「ダブルスタンダードだ」などと反対の意見が相次いだ。#(ハッシュタグ)”五輪の中止”でツイートし、猛反発した。その結果、ついに一転販売を見送った(こそこそ隙間を作っているようだが)。

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ここからわかることは、2つある。1つ目は、政治を変えるのは選挙という手段だけではもはやない。2つ目は、大勢の意見を集約すれば政治は変えられるということではないだろうか?

 

しかも、SNSを使いこなせるのは若者です。大事なことは、しっかり意見を持ち、主張することですね。

 

しかも、このパンデミックで政府、行政、自治体、専門家委員会、などなど本来一枚岩であることが期待される中で、辻褄が合わない主張や言い訳の相違、つまり亀裂が隠せなくなっている。「赤木ファイル」や五輪に関する宮内庁長官経由の天皇の「開催に関する懸念」、財務省の緊縮財政論に対する経産省の積極財政論で対立など。

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こんな言葉を吐きたくなりませんか?「世も末だ」。まさに今まで是としていたシステムが機能不全に陥ってきていて、今までは「国民の目から隠しておけばなんとかできる」ということすらが通用しなくなるほどに、亀裂を生じていると考えられないだろうか?

 

私が、こういうことがわかるようになってきたのは、情報をしっかり集めて自分の中で消化し結論を出すように努力してきたからだと思っています。ですから、騙されないようにしっかり事実を分析し、「自分の頭で考える」ことがとても重要だと思うんです。

 

そして、若者には、得意な方法で「しっかり自分の意見」を発信してほしいし、「共感」を集めてほしいと願っています。

 

 

 

IT業界にいて感じたことー日本語の偉大さを発揮するということ

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IT業界で30年以上も働いていますが、色々な山と谷をみてきました。製品やサービスを販売するために必ずバズワードを広める。また、企業の収益が落ち込めばIT投資も削減される、がしかし、その投資の落ち込みは2年以上は継続しない。などなど。

 

昨年2020年のIT投資予算は、やはりコロナ禍で減少。しかし、今年2021年は増加に転じるようです。そしてここ数年の流行語大賞は、DX(デジタルトランスフォーメーション)ですね。ITベンダーはDXを印籠として「これが目に入らぬか!」と企業を揺さぶります。

 

その割には、ITベンダーは正しくDXを理解していない。何でもかんでもDXを枕詞に仕立てて製品やサービスを売ろうとする。コンサルタントは、それをいいことに、「わからぬのなら教えてしんぜよう!」とサービスを売る。こんな感じでしょうか?

 

一度聞いてみてください、「ではあなたはご自分の企業でどのようなDXを実践されているのですか?」と。DXを売り込みに来るのは、せいぜいITベンダーの部長さんレベルでしょ。責任を持って経営している立場ではないですからねえ。おそらくDXを具体的には説明できないと思いますよ。

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わたしは、1987年に就職しました。法学部を卒業したのですが、ソフトウェア開発会社に入ったんです。それまで、コンピュータなんてみたことも触ったことはありませんでした。せいぜいワープロを打ったくらいでした。でもこれからはコンピュータの時代、何をするにも避けられないと思ったからです。

 

大阪の当時80名くらいの規模の会社でした。当時はわたしのいた大学から、80名の(これでもすでに中堅のソフトハウスと言われていました)しかもソフトウェア開発会社に就職するのは稀有の存在でした。公務員や銀行、IT関連であればIBM富士通などのゼネコンに就職するのが普通だったんです。

 

入社して、3ヶ月間の研修を受けることになっていました。数名の先輩が来て、情報処理試験の教科書を使って講義が始まります。1週間して、頭痛とともに怒りのようなものがわき起こってきました。なぜかって?カタカナだらけだったからですよ。

 

例えば、「ハードディスク」って、わかりますよねえ。ところが、当時わたしの所属したチームは、IBM製のメインフレーム(大型汎用コンピュータ)用のプログラムを制作する仕事をしていたものですから、「ハードディスク」とは呼ばずに「ダスド」と読んでいました。転職した後知ったのですが、英語圏のエンジニアは「ダスディー」と呼んでいたんです。

 

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とにかく、カタカナ表記だらけだったんです。それを初めてコンピュータの世界に飛び込んだわたしに、あたかもすでに知っているかのようにカタカナ言葉を連発されるもので、怒りが湧いてきたんです。

 

「先輩、コンピュータを仕事にしようと意気込んでるわたしですら分からないのに、仕方なくお使いになるお客様が理解できると思いますか?」と食いついたんです。間髪入れずに「ひょうっとしたら講義されている先輩は、それが何であるかわかっていないからカタカナ用語で済まそうとされているのはないですか?」なんて突っ込みました。

 

それ以来、先輩達にはにらまれました(😊)。経験のあるエンジニア同士で話すのならカタカナ用語でも、まどろっこしくなくて良いでしょうが、そうじゃない人には例えを用いて説明するとか別の日常使っている言葉で話すよう努力べきでよね。そのためには、言葉のさすものをよく理解していることが求められます。

 

最近IT業界のトレンドとなっているものの一つに、クラウドコンピューティングというのがあるんですが、最も著名なサービス提供者がAmazon.comです。AWS(アマゾンウェブサービス)というものがそれです。

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ほとんど英語

AWSのサイトに行って、フリーのドキュメントやセミナーなどのビデオをみてみてください。「宇宙人ですか?」と言いたくなるくらいカタカナ用語の連発で、何を言っているかさっぱりわからないことが散見されます。これはほんの一例に過ぎません。

 

思い出すのは、学生時代に聞いたヘルメットを被ってタオルを巻いて拡声器でアジテーションするにいちゃんです。東大闘争や全共闘のビデオがYouTubeのも上がっていますから一度観てみてください。あと三島由紀夫が東大の駒場キャンパスて論争するビデオをみて観てみてください。

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何を言っているのかちんぷんかんぷです。彼らは、マルクスの哲学をそれなりにかじっているのですね。マルクス唯物論哲学の弁証法の説明の中に「絶対的矛盾の自己同一性」という言葉があります。彼らは、この手の言葉を多用し、しかも簡潔にかつリズミカルにアジテーションしようとするもんだから多くの言葉が省かれて、本当に理解不可能なあるいは自分たちの近しい仲間内でのみわかる自己満足言葉を使うわけですよ。

 

人とコミュニケーションしようという努力が欠如してるとしか思えないんですよ、わたしには。

 

「love」を「愛」と訳した最初の日本人は誰かご存知ですか?はい、福沢諭吉です。その後、二葉亭四迷夏目漱石などの文豪が「I love you」を「死んでもいい」、「月は綺麗」、と訳した。ちなみに「情報」という言葉もまた明治初期に現れています。

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加藤周一氏によると、「明治の翻訳主義が急速な日本の近代化の原動力」であったようです。英語で学んだ知識を英語で理解する方法と、母語に翻訳して理解する方法とがありますが、明治の日本では後者をとった。いくつかのアジア諸国、例えばインドではそれが難しかったので、そのため英語を早くから公用語扱いせざるを得なかったそうです。

 

つまり、西洋の近代技術を多くの人が理解するために、日本語に翻訳した言葉、それが大きく貢献し、小学校から大学までのすべての教育を自国語で行うことができたわけです。言語能力は思考力の基礎ですからねえ。しかも母国語の能力は外国語の能力と比較にならないほど高度。圧倒的に有利だといわけで、明治初期の10年間で奇跡的に日本を様変わりさせたというのです。

 

それにもう一つ、日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字形態を持っています。外国語をまずカタカナを使って音で貯蔵する。そしてやがて漢字で母語化するということができる、世界でも唯一の言語。これは、外国語を消化するのに力を発揮するわけです。

 

まあ、母語を英語にしてしまえば良いのか、翻訳主義が良いのか?はっきりとした、結論は持っていませんが、いずれにせよコミュニケーションする時はしっかり使う言葉を考える、使う努力は必要ですよね。でなければ、英語を公用語化することも考えるべきかもしれませんね。

 

でわでわ

 

わたしを覚醒させた書 ー 『人新世の「資本論」』

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フィリピンのルソン島に、タガイタイという阿蘇山カルデラのような所がある。ここにスターバックスがあって、素晴らしい眺望の中でコーヒーを楽しむことができる。わたしは、ここが大好きで、日本からの訪問者があれば必ずお連れしたものです。思索と想像に耽るにはもってこいの場所。

 

YouTubeで知って急いで購入した、斎藤幸平さんの書かれた『人新世の「資本論」』という書物があります。彼がわたしの通った大学で教鞭をとっている准教授だという親近感も加わって、またマルクス主義者であるというシンパシーも手伝って、食らいついたわけです。

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思い起こせば、高校3年の頃でした。思索に耽ったり、詩を書いたりすることが好きでした。共通一次試験の最初の世代だったのですが、「小論文」という試験が2次試験に導入された頃です。決して「小論文」対策というわけではないのですが、太宰治織田作之助中原中也加藤周一三木清、などの本をよく読んでいました。漠然と哲学科に進みたいなあと思っていました。まあ、実際には、わたしを法律家にしたいという父に負けて法学部を受験したのですが。

 

如何せん1校のみを受験したため、それが不合格となり、残念ながら浪人することになりました。高校3年生の時、実家は太秦映画村のすぐそばだったのですが、父が京都の鞍馬の入り口近くにある二軒茶屋(家の裏を京福電鉄が走っていました)というところにもう一軒家を買ったので、そこから塾(樫の実学園:京都市上賀茂)へ通うようになりました。貴船川の辺りに降りて、本を読むのが日課でした。

 

稲垣真美さんという岩波新書ブッダを背負いて街頭へ』や『兵役を拒否した日本人』などを書かれたノンフィクション作家が、通っていた塾の小論文の講師として赴任されました。その頃、親にねだって京都大学で教鞭ととった哲学者の『西田幾多郎全集』を買い揃えてもらい、先生とよく議論したのを覚えています。

 

法学部へ進学したのですが、そそくさと法律家は向かないと思い方向転換。法解釈学がつまらなくて、「なぜその法律がその時できたのか?今でも有効なのか?」というテーマに関心があり、法社会学や国法学を専門としたんです。大学には、甲斐道太郎先生という著名な民法学者で、法社会学の分野でも名の通った先生が2年に一回法社会学ゼミを開かれていましたので、参加することにしました。国法学は、ドイツの憲法理論を研究されている栗城教授でした。

 

なんとゼミ生はわたし一人、先生も「おおう、久しぶりのゼミ生だよ」とおっしゃってました。多くの学生は就職を意識して民法行政法のゼミに行くんですねえ。わたしは異端児というわけです。

 

テキストは、藤田勇先生の『法と経済の一般理論』、つまり「法のジェネシス論」(法の生誕の根拠)というマルクス主義に基づいた難解な書物でした。参加したサークルも「人権法律研究会」という冤罪事件や法曹の問題や矛盾を研究するところで、社会科学というマルクス主義を学ぶ例会もあり、マルクス主義法学を学間キュの中にいたというわけです。

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ということで、わたしは、すっかりマルクス主義の洗礼を受け、学生運動にも飛び込む羽目になりました。法学部には、唯一全学部生の中から選出された執行部や代議員が率いる自治会があり、私は委員長になってしまいました。労働組合釜ヶ崎の日雇い労働者に連帯して、でもにもよく参加しました。

 

また、ヘルメットを被った兄ちゃんたち(革マル派中核派第四インターなど)や共産党系青年組織の民青などともぶつかりながらやってましたねえ。わたしから見れば、自称「マルクス主義者」で歪んだマルクスの理解者にすぎませんでしたけどね。

 

こんなわたしは、長らくマルクス主義を堅持してきたのですが、いくつか疑問も持っていました。でも、ソ連崩壊後、マルクスを語る当時の友人も教授もめっきり少なくなり、以来、深く考えることがほぼなくなってしまったわけです。

 

そこにこの書『人新世の「資本論」』が登場したわけです。しかも、著者の斉藤幸平しは、わたしがマルクス主義の洗礼を受けた大阪市立大学の准教授ですよ。読まないわけにはいかないでしょう!

 

驚いたのは、ソ連邦の崩壊とベルリンの壁崩壊後、マルクス主義がまるでタブーのようなり、東大ではマルクス主義の教官は雇わないとか、全く学問の自由を無視したようなイデオロギーで差別するようなことまで起こっている中で、20万部以上というこの種の本としては特大ホームランを打ったことです。

 

ピケティの『21世紀の資本』出版以降、斎藤幸平さんの『大洪水の前に』あたりから俄かにマルクス主義系の書物が世に出てくるようになったんですよね。特にこの『人新世の「資本論」』は、「はじめに」で「SDGsは大衆のアヘンである」という、衝撃的な言葉から始まっているのには、驚嘆させられました。マルクスが言った、「それ(宗教)は民衆のアヘンである」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)をもじったものでしょうが。

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わたしにとって、マルクスと環境問題とは、即座に結びつかなかった。斎藤幸平さんは、マルクスの晩年の研究が、環境問題に割かれていることやコミュニズムの新たな視点に注がれているとしていることは、新鮮だった。学生時代に齧り立いたマルスクスでは、環境問題など直接的になは出てこない。しかも彼は、現在34歳という青年!

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そういえば色々なデータや調査を見ていると、最近、アメリカでも政治家が堂々と社会主義者を標榜し若者がそれを支持する、日本では起業する若者や就活している若者に社会貢献や豊かさの新しい感じ方などが見て撮れるんですよね。

 

これは、政治家や資本家のやっていることの結果が、資本主義の末期症状に来ていることの証拠なのでしょうね。そのアンチテーゼとしての運動(movement)が社会矛盾にセンシティブな若者を通じて表層に出てきているということなのでしょうか?

 

さまざまなアンケートの国際比較では、日本の若者の特徴として「自信がない」ということが表れています。だから、かつてのようにデモンストレーションのような形にならないだけなのでしょう。内閣府は2019年6月18日、令和元年(2019年)版「子ども・若者白書」を公表し、「日本の若者の「自己肯定感」は諸外国の若者に比べて低く、欧米など6か国との比較でもっとも低かった。」としています。

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この点については、機会があれば深掘りしてみたいですねえ。でも、わたしは決して暗くなりはしません。きっと若者が、良い未来を築く行動に出る時がくろとコーヒーを飲みながら想像しています。

 

でわでわ

 

懐かしき出逢いが成長の肥やしでした

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ブルガリアの風景

大学時代、ブルガリアのソフィア大学に留学したいなあと思っていた時期があった。ファシズム研究の権威であった山口定教授から「そこへ行ってもファシズムの研究はできないと思うよ」と言われたのを覚えている。

 

初代大統領になったディミトロフの著『反ファシズム統一戦線』に触発され、レジスタンスの研究をしたっかたのですよ。でも、結局かないませんでした。

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わたしは、大学時代に反核平和運動団体である「オリーブ」というグループを立ち上げました。おりしも軍縮学連が多くの大学に結成された頃で、ヨーロッパへの中距離核ミサイル・トマホークの配備が問題になっていました。ヨーロッパでは、「緑の人々(緑の党として知られる)」が反核運動を、特にドイツで主導していました。

 

わたしの後輩で部長を務めていた学生を、ヨーロッパでの反核10万人行動に参加させるべく街頭でカンパを募り、おかげで幸運にも派遣できたのです。彼が、帰国してあちらこちらから報告してくれないかと招かれ、また、公園などで報告集会も主催しました。

 

そんな頃、わたしは多くの方とお会いすることができ、それも本当に貴重な出会いばかりでした。栗原小巻さんが出られた映画にもなった『サンダカン八番娼館』を書かれた山崎朋子さんとの出会いも本当に有意義な時間でした。よく「遊びにいらっしゃいね」と優しく声をかけていただきました。彼女は、本当に簡単ではない人生を生きてこられました。とても学びの多い出会いだったと感謝しています

 

また、「反核産業人の会」という、企業の社長さん達で作られた組織があって、学生が真面目に反核運動してるぞと興味を持っていただき、交流が始まりました。ほとんど語られない戦時中の反戦活動家や反体制活動家の話をたくさんしてもらいました。中でも、堺市におられた宝木武則じいちゃんには、よ〜くお供させてもらっては昔話を聞かせてもらいました。

 

彼は、エスペランティスト(世界語を目指して作られた言語)で、偉大な功績をお持ちでした。日本共産党が最初に戦時下の日本に持ち込み、翻訳したとされていたディミトロフの『反ファシズム統一戦線』、それは真っ赤な嘘でエスペランティストであった宝木武則じいちゃん達であったんですよ。1985年8月、反ファッショ人民戦線五十年を記念し、ブルガリアから国賓待され、デイミトロフ勲章とパルチザン勲章を授与されたのです。

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2007年に永眠されましたが、いつもお茶目で優しく、でも苦難に満ちた過去をお持ちのおじいちゃんでした。色々な貴重な過去の話を聞かせてもらいました。今もわたしの宝物です。例えば、宝木さんの同志でもあった米国在住のカール・ヨネダ氏や石垣綾子さんが『オリーブの墓標』にお書きになったジャック・白井氏の話は、本でも得られない感動の話でした。

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在日2世たちは、第二次対戦のさなか米国で本当に苦労されたわけですが、そんな中からスペイン市民戦争にレジスタンスとして馳せ参じ戦ったジャック・白井氏の生き様はわたしの人生に大きな刺激を与えました。

 

学生に頃ですから、本当の意味で世間を知らないでしょ。学生の先頭に立ってはいても自信があるわけではない、ないわけですよ。これらの出会いの最大の学びは、百折不撓(ひゃくせつふとう)とでも言いましょうか、そんな気概を作り上げていくモチベーションを与えてくれたわけですね。

 

日本での教育では、「奥ゆかしさ」「控え目」「婉曲」を良しとすることを教わりますから、諸外国の若者のようにはっきりと自信のある自己主張をするなど美徳としませんから、若者が自信に満ち溢れた姿を世に見せられるなんぞは、稀有なことなんですよね。

 

でもこれだけSNSが発達し、個人がメディアになれる時代ですから、陰で卑屈にも炎上に加担したり、いじめをしたり、ヘイト発言をしたりするような輩は別だけれども、若者にも自己主張をする場は、わたしたちの時代とは違いいっぱいあるわけですよ。

 

SNSを提供するYouTubeFacebookのような企業は私たちを利用してお金儲けをしているかもしれませんが、若者はそれを利用しつつも自分たちの幸福のために使う知恵と術を持っていると確信しています。

 

でわでわ

 

徒然なる旅が始まる ”のんびりゆこうよ”

 

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今、浜辺にいるつもりでトロピカルな音楽を聴いている。人生も60年を過ごし、少し「ゆっくり」と生きようと思っています。

 

プログというものを書くのは初めてではない。ただ、多くの刺激を受けて、また還暦の年というのもあるかもしれないが、再び性懲りも無く書き始めるのです。

 

わたしは、昨年2021年の8月15日の終戦記念日に、13年のフィrピン生活にピリオドを打って、日本に帰国しました。家族もでき、妻と次女を連れて帰国しました。長女は、フィリピンで医学を学んでおりまして、連れてくることはできませんでした。

 

終戦記念日だったのには全く意味はなく、パンデミックの中、直行便でセブから成田に行ける便がこの日であって、それまで医師からヘモグロビンが十分ではないから飛行機に乗る許可は出せないと言われ、結局この日になったというわけです。

 

正直を言うと、長い糖尿病もちの結果、腎臓を悪くし透析が同年の6月から始めなければならなかっという事情です。日本のように皆保険制度はなく、実費を病院に支払わなばならないという事情がフィリピンにはあります。透析は1回あたり1万5千円ほど掛かりまして、週に3日ありますから、月に20万円近くかかるのです。

 

これでは野垂れ死すると思い、帰国したと言うのが真相なのです。日本では、透析患者は障害者扱いとなり、政府や自治体からさまざまなサポートを受けられることを知りました。医療費は完全に無料となります。そこを見れば素晴らしい国です。でも、少しづつ改悪され始めてますけどね。

 

わたしは、話題になっている副業トイして、ライターができないかと、勉強を始めました。Youtubeやブログで有名なマナブさんのコンテンツを視聴し、ノウハウを勉強しました。そして、実践に学べとばかりさまざまなWebコンテンツを訪れました。

 

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「えっ!ちょっと待てよ!」、ほとんどが「大タイトルー小タイトルー画像ー本文」そして2、3行の文章ごとに大きく改行する。これが「常識」ってやつですかねえ?何か、個性を感じなくて「違和感」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか?

 

ってことで、社会派ブロガーとして多くのファンをお持ちの「ちきりんさん」のブログを読みに行きました。ちきりんさんは、全く我関せず、我が道を行く、って感じで巨塔のように見えました。

 

『自分の頭で考える』と言う本をお書きになっていますが、まさにそのことを実践で教えてくれています。しっかりしらべ、自分の忌憚のない意見や分析を書く。なんと素晴らしいと思いました。

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ちきりんさんのようなブロガーになりたいと、淡い夢のもとスタートしたってわけです。「お前さん、ぜんぜん役不足だよ」って笑わないでくださいませ。

 

わたしが、世の中に自分の意見や分析を始めて世に出したのは、大学時代でした。覚えていらっしゃいますか?1986年10月11日のレーガンゴルバチョフによるレイキャビックで行われた各軍主会議を。1983年には、ヨーロッパで大反区運動のうねりがありましたよね。

 

わたしは、階段の1年ほど前に軍縮が合意されるか塚で、悲観的な見方も多かったなか、全世界でうねっているさまざまな要素(事実)に基づいて、「核軍種は必ず合意される」ことを雑誌に寄稿しました。これが初めてでした。階段の結果を見て「やった〜、でしょ!」なんてでかいツラをしてたのを思い出します。

 

その後、就職しプログラマーからIT産業アナリストに転職してしばらくした時に、ソフトバンクの『Database System』誌(1996年廃刊)の編集長から、何か書きませんか、と声をかけられました。それまで、カリフォルニア州のラジオ番組でマーケティングを話題にしていた番組から取材を受けたり、ジフデービス(ソフトバンクに買収)の『Information Week』誌から日本のBPRについてインタビューされるなどのことはありましたが、寄稿は初めのことでした。

 

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生意気にも「ITの話題がメンズクラブやオレンジページなんかで出てこないとダメだよねえ」なんて雑誌記者なんかに行っていたわたしは、『Database System』誌の編集長に「コラムはどうですか?テーマはお任せします」と言ってもらって「よっしゃあ!」と意気込んだのでした。

 

奇しくも世は、1990年、Windows3.0の発売で持ちきりだった頃です。カリフォルニアのサンノゼに出張で、サンフランシスコのMacworldに参加していた時、『ニューヨーカー』と言う雑誌のWindows3.1の広告を見ました。「Windowsは、あるタスクをしながら別のタスクができる、チューインガムを噛みながら歩ける」と言うキャッチでした。

 

Macユーザーだったわたしは、「おう、ようやくそこにきたのか」と揶揄したのを覚えています。それをアパレル業界の話を取り上げながら、「マイクロソフトさん、チューインガムのように吐き捨てられないようにお気をつけ遊ばせ!」みたいなオチでコラムを終えました。

 

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「結構、反響ありましたよ!」と言ってもらって、鼻高々だったわたしでした。その後、IT系の雑誌、新聞、Webメディアのブログ、などに寄稿してもらってました。あまり、期限を守らない、誤字が多い、と言われtました(😊)。目が悪いので許してください。

 

性懲りも無く、ここにきて再度ブログを書こうと思い立った次第です。どうか仲良くしてくださいませ。

 

でわでわ