徒然なるしらべにのって!

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条約締結に向けてーフィリピンで学んだ環境問題(1)

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わたしは、2007年から2020年までの13年間をフィリピンで過ごしました。ニューヨークに本社を持ち65カ国に展開するWundermanで、2012年に日本マイクロソフトのインターネット・マーケティングのサポートをしていたのですが、日本マイクロソフトの収益の悪化で契約を切られることになり、わたしも退職することになりました。

 

わたしが交わした雇用契約書は、20ページ近くあるもので、テスト期間の3ヶ月のうちに辞めた場合は、研修費をわたしに請求するなんて条項まであるものでした。ジョブ型雇用の最たる雇用契約です。

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それで、辞めたときに比較的短い期間の仕事でしたが退職金やもらえるはずのボーナスなどの計算をして、結構な金額をいただいたのでしばらく日本語でも教えながら過ごしていました。その時の生徒に、「良い仕事ないかなあ」と話したところ、「お父さんに話してみるわ」と言ってくれたんです。数日後、お父さんとお会いすることになって、それが縁で故郷の京都市に本社のある「株式会社旭東樹脂」のフィリピンのテクノパークという経済特区にあるFRPフィリピンという工場で仕事をすることになりました。

 

FRPというのは、Fiberglass  Reineforced Plastic の略でスーパーカーのボディなどのように頑強であるが軽い素材、または化学薬品で腐食してしまうようなタンクを成形するのに使われものです。この会社では、3階建ての家のような大きな鉱山向け集塵機や直径数メーターのパイプなどを作っていました。また、トヨタ車のディーラオプションとしてパーツやフィリピンおイントラムロスというスペイン時代の建物が残る地域の電動タクシーのボディなんかも作っていました。FRPのなんの知識もないところで、職人集団のような工場の管理者として配属されたために、なかなか思うようにいきませんでした。

 

そうこうしているうちに、社長のお兄さんが経営されている「旭興産業株式会社」という水銀を含む廃棄物を収集している会社に移って、フィリピンに同じビジネスを立ち上げてみないかと声をかけてもらいました。旭興産業は、アジアで水銀抽出処理のできるトップ企業の野村興産のパートナーとしてプラントへ運び込んでいたのです。

 

当時、日本の環境省が、「水俣条約」を各国に批准してもらうために、さまざまな取り組みをしていた最中でした。環境省主催で、2013年12月にUNEP (国連環境計画)世界水銀パートナーシッ プ廃棄物分野のワークショップ がマニラで開催されました。その会合に野村興産の通訳として出席したんです。

 

UNEPを代表してこられていたDr. Desiree Montecillo- Narvaezとあることで親しくなりました。わたしがシリコンバレーの投資家でフィリピン人のMr. Dado Banatao(Tallwood Venture Capital)と仕事をしているという事実に、驚嘆したことですした。彼女は、Mr. Dadoと同じスタンフォード大学を出ており、彼がフィリピンの大統領すらも会いたがる超有名人だったからです。

 

この会合を皮切りに、野村興産のフィリピン側のカウンターパートとして、UNEP、UNIDO(国連工業開発機構)、フィリピン環境省、フィリピン商工会議所、フィリピン国内の環境NGO、などをコーディネーションすることになったわけです。

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みなさん、水銀ってどこで使われているかご存知ですか?蛍光灯、乾電池、はいそうですね。かつては銀歯(アマルガム)、口紅にも使われていましたし、印肉にも使われていました。昔の体温計や血圧計で銀色のものが伸びたり縮んだりしていたでしょ。それも水銀です。さらに、神社のあの朱色も水銀が使われています。それにアジア地域で採掘される化石燃料は、中東で産出される物よりもかなり高い濃度で水銀を含有しています。

 

しかし、現在は危険廃棄物として使用が制限されていますね。しかも、蛍光灯はLEDに変わっています。日本は、野村興産がありますから安全に廃棄できていますが、アジアの他国はそうではありません。フィリピンも例外ではないわけです。

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イトムカ処理プラント

わたしと野村興産の最初の取り組みは、経済産業省の人材開発予算を使って啓蒙し、野村興産の北海道イトムカにある処理プラント(途中家庭ゴミの処理プラントにも見学に行きました)へ招待することでした。

 

当時のフィリピンでは、環境省により認可を受けた処理業者と各企業は契約し処理し、処理証明書を発行してもらうというルールになっていました。ところがです。その処理業者はどのようなシステムで処理しているのかが問題だったのです。

 

こんな感じです。ドラム缶の上にフィルター付きの破砕機が乗っかっています。破砕機には筒のようなものが据え付けてあり、その穴から蛍光灯を挿入すれば破砕機が粉砕してくれるというものです。フィルターはヘパフィルターで決して特殊なものではありません。フィルターに破砕時に出る水銀のパウダーを吸着させるのですが、当然ヘパでは完全に取れませんので、破砕されたガラスに多くは吸着したままなのです。

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これらの事実は一般には知られていません。もちろんフィリピン環境省は知っているでしょうけどね。代替技術がないということで許していたわけです。ドラム缶が満杯になると蓋をして鉄のリングで止めて、地中に入れコンクリートを流し込むわけです。しかし、コンクリートで単純にふさぐだけだと何年かするとドラム缶が腐食してコンクリートから水分と一緒に流れ出る可能性があり、非常に危険です。

 

水銀の使い道として金の抽出に使われており、フィリピンでも違法採掘業者がどこかから銀歯を買ってきて、その水銀を使っています。それが、海に流れ出て水俣病を引き起こすわけです。ドラム缶の埋め立てでは、いつかこのようなことがおこることは明白でした。

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わたしたち日本国民は、多くの人の犠牲のもとに水俣病の恐ろしさを知っています。これはなんとかしないと、って心から思いました。

 

そして2年目の2014年は、環境省の予算でフィリピンの企業の環境担当(PCOというポジションが各企業にあります)を啓蒙しながら、日本から破砕機を持ち込みとにかく蛍光灯を集め、フィリピンで破砕して少量化し、日本のイトムカにある野村興産のプラントに運び入れることをはじめました。

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啓蒙時には、水俣病がどういうものか、どういうメカニズムで水俣病が発生するのいか、具体的な画像を交えてプレセンしました。いくつかのNGOも賛同し協力してくれました。フィリピン環境省からの協力もひとかたならぬものでした。このムーブメントにわたしは、「Zeromercury project」となずけ活動を広げていったわけです。

 

ところが、大きな壁があることに気づきました。回収料金です。当然日本へ運ぶわけですから、現地回収業者の二倍以上の金額になります。「これは困ったぞ!フィリピンの企業は渋るだろうなあ」と思いました。はじめてみると、やはりでした。

 

この回収に賛同し料金を払ってくれたのは、日本の大手企業のフィリピン法人の数社とアメリカのGE現地法人だけでした。フィリピンの蛍光灯は今は100%が輸入品で、かつて製造していたGEは工場閉鎖時に床などに水銀が残っており、それをわたしたちに委託してきたのです。

 

賛同してくれた日本企業の考え方は、こうでした。「もし十分な処理ができない業者に任せて何かあったら、自分たちのブランドに傷がつき不味いことになるしCSRを果たせない」というものでした。ところがです、最大の自動車メーカーは、自分たちでフィリピンで許可された基準で処理して埋め立てる、水銀が付着した例のへパフィルターだけを処理してくれときたわけです。

 

ヘパフィルターで100%水銀が吸着できるわけではないので、埋めた破砕ガラスからいつか漏れ出す旨をひつこく訴えたが、おそらくコストを重視したのでしょう。ダメでした。

 

さて、3年目の2015年は、さらにこのプロジェクトをセブ島地域へ拡大する取り組みなります。苦労はまだまだ続くのです。次回もぜひお読みくださいね。

 

でわでわ