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脱成長コミュニズム:斎藤幸平さんへの手紙

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 拝啓

『人新世の「資本論」』 発売以降、動画への出演が劇的に増加してますねえ😲わたしは、大阪市立大学出身ということもあって、「おたくも市大でマルクスですかあ」というシンパシーを感じるのですよ。

 

以前このブログで、「わたしを覚醒させた書」として『人新世の「資本論」』 への思いを綴りました。その後、あなたのさまざまな動画を見て斎藤さんの考えを理解しました。売れっ子の常で、さまざまな人がこの『人新世の「資本論」』を取り上げて、解説したり批判したりしています。

 

哲学者もどきのYouTuberが、浅薄な知識で持って解説しているのはちょっといただけないのですが、それほどまでに「資本論」「マルクス」「コミュニズム」という言葉に共感を覚えている多くの人がいることが、わたしにとっては驚きです。そして、マルクス主義者としてカミングアウトする人も増えていますね。

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哲学者のスラヴォイ・ジジェクが叫んだだけではこのような現象はおきなかったでしょうね。斉藤幸平さんだったから、また斎藤さんの「資本論」や「コミュニズム」などの解き方、気候・環境問題を中心に展開されていること、マルクスの再発見という新世代のフレッシュさ、そして何よりも斎藤さん自体が34歳と若いことが、共感を生み出したのではないでしょうか?確かに、さまざまなシステムの綻びを多くの人が肌に感じ、「政治」という茶番劇に憤りを感じていることも手伝ってのことではないでしょうか?

 

わたしは、ひとつ恐れていることがあります。そして願っています。斎藤幸平という人がブームで終わらないことを、そして危機に対するサプリメントで終わらないことをですYouTubeであるいはさまざまなメディアで、斎藤幸平を「商品化」しようとしている向きも感じます。

 

基本的には、応援歌を送っているつもりなんですが、いくつかお聞きしたいことがあるんです。わたしが、マルクス主義を学んだのは大阪市立大学時代、社会科学研究会のOBが来られる合宿なんかにも参加しました。また、大阪市立大学で教鞭を撮られた立派なマルクス主義者の先生方の講演なんぞにも参加しました。いわゆる「オールド(old)ボルシェビキレーニンロシア革命時に率いた党)」の一人です。

 

斎藤さんはご存知でしょうか?ウェブマガジンプロメテウスというサイトに執筆されている「やすいゆたか」さんという、「オールド(old)ボルシェビキ」の一人が、『人新世の「資本論」を読んで幾つか疑問を投げかけているのを。

 

次のように言っています。

本著の最大の欠陥は、この本の内容に、マルクスが「脱成長コミュニズム」を説いている言説の引用が全くないことです。

 さらに、

もしそういう言説があるのなら、マルクス研究者はたくさんいますから、とっくにだれかが紹介している筈です。ですからマルクスが脱成長コミュニストだという評価は、斎藤さんの独特の解釈なのです。

 このかたは、斎藤さんの『大洪水の前に』は読んでおられないようです。それと、『人新世の「資本論」』 がターゲットされている読者と位置づけも考えなければいけないでしょうね。やすいさんは、マルクスはあくまで「成長コミュニズムを唱えているというのがポイントで、「脱成長」はおかしいというわけです。

 

確かに、わたしがマルクスを学んでいたときは、やすいさんのように理解していたと思います。ただ、わたしは、マルクスが想定できなかった要素もあるかもしれない、そもそも土台としている「進化論」に関して大きな疑問(別の機会に述べたいです)があるので、教条主義的にマルクスがどういったかに拘るつもりはありません。マルクスを土台に発展させていけば良いと思っています。しかし、マルクスが本当に斎藤さんが指摘するように述べているなら、それは知りたいのです。

 

斎藤さんが言うように、「晩年のマルクスは……脱成長コミュニズムを説いた」というのなら、どこでそう述べているかを明確に知りたいと思うのです。

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確かに、『大洪水の前に』では、MEGA(、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスの出版物、遺稿、草稿、書簡の全集である。1970年代から刊行されている現在の版は、区別のために〈新メガ〉と呼ばれている)の編纂の歴史的動向や議論などを紹介されており、晩年のマルクスのノート類だけではなく、マルクスはかなりの箇所でエコロジーにフォーカスしていると記述されていますね。そして「物質代謝の亀裂」という概念が「経済学批判」のみならず「資本論」の重要なキーワードでもあることを述べられています。ベテランのマルクス研究家は、この本を読むべきですね。

 

マルクスエンゲルスの確執と、未完の「資本論」執筆の経緯など、確かに私たちは学んだ記憶がないことです。

 

マルクス主義者特に「オールド(old)ボルシェビキ」の中では、環境問題を語ることはほとんどありませんでした。それに、「民主主義」や「人間と自由」といテーマのマルクスの理解が混沌としていたということもあります。

 

そのために、「階級闘争を裸で唸るか、ポピュリズムに陥るか」と言った状況に日本の社会主義共産主義者は分かれていったのではないかと、わたしは考えています。特に日本のマルクス研究では、整理しなければならない多くの課題も残ったまま、地下に潜ってしまった感があります。再び斎藤さんの指摘をきっかけとして、その作業が進むことを期待します。

 

ここで重要なことはもう一つあります。斎藤さんやセルジュ・ラトゥーシュがいう「脱成長」の意味です。斎藤さんが本の帯を書かかれているセルジュ・ラトゥーシュの『脱成長』で、明確にこう述べています。

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脱成長という語は、…経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治的スローガンである。その目的は、我々に省察を促して限度の感覚を再発見させることにある。特に留意すべきは、脱成長は景気後退やマイナス成長を意図していないという点だ。したがって、この語は文字通りの意味で受け取ってはならない。

 

つまり、経済成長を崇拝しない態度のことであって、単純な経済成長否定ではないということです。きっと「脱成長コミュニズム」をシンプルな階級闘争として論じていない点が、「オールド(old)ボルシェビキ」には、物足りないのではないでしょうか?ただし、資本主義の行き詰まりは、2ちゃんねる創設者のひろゆきさんですら認めるほど多くの人々が認識するところで、京都大学のの大西広先生や法政大学の水野和夫先生、などによっても明快に論証されています。

 

現時点でこの経済成長至上主義による企業活動の結果として、環境危機が取り返しのつかない状況になっているという認識のもとで、「スローダウンしよう」、「ゆっくり生きよう」、そして状況を良くしよう、ということが、「脱成長」の基本にあると思います。でしょ?斎藤さん?

 

現在の資本主義システムの危機は、環境危機にとどまりません。「ゼロ金利」時代が継続している、つまり資本の増殖を宿命とする企業が投資しても儲からない、ですからパンデミックでも過去最高収益をあげている企業が労働者に分配するのではなく、ものすごい額の「内部留保」を抱えるという自己矛盾をおこしていることもまたそのひとつです。これを「資本主義の死」と水野和夫さんは言います。それを、田原総一郎さんは「憎らしいほど説得力がある」と評しています。

 

1970年台の大平内閣の時もそうであったように、不況下で政府が国債を十分出してでも、国民の購買力を高めて内需拡大しないと、ひいては税収も拡大しないという矛盾に政府は直面せざるを得ないくなるわけです。今、過去最高益を叩き出している企業は、内需ではなく海外での収益が中心で、その他というとコロナ禍の巣ごもり需要で予想外の利益が出た企業なんです。

 

財務大臣麻生太郎が、「今年税収はのびたではないか。景気は悪くない!」と言ったそうですが、これを聞いて「なるほど!」と思う方がいるでしょうか?裏に隠された事実をよく洞察する必要があります。

 

パンデミックのような危機の状況下では、国家が介入して経済や市場をも計画的に規制しなければならなくなります。「自由主義」を何よりも強調したあのトランプ元大統領ですら、経済規制をしたほどです。「国家による経済の規制」というと、「共産主義?」と思いませんか?それくらい資本主義の危機が醸成していると言えないでしょうか?

 

斎藤さんは、「コモン=社会的共通資本」の領域を拡大していくことをまず目指されていて、「もう資本主義は無くなってしまてるよ」と多くの人が思える状態になることを期待されていると思うのですが、正しいでしょうか?それは大切な共感を拡大するムーブメントだと思いますが、国境を越えたムーブメント間の絆が大事になると思うんです。いわゆるかつての一国社会主義世界同時革命か、みたいなことでしょうか?

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斎藤さんは、『なぜ脱成長なのか』という本の帯に、「資本主義に亀裂を入れることができるはずだ」と書かれていますね。かつての「反ファシズム統一戦線」や「反独占民主闘争」という言葉を思い出します。乱暴な言い方かもしれませんが、最も凶悪な敵を最小にして、圧倒的多数を形成して倒す、つまり資本主義崩壊への戦術レベルのムーブメントということになりますね。ですから継続して拡大していくことが最も重要です。そして何より、その「亀裂」に「楔を打ち込む」ことです。

 

どうかもしこの手紙を読まれたら、返信をいただければ幸甚です。

 

でわでわ