徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

初乗りのしらべ ー 初めまして

今、浜辺にいるつもりでトロピカルな音楽を聴いている。人生も60年を過ごし、少し「ゆっくり」と生きようと思っています。

 

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スローライフ

プログというものを書くのは初めてではない。ただ、多くの刺激を受けて、また還暦の年というのもあるかもしれないが、再び性懲りも無く始めるのです。

 

わたしは、昨年2021年の8月15日の終戦記念日に、13年のフィリピン生活にピリオドを打って、日本に帰国した。家族もでき、妻と次女を連れて帰国しました。長女は、フィリピンで医学を学んでおりまして、連れてくることはできませんでした。

 

終戦記念日だったのには全く意味はなく、パンデミックの中、直行便でセブから成田に行ける便がこの日であって、それまで医師からヘモグロビンが十分ではないから飛行機に乗る許可は出せないと言われ、結局この日になったというわけです。

 

正直を言うと、長い糖尿病もちの結果、腎臓を悪くし透析が同年の6月から始めなければならなかっという事情です。日本のように皆保険制度はなく、実費を病院に支払わなばならないという事情がフィリピンにはあります。透析は1回あたり1万5千円ほど掛かりまして、週に3日ありますから、月に20万円近くかかるのです。

 

これでは野垂れ死すると思い、帰国したと言うのが真相なのです。日本では、透析患者は障害者扱いとなり、政府や自治体からさまざまなサポートを受けられることを知りました。医療費は、完全に無料となります。そこを見れば素晴らしい国です。でも、少しづつ改悪され始めてますけどね。

 

わたしは、話題になっている副業として、ライターができないかと勉強を始めました。Youtubeやブログで有名なマナブさんのコンテンツを視聴し、ノウハウを勉強しました。そして、実践に学べとばかりさまざまなWebコンテンツを訪れました。

 

「えっ!ちょっと待てよ!」ほとんどが「大タイトルー小タイトルー画像ー本文」そして2、3行の文章ごとに大きく改行する、と言うふうに書かれているではないですか。これが「常識」ってやつですかねえ?何か、個性を感じなくて「違和感」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか?

 

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天空の城

ってことで、社会派ブロガーとして多くのファンをお持ちの「ちきりんさん」のブログを読みに行きました。ちきりんさんは、全く我関せず、我が道を行く、って感じで巨塔のように見えました。

 

『自分の頭で考える』と言う本をお書きになっていますが、まさにそのことを実践で教えてくれています。しっかりしらべ、自分の忌憚のない意見や分析を書く。なんと素晴らしいと思いました。

 

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ちきりんさんのようなブロガーになりたいと、淡い夢のもとスタートしたってわけです。「お前さん、ぜんぜん役不足だよ」って笑わないでくださいませ。

 

わたしが、世の中に自分の意見や分析を始めて出したのは、大学時代でした。覚えていらっしゃいますか?1986年10月11日のレーガンゴルバチョフによるレイキャビックで行われた核軍縮会議を。1983年には、ヨーロッパで大反核運動のうねりがありましたよね。

 

わたしは、会談の1年ほど前に軍縮が合意されるか否かで、悲観的な見方も多かったなか、全世界でうねっているさまざまな要素(事実)に基づいて、「核軍種は必ず合意される」ことを雑誌に寄稿しました。これが初めてでした。会談の結果を見て「やった〜、でしょ!」なんてでかいツラをしてたのを思い出します。

 

その後、就職しプログラマーからIT産業アナリストに転職してしばらくした時に、ソフトバンクの『Database System』誌(1996年廃刊)の編集長から、「何か書きませんか」と声をかけられました。それまで、カリフォルニア州のラジオ番組でマーケティングを話題にしていた番組から取材を受けたり、ジフデービス(ソフトバンクに買収)の『Information Week』誌から日本のBPRについてインタビューされるなどのことはありましたが、寄稿は初めのことでした。

 

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生意気にも「ITの話題がメンズクラブやオレンジページなんかに出てこないとダメだよねえ」なんて雑誌記者なんかに言っていたわたしは、『Database System』誌の編集長に「コラムはどうですか?テーマはお任せします」と言ってもらって「よっしゃあ!」と意気込んだのでした。

 

奇しくも世は、1990年、Windows3.0と3.1の発売で持ちきりだった頃です。カリフォルニアのサンノゼの本社へ出張しており、サンフランシスコのMacworldに参加していた時、『ニューヨーカー』と言う雑誌のWindowsの広告を見ました。「Windowsは、あるタスクをしながら別のタスクができる、チューインガムを噛みながら歩けるようなもの」というキャッチでした。

 

Macユーザーだったわたしは、「おう、ようやくそこまできたのか」と揶揄したのを覚えています。それをアパレル業界の話を取り上げながら、「マイクロソフトさん、チューインガムのように吐き捨てられないようにお気をつけあそばせ!」みたいなオチでコラムを終えました。

 

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「結構、反響ありましたよ!」と言ってもらって、鼻高々だったわたしでした。その後、IT系の雑誌、新聞、Webメディアのブログ、などにずいぶん寄稿させてもらいました。あまり、「期限を守らない」とか「誤字が多い」、と言われてましたけど(😊)。目が悪いので許してください。

 

性懲りも無く、ここにきて再度ブログを書こうと思い立った次第です。どうか仲良くしてくださいませ。

 

でわでわ