徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

財政政策「仁義なき戦い」に物申す!

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自民党内部で面白い現象が起きている。それは、積極財政派と緊縮財政派の論争です。まるで、自民党内で2大政党政治が実現しているかのような錯覚すら覚える。MMT貨幣論を支持し積極財政を推進する西田昌司参議院議委員を本部長とする『財政政策検討本部』、方や、岸田文雄首相(同党総裁)直轄の『財政健全化推進本部』でです。

 

面白いことに、『財政政策検討本部』の最高顧問が安倍前総理、顧問が高市早苗自民党政調会長であり、『財政健全化推進本部』には麻生副総理が最高顧問ついているということです。本来与野党の最大の争点だと思われたものが、自民党によって吸い取られ、マスコミによって大々的に報道されると言うことになるのでしょうね。下手をすると、野党は完全に陰に隠れてしまうことになるかもしれませんね。

 

岸田総理は、「コロナ対策と中長期的な財政健全化は決して矛盾はしない」と強調し、年明けにも基礎的財政収支プライマリーバランス、PB)黒字化を目指す財政健全化目標年度の検証議論を行うと述べました。おそらく、黒字化年度を数年先に伸ばして、国債を発行することで若干の積極財政的ポーズを取るのではないかと思われます。

 

過去を振り返ってください。1970年代つまり高度経済成長終焉あたりから国債問題はクローズアップされてきました。三木内閣のオイルショックによる景気悪化がきっかけですね。日本だけではなく国際的にも同様の状況で国債発行が進みました。その後、財政再建に各国が取り組みます。日本においても然りで、鈴木善幸元首相が『増税なき財政再建』を掲げて行財政改革に着手しましたが、鈴木元首相が掲げた財政再建目標(50年代に特例債依存体質から脱却)の達成が不可能であることが明らかになり、財政健全化目標を先送りにしました。

 

小泉元首相時代には、『聖域なき歳出削減』として中期的なプライマリーバランスの黒字化や一般会計の新規発行国債を30兆円以下にするという目標 を立てたのですが、若干財政が健全化したように見えたはしましたが結局挫折することになりました。その後も次々と財政健全化目標を立てますが、次々に先送りにしてきたのです。

 

岸田総理はどうだろうか?最初は、プライマリーバランス黒字化は場合によっては先送りをする必要もあるといいながら、2025年プライマリーバランス黒字化を目指す方向に変貌しているのです。

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財政健全化は、アメリカをはじめ先進国で実施してきているのですが、日本だけが長きにわたってどうも成功していないようです。その理由には様々な分析があるのですが、財政再建には財政規律の設定や財政ルールの堅持が重要とされ、日本は財政再建に失敗したのはそうした財政規律の欠如にあったと結論づけるものがあります。予算編成上の財政規律ルールが重要な役割を果たしているが、財政規律ルールあるいは財政健全化の目標を実現するためには、有効な歳出削減と歳入強化の具体策によって左右されるとされます。

 

良い例としては、1981年に成立したレーガン政権の新自由主義による財政再建の失敗と、1993 年、12年ぶりの民主党出身のクリントン政権の時代の財政健全化を比較してみるのも良いかのしれません。

 

ともあれ今重要なことは、財務省やマスコミが流布している「特例国債=借金」と言う考え方が誤りであるという認識を持つことです。国債というものの仕組みを知れば明らかなのですが、多くの国民は、その知識を持つ努力ができないでいるという現状もあります。その「無知」に漬け込んで矢野財務次官が「財政破綻に近づいていく」という立場もわきまえぬ無責任な論文を発表し、国民の動揺を掻き立てる輩も出てくるのです。財務省はホームページ上に「デフォルト(破綻)しない」とすでに明言していることに留意されたい。この点の理解は多くの識者が語っておられるので参考にしていただきたい。

 

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では、積極財政か緊縮財政かを考える際にまず重要なことは、第1に経済状況の現局面の認識です。そのためには、さまざまなデータから詳細な分析が必要になります。景気状況だけでなく、生産、投資、金利、物価、為替、貿易、株式市況、雇用、食料、賃金、社会保障、公共料金、税制、国家財政と地方自治体の行財政問題などなど、多方面にわたっての分析と経済・景気の局面判断が必要です。単にインフレかデフレかという大雑把な認識では不十分ですね。

 

そして、歴史的段階つまり法律と同じで過去のある特定の状況下で必要だったルールが現在も適用されていて、それが陳腐化していないかどうかという判断も重要です。陳腐化しており現行に合わないものは積極的にアップデートする必要があります。例えば、各種の特別措置や優遇税制を全面的に見直し整理した場合、新たに追加される税収規模は想像以上に大きなものです。従来この重要な問題にかんする具体的研究はほとんど公表されたものはないのが現状です。

 

次に、これが最も重要なのですが、何をどのような時間軸でどうしたいのかという政策目標が定めなければなりません。財政・予算政策というのは、政府の政治政策のまさに鏡です。予算規模と分配項目が決められねばなりません。もちろんここには政治的思惑や力関係がモロに出てきますからしっかり監視すべきです。そして次に財源の話になるでしょう。赤字国債の発行が、その補填する歳出の規模と内容の点からみて、国民経済の早期回復をもたらす効果が期待できるのかどうかの説明は必須ですね。予算の景気への影響を考えるにはその規模や伸び率だけでなく、より重要なその使途・内容を具体的に検討してみなければなりません。

 

いうまでもなく財政の根本問題は、資源と所得の再分配にあります。国家はそれを資本主義経済のなりゆきにまかせるのではなく、その時々の政策目的に応じて積極的調整を行う責任を負っているはずです。

 

過去の政府予算案にたいする一般の反応をみると、そこには二つの全く異なる立場からの批判が提出されていることに気づきます。一つは、この予算が、高い国債依存率になっている割には規模と伸び率が意外に抑制的であり、この程度の財政ではとうてい現在の深刻な不景気を浮揚させる効果は期待できないとする批判であり、主としてジャーナリズムや産業界に多い批判です(A論とする)。もう一つは、革新系の理論家や政治家たちにかなり共通してみられた批判で、巨額の赤字国債にたよる財政は当然インフレの再燃につながるから反対だと主張する議論です(B論とする)A論は、不況克服のためにはもっと積極的な赤宇予算を組めといい、B論はインフレにつながる赤字予算には絶対反対だという。この二つの議論がかみ合わず、互いに機械的に対立していることがありました

 

この問題の解決には、不況時における赤宇予算の問題、それとインフレとの関係についての理論的な整理が不可欠ですが、まずもってこの二つの議論は、ともに真実の一面を反映しており、必ずしも機械的対立に走る根拠のないものだということを指摘しておく必要があると思われます。その理由を端的に示すと次のようになります。

 

仮りにA論に従って、この赤字予算によっても不況の克服ができず、生産の回復がはかばかしくないとすると、税収の回復も期待できず既発行国債の償還もすすまないことになるので、ついにはその利払いのためにまた国債を増発しなければならいという破局的事態が到来します。こうして雪だるまのように増大していく国債の引受け手は結局中央銀行以外になくなり通貨供給の激増をつうじてB論が危惧しているような財政インフレーションの悪化を招くことになる。

 

事態の発展がこうなるとすると、A論はB論に反対できなくなります。しかし、この議論で、もしA論が否定されることになると、すなわちもし仮りに、赤字予算のテコ入れによってA論とは反対に生産と景気が回復の軌道に乗ってくるとすれば、収益も回復し、それによって一旦発行された赤字国債の償却も進み、必ずしもインフレの再燃をもたらすとはいえなくなる。このように、両論の対立は全く機械的なものであり、本質的な対立ではなかったことが明らかになります。

 

赤字国債は、いついかなる場合でもインフレをもたらすとはいえません。政府は赤字国債の発行をつうじて貯蓄形態にある貨幣資本の一部を動員することができます。このこと自体はインフレーションとは関係がありません。国家が、これらの資金を生産的資本の蓄積(投資)にふり向けるか社会保障など消費目的の所得に変えるかということも、インフレとは関係がありません。予算の赤字とインフレーションとのあいだには、本来は、直接的な因果関係は存在しないのです。

 

深刻な不況下において、資本の投資・蓄積活動が衰え、巨額の遊休資金が企業の内部に私蔵されているような場合、これらのいわゆる過剰流動性国債あるいは公債として吸収し、公的目的に動員することは、この資金の、その後の用途が消費向けか蓄積向けであるかに関係なく、経済の活性化につながっていきます。

 

赤字国債が経済にあたえる影響を評価するに当っては慎重であるべきです。大規模な国債発行がインフレと結びつくか否かは、第一にその発行条件、とくにその調達の方法、消化の手段と見とおし、貸付資本市場の状態や引受け利子率の如何などに係わっており、さらにその発行後における一般的経済状態のなりゆき、税収の如何などによって左右されます。発行される国債をすべて貸付資本市場で調達することは民間の資金需要との合からも困難です。従って通常、その一部または相当部分が中央銀行の引受けとなり、それは通貨の増発を引き起こします。問題はそれが、生産の増加・商品流通の増大とパランスをとりうるか否かです。わが国の場合、国債の主な引受者は民間金融機関であっても、一年後には日銀の行う買オペの対象とすることができるので、中央銀行の引受け=通貨増発が生じることに変りはありません。このルートを通じての通貨供給の人は、そのときの品流通量には関係なく行われるので、それはインフレーション進行の潛在的な危険性をはらんでいます。この潜在的な危険性が現実の財政インフレに転化するかどうかは、この国債によって動員された資金がはたして経済にたいし有効な使途に向けられたか否か、それが国の一般的経済状態の改善に役立っているか否かは、この国債償還の方途と見通しの如何、などに係わっているのです。

 

ポイントは、現在の経済状況の分析、それを踏まえて経済や国民生活のゴールをどう設定するのか、この国債によって動員された資金がはたして経済にたいし有効な使途に向けられたか否か、それが国の一般的経済状態の改善に役立っているか否か、なのです。私たちはこれらをしっかり監視し、必要があれば声を上げなければなりません。

 

岸田政権の予算案とアメリカのバイデン政権の予算政策を比較してみることをお勧めします。政権は、就任100日以内で3つの大きな財政支出計画を相次いでまとめ上げました。そのスピードと規模の大きさは驚くべきもので、1930年代の世界大恐慌を受けて成立し、ニューディール政策を推進したルーズベルト政権に肩を並べるとも表されています。3つの計画で総額、単純に合計すると6兆ドル、日本円で約600兆円という巨額で、アメリカのGDPの約3割の規模になります。これに対して日本の追加経済対策は、昨年12月にまとまったものですが、32兆円代。対GDP比6%に相当します。アメリカの財政支出規模が、いかに巨大かということがわかります。

 

さて、規模もすごいですが、重要なことはその使途です。

 

第1の計画は「米国救済計画」と呼ばれるもので、短期的にコロナ禍で打撃を受けた国民と企業を下支えする仕組みで、今年から来年にかけて集中的に1.9兆ドルを出すという計画です。

第2番目は、「米国雇用計画」と呼ばれていまして、こちらは、インフラ投資が中心で、今後8年間かけて2.3兆ドル。

第3番目の「米国家族計画」と呼ばれるものは、個人や家族に対して、教育や子育てを中心にした支援で、今後10年間で1.8兆ドル規模となっています。

 

「雇用計画」というのは、とりわけインフラ投資に重点を置いています。老朽化したインフラの改善だけでなく、デジタル化、脱炭素化していく米国経済の未来に適合的なインフラを整備し、未来志向の投資計画となってます。「家族計画」というのは、個人および家族への支援です。人への投資と特徴づけることができます。具体的には、第一に教育、二番目に子育て支援、三番目に、勤労者と家族を支援するための税額控除制度の拡充、こういった3つの要素からなっています。

 

教育について、全国民を対象とした2年間のコミュニティカレッジ、日本では短大に相当するものですが、それを無償化します。そして、すべての3・4歳児に無料で、高品質のプリスクールというか、就学前の学習機会を提供するという大胆な政策が打ち出されています。2つ目の子育て支援についても、チャイルドケア利用の負担軽減などが盛り込まれています。3つ目は税額控除で、低所得世帯に対しては子育て費用、その他の家族を扶養する費用を税金から差し引く控除対象の拡大・充実が謳われています。

 

アメリカの議会予算局では大幅な今回の財政支出拡大によって、2022年までは大幅な財政赤字を計上すると見込まれています。が、成長で税収が増えるほか、予定されている法人税率の引き上げとか、富裕層への課税とか、そういった増税措置が取られることによって財政は均衡に向かうと見込まれているのです。一連の計画は、米国経済を急速に成長軌道に戻して、さらに将来にわたって成長を加速すると見込まれています。

 

日本の場合、いまだに物的投資を投資と考える傾向にあって、アメリカの計画は教育や子育て支援「人への投資」として捉えられていて、そして、10年間で約200兆円もの資金を投下していくというわけですから、人的資本形成を通してアメリカ経済の将来の成長を高めることに寄与するだろうと思います。つまり雨イカの場合は、明らかな未来志向の財政政策だといえます。

 

さて、皆さんどう思われますか?

 

ではでは

2016年1月16日?

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急に寒くなりましたねえ。各地で、クリスマスに向けたインベントが続々開催されています。故郷の京都では、あちこちのお寺で夜間特別拝観が行われます。わたしには、「大根焚き」という行事、大きなお鍋で大根とお揚げの炊いたものが参拝客に振る舞われる行事がとっても懐かしい。今年は中止にされているお寺もあるそうですが。

 

先駆けとなったのは、千本釈迦堂での、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたとされる12月8日を記念して、無病息災・健康増進を祈願して行われた行事だそうです。「京都へ行こう!!」

 

話は変わりますいが、2016年1月6日、さてなんの日でしょう?…

 

この日は、台湾で初の女性の総統が選ばれた日です。そうです、蔡英文(さいえいぶん)総統です。

 

え?どうして彼女に興味があるのかって?この間、対米追随の対中国戦略の一環で、日台関係の親密さが話題になっていますよね。それに、台湾化のパイナップルの輸入だとか、台湾麺や魯肉飯(ルーローハン)の人気ぶりだとか、タピオカ入りティーだとか、東日本大震災で台湾から200億円超の寄付をいただいたとか、そして、IT関係者としてのわたしには何と言ってもオードリータン・デジタル大臣の存在で台湾への親近感はグッと増しました。

 

台湾はご存知のように半導体大国で、多くのコンピュータ機器を製造しています。そして、世界一のコンピュータ関連製品展示会である「Computex TAIPEI」が毎年開催され、わたしも何度も台湾へは足を運んでいます。そして、行けば必ず食べるのが、牛肉麺です。

 

日本の政治を見ているとイライラするか、失望感に苛まれることが多いのですが、台湾に現れた女性リーダーを見ていて、なぜ日本ではこのような人がリーダーとして選ばれないのかと考えてしまうのです。女性がリーダーとして男性に勝るとかどうとかはどうでも良いのです。蔡総統やオードリータン大臣のようなリーダーを担ぎ出せる台湾国民の素晴らしさに感服するのみなんですよ。

 

まずは、蔡総統について紹介させてください。

          

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”1956年に生まれた蔡英文。その家族は、屏東という台湾で最も南にある県にルーツを持つ。父親は客家人で、自動車ビジネスで成功した人物だった。母親は福建系の女性。父方の祖母は先住民族であるパイワン族だった。つまり彼女は、福建、客家、原住民という、台湾土着の3つの異なる系統の血筋を持っていることになる”

 

彼女は、父親から「人のやらないことをやりなさい」と言われて育ったそうです。それだけが要因かどうかはわかりませんが、勉強熱心だった様です。学歴は大したもので、台湾大学法学部を卒業、米コーネル大学修士ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得。そして、20代で台湾に戻り、大学教授に就いた。絵に描いたようなエリートですね。

 

あるときある弁護士から、自分の代わりに政府の貿易交渉の法律顧問になってくれないかと頼まれ、このことがきっかけで彼女の運命は変わっていったのです。

 

貿易交渉は法律の知識と共に交渉力が問われる仕事です。彼女の才能はそこで発揮されました。政府から重用され、台湾のWTO加盟に伴う交渉団の首席法律顧問となり、李登輝政権の国家安全会議の諮問委員にも任命されることになりました。さらに当時、中国から猛反発を受けた李登輝「二国論」の起草者にもなったわけです。

 

民進党には2004年に加盟し、民進党どん底にあった2008年、党内のベテランや大物が誰も主席を引き受けない状況で、あえて彼女は主席に就いたのです。そして、2012年の総統選では惜しくも敗れ、一時的に党主席を離れたのですが、2014年に党主席に復帰、そして同年末の地方選挙で民進党を圧勝に導き、その勢いに乗って、2016年の大事な選挙でも勝ち抜いたというわけです(史上最多得票で勝利した)。

 

彼女の演説は、実に「面白くない」、が、心に響かないわけではないと評されている。普通の政治家のようにテープレコーダーのような政治演説ではなく、自分の言葉で真面目に語っているからです。日本の政治家は、何を恐れてか「カンペ」を見なければ話ができないが、彼女は違う。朴訥(ぼくとつ)とではあれ、自分の言葉で話す。わたしたちは、間違わず火の打ちどころのない言葉が聞きたいのではない。その人の誠の思いを共有したいのではないでしょうか。

 

彼女の話すその様子が中国でも放送されたことで中国人の間で評判になり、それまでの民進党に対する「粗暴な独立派」というイメージが変わるきっかけになったとも言われているそうだ。日本の政治家にそんなことができるだろうか?

 

よく2つの世界大戦を経てきた政治家は、良くも悪しくも筋金の太さや信念の強さが違うと言われる。吉田元首相はその代表例だろう。戦後生まれの政治家には、その強さがない。

 

彼女は、朴訥としているだけではなく、自分の話した内容がマスコミによって報じられ、それが話したことを正しく表現していないと、何度も訂正を求め、「蔡更正」と恐れられていたそうだ。それだけ、自分の言葉に責任を持っているということでしょうね。彼女のおかっぱ頭で、難しい法律の交渉すら臆面もなくこなし、英語でも細部にわたるネゴができる。でも、パフォーマンス下手で口数が少なく、シャイな性格。こんな政治家が私たちと同じ目線でいると思われれば、多くの人に支持されると思うなあ。

 

こんなエピソードもある。大勢の村人たちが、『選挙費用の足しにしておくれ』と言いながら、クシャクシャになった100元(当時のレートで約300円)札を競うように蔡英文へ差し出したことがあった。ある老婆から300元を差し出されたときはびっくりして感極まりながら『ありがとう、本当にありがとう! 私は100元だけいただくね。でも200元はお返しするから、おいしいものでも食べて!』と言って、そっと老婆の手に2枚を返した。これが、資産家の令嬢に生まれ、台湾大学や英の名門大学に学び、国立大学教授から高級官僚、閣僚を経て政治家となった彼女なのだ。

 

総統選で敗北した時には、支持者に対して「可以哭泣,不要放棄」(泣いてもいい、しかし諦めてはいけない)と励ましながら、「有一天我們會再回來」(いつの日か、我々は再び戻ってくる)と呼びかけた。そして、民進党を立て直すために、人々の中に入っていった。その泥臭さ、地味さに親近感を覚え、今まで民進党支持者でなかった層のファンを増やしたと言われている。彼女と触れた人は、民進党の政治家のイメージと違うことを悟った。

 

そして、台湾の民衆は、蔡英文を必要としていたのです。2016年1月16日、時代が蔡英文を『政治家』にしたのです。

 

新型コロナが始まった時の対応を含め、彼女の偉業はさまざま語られているのでそれらに譲るとしましょう。さて、ここらでオードリータンさんの話をしたいのですが、その前にわたしの娘への教育論を聞いてください。

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わたしには、2人の娘がいます。1人は今フィリピンの大学で医学を学んでいます。薬学部を卒業し国家試験にも合格して、薬剤師となったのですが、どうも職場に馴染めなかったようで、「お父さんは糖尿や腎不全や病気の多い人なので医者になるわ」と良く言っていた通り医学部へ行き直したのです。下の子は、わたしと共に日本に来て、高校へ通っています。音楽とITが大好きで、いつも飽きずに勤しんでます。

 

わたしはよくこう言います、「学校へは行きたくなければ行かなくて良いよ。勉強したければ今はインターネットもあるし色々な方法がある。学校へは、友を作り人と共に平和でお互いを尊重することを学びに行くところだ。自分が何をしたいか?それが友を喜ばすことに貢献するか?を考えてほしい」って。

 

本の学校で学ぶことは、わたしはあまり進めていませんでした。わたし自身が、学校嫌いで、先生たちから見れば問題児でしたからね。嫌いな先生や科目は徹底して無視していました。先生が前に立って、学力や理解力そして好みの異なる生徒に同じ調子で授業をして、成績が悪いだの態度がどうのといっている今のシステムが大嫌いでした。ただ、部活をしにいっていただけかもしれません。

 

高校は北嵯峨にあり、授業をサボっては嵐山の喫茶店に行ったり、寺の境内で昼寝をしたりすることが多く、部活の時間に校舎へ戻るような生活でした。なんのために地学を学ばなければならないの?なんで地理を勉強しないといけないの?さっぱりわかりませんでした。

 

この態度は、仕事を始めてからも続いています。そのせいで、わたしは約3年から5年で転職をしています。「やりたいことはやってしまった感」や「もうこのやり方やこの世界は廃れる感」に従ってやりたいことを変えてきました。ちょっと「晴天を衝け」の渋沢栄一に似ているかもしれません(笑)。おかげで、「この男はすぐに辞めてしまうかもしれない腰の落ち着かないやから」として日本のヘッドハンターには映ってしまうようで、また職歴から「何者だこいつ?」と思われていたようですね。本人は至って冷静なんだけれども。まあ、日本の「慣習」や「常識」には当てはまらなかったことは認めますが。

 

不登校児でも立派なことをした人はたくさんいます。オードリータンさんもその一人です。彼は一途にITを学んできたんですよね。さまざなITコミュニティにも参加して、世界に友人も作った。独学で勉強、12歳からプログラミングを勉強し、義務教育を飛び出して15歳で起業。19歳で米シリコンバレーでも起業し、米アップルなど世界のIT企業の顧問も歴任しました。

 

大事なことは、彼がIQが高い天才だのということではなくて、日本の記者が次のようにオードリーに尋ねた時の彼の回答です。

 

「日本では小学校からプログラミング教育が始まりましたがどう思われますか?」

 

ープログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。

 

続いて、

 

ー私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養(かんよう)するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。

 

感動しました!全くその通りです。日本の教育の目的は一体何なのか、わたしには全くわかりません。大学を受験するためですか?そんなところで、娘が人生の大切な時間を過ごすことに、わたしは全く承服できません。

 

オードリータンさんは、ゲイですね。きっとたくさん悩んだだろうし、いじめも経験したのではないでしょうか?そういった世界とは離れて、性が問題にならないバーチャル上のコミュニティでITを勉強されてきたのでしょう。その過程で、自分のやりたいこと理想とされる社会について洞察されたのに違いありません。

 

オードリータンさんは言う、「デジタル技術の運用は、必ずその背後に哲学や価値観があります」と。「デジタル技術はもっと謙虚であるべきです。人間に寄り添い、多くの人間が技術の恩恵を受けられるようにすべきです。1位になれ、トップを目指せ、という技術競争を追求してそれについていけない人を生み出すのではなく、どのような技術がどれだけの人を取り込めるかを考えることが重要です。ですから、高齢者はIT社会で何一つ変わる必要はありません。ITのほうこそ、人間に近くなるように調整されるべきなのですから」。

 

このオードリータンさんを政府に引き入れたのは、当時の女性閣僚ジャクリーン・ツァイ、彼女は法律の専門家で、台湾の各地方裁判所で裁判官を務めた後、IBMで台湾や香港・中国エリアの法務長を歴任し、2013年に入閣した人物です。ジャクリーンさんは言ったそうです、「オードリーが民間の素晴らしい力のある方々を引き連れてきてくれ、一緒にコラボレーションすることになった時、私はスタッフたちに言いました。『人生でこんなに人々の命にとって意味があることができる機会は何回もない』と。皆で一緒に問題を解決するという姿勢が大切です」と。

 

反体制派であったオードリータンさんは、面白いことに国民党内閣のデジタル大臣であった蔡玉玲に注目され、2014年後半に、蔡玉玲大臣が彼女を「逆メンター」にしました。若い方が年配の方にアドバイスをする役割です。蔡玉玲大臣は、タン氏の能力を借りて、国民党政権においてデジタル国策を推進しました。と言うことは、ジャクリーンさんは、戦ってきた相手政党の時に登用された人材を引き抜いたと言うことになります。わたしにとっては、オードリータンさんもジャクリーンさんも『器』の大きな方達だと思えます。イデオロギーや年齢ではなく行動・結果・能力を承認してオードリータンさんに任せているリーダーが、蔡総統なのですよ。内閣人事を派閥の力関係やバランスなんかで決めているどこかの国とは全く違いますね。台湾では、政治が国民の方をちゃんと向いていると言うことです。

 

そして何よりも、そういうリーダーを生み出し支えている国民に、頭が下がります。オードリータンさんは言っています、「私たちは、挫折や対立を経験した時、どのように自分の心をケアすれば良いのかを非常に重視しています。台湾は人口密度がとても高いので、これは必須スキルなのです」、つまりレジリエンスですね。

 

わたしは、娘を蔡総統やオードリータンさんに近づける人間になってほしいと思っています。できれば、わたしも含めリーダーを生み出し支える日本国民になりたいものです。台湾の懐の深さに脱帽です。

 

ではでは

栄一 衝突する!

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本格的に寒くなりましたねえ。うちでは、週に2回はお鍋を食べていますよ。ここんところなんかきな臭い感じがして、胸が「どくどく」するのです。

 

欠かさずに観るテレビ番組の一つに、大河ドラマ『青天を衝け』という渋沢栄一の人生を描いたドラマがあります。11月21日の「栄一と千代」で海運業を独占しようと競争相手を潰すことに躍起になっている三菱の岩崎弥太郎渋沢栄一が対決を挑むシーン。時は、武蔵野学院大学の久保田哲教授が「複雑怪奇」と呼んだ『明治14年の政変』と呼ばれる伊藤博文大隈重信を政府から追放し、薩摩と長州藩出身者が主体の体制を作り上げたまさにその時。

 

目を引いたのは、岩崎弥太郎の哲学と渋沢栄一の哲学の真っ向からの衝突と同時に、孤児や貧しい人を養っていた養育院(現在 地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)の財政をめぐる都政での渋沢と行政との対立。見事に、資本主義というものを捉えたシーンでした。

 

渋沢の哲学には、両親から受け継いだ「みんなが幸せなのが一番なんだよ」というのが根底にあります。それに対し岩崎弥太郎は、「経済には勝つ者と負ける者とがある。おまさんの言うことはは理想は高くとも所詮はおとぎ話じゃ。才覚あるものが力ずくで引っ張らんと国の進歩はないけ。」と渋沢を揶揄する。そして養育院の財政問題の会議では、「貧困は己の責任である。貧民は租税を持って救うべきではない。」「誰かが助けてくれると言う望みを持たせるから努力を怠らせることになるのだ。」と行政側は渋沢を牽制する。

 

ここには端的に資本主義の本質が描かれている。「経済には勝つ者と負ける者とがある」「貧困は己の責任である」、見事なまでに表現されている。渋沢栄一は、岩崎弥太郎の「独占=財閥」に対しては「合本=資本を出し合う」で対抗し、行政の「自助」に対しては「国が一番守らねばならぬのは人だ」と抵抗する。五代友厚も渋沢と非常に近い思想を持っていたようです。

 

2009(平成21)年に、東京都老人医療センター(元 養育院附属病院)と東京都老人総合研究所という2つの施設が経営統合して、地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターになっています。実は、1980年台後半、わたしはエンジニアとしてこの養育院のシステム開発に関わりました。当時は、渋沢栄一と養育院との関係は全く知らなかったのです。

 

社会保障制度の始まりは、イギリスで毛織物が国家の主産業となり市場が拡大すると、いわゆる第1次エンク ロージャーによって、土地を失った農民が大量に都市部へと流入し、一気に失業者が増加したことに起因して始まります。貧民救済や貧困への対応は教会や修道院等が行っていたのですが、農民の都市部 への大量流入を受け、エリザベス1世のもとで教区(行政)を単位とした救貧活動が開始され救貧政策が 行われました。徴税による財源確保が行われて始まったのです。不安定な寄付金による財源から強制徴収による税を財源とすることで制度の安定を測ったわけです。

 

19世紀後半のイギリスにおいては、長時間労働や低賃金、不安定な就労が原因となり、人口のおよそ 30%以上が貧困層という状況を生観ました。更に、病気や加齢によって就労が困難となり、貧困化する国民も 増加しました。その結果、その状況に対応するために年金制度などの社会保障の充実が行われたのです。

 

一方、ドイツでは、社会保険として社会保障制度は発展してきました。1830年代に入り、ドイツでも産業革命が進行しはじめ、1871年ドイツ帝国が建国されましたが、帝国の敵と見なされていたカトリックに対する文化闘争や社会主義への風潮が国内統治に大きな影響を与えることとなります。 1863年、労働者が生産協同組合を結成したことで、それまでの自助努力による生活の改善という考え方 から、国家による協同組合への助成によって生活の改善を行うという、現在の社会保障に近い制度の創設 が求められ、その結果、全ドイツ労働者協会が結成されたのです。

 

当時のドイツ社会で増加しつつあった社会主義化の風潮への抑制があったようです。つま り、国家による社会保障によって、労働者階級に対して生活援助を行うことで、労働者階級の国家体制へ の不満を抑えたのであす。

 

しかし、明確な財源確保の手段がないこと、貧困救済はやはり自助努力で行うべきだとする反対の声も多く疾病保険と災害保険は、その保険料を労働者と企業で折半することとし、老年(廃疾)保険の保険料については国の全額負担としたのです。

 

イギリスもドイツも、社会保障制度の始まりには資本主義の発達による長時間労働や低賃金、不安定な就労による貧困層の創出が背景にあることがわかります。特にドイツで濃厚ですが、その状況に対する不満と社会主義化への恐れということもあったようです。

 

また、アメリカでは、世界恐慌が発生した1929年から32年にかけて、名目 GNP が44%縮小、卸売物価は40% 下落、失業率25%という激しいデフレに陥っていました。 こうした状況に対応するために、救済、復興、改革を目標としたニューディール政策が実施されたのです。この政策の中心は、積極的な国家介入による経済活動の推進と産業統制の実施にありました。1935年に社会保障法が成立し、連邦直営の老齢年金制度、州営の失業保険およびに公的扶助に 対する連邦助成を実施しました。また労使関係においては、ワーグナー法による労働者の権利を保障、1935 年には持株会社法の成立および累進課税制度を強化した税制改革が行われたのです。

 

わが国における社会保障も、その始まりは貧困問題への政策から始まりました。。わが国初の公的な救済法としては1874年(明治7年)の恤救(じゅっきゅう=憐れみ)規則があります。この規則が成立した背景としては、1871年廃藩置県により多くの士族層が失業したため、士族がそれ を不服とし反乱が起こった15こと、さらに、1872年の田畑永代売買の禁の失効による農地の売買自由化に よって、土地を失った農民の小作化や貧困化が進んだこと、また、1873年の地租改正により年貢を廃止し て土地評価額に課税する地租を導入し、事実上の増税となったことで、さらに農民の貧困化が進むことで 一揆が頻発したことなどが挙げられます。

 

もうお分かりのように、社会保障制度は資本主義の発達とそれによって生み出された貧困や困窮状態ということが背景にあり、民衆の不満が暴動や社会主義化につながることを抑制するために、資本主義の制度を一部修正して対応したというのがどうも真実のようです。つまり、この状態は自然発生的に生まれた訳でも、民衆が怠惰であるから生じた訳でもないのです。ですから、「貧困は己の責任である」というのは全く筋違いということになります。

 

では日本の現状に目を向けてみましょう。わたしの世代は、高度経済成長もバブル期も経験しています。ですから、「豊か」だった日本を知っている訳です。それとの対比で、容易に最近20年間で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から転落してきている実感、なんで給与が上がらないのだろうという感覚を持っています。でも、その時期を知らない若者はこれが普通だと思うのかもしれませんね。

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実質賃金指数の推移の国際比較

岸田首相が誕生し、「所得倍増」とか「新資本主義」とかと威勢の良いことをおっしゃっていますが、日本をどう成長させるのかの戦略・戦術もなしに、あたかも高度経済成長期が訪れるかのような幻想を振り撒き、政権についた瞬間に萎んで徐々に化けの皮が剥がれるようなことを積み上げ始めたと、わたしはみています。財務省の正当性のない緊縮政策に乗り、「身を切る改革」と叫ぶ維新の会が大阪で制覇し、政府の肝入りの委員会に「公共事業の民間への引渡派」を関与させるような世の中。強いものへの肩入れ「才覚あるものが力ずくで引っ張らんと国の進歩はない」「貧困は己の責任である。貧民は租税を持って救うべきではない」と社会保障制度や民衆の救済を犠牲対象にすることは容易に想像がつきます。

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1989年にベルリンの壁が公開し、1991年ソ連邦が崩壊しました。この時に事実上社会主義の権威が失墜したのです。日本では、安保闘争以降目立った反政府運動は起こらなくなり、民衆がよって立てる政治と繋がっていた諸団体も衰弱した状況下にあります。その結果、新本主義は恐れることを知らなくなり、社会保障制度を嫌々導入した以前の資本主義に戻りつつあります。

 

大阪で新コロナ対策の失政により自民党不審旋風が吹いているのに、結局蓋を開けてみれば自民党過半数をとるなんてことが起こってしまう。現実にはピケティが『21世紀の資本』で示しているように格差は拡大の一途です。労働分配率が下がっているのに、企業の内部留保と株価は上昇を続けています。となると心配なのは、「民衆はどこに行くのか」ということです。エマニュエル・トッドが言うように「グローバリズム自由貿易といった幻想は雲散霧消した。米国は左右に引き裂かれ、欧州は泥沼状態で、中国やロシアや東欧で全体主義の傾向が強まっている。民主主義が失速していく今、私たちが進むべき道とは?」と問わずにはいられません。

 

でわでわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の夜長に・・・ジョブズのように!

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季節も秋から冬へと、少しずつ変化を感じさせるようになりました。急にここに来て寒さが増しましたよねえ。秋といえば食彩の季節、きのこ、栗、秋刀魚、梨、さつま芋、などなどが思い浮かんできます。ところが、化石燃料の値上げがおさまらず、また気候のせいもあってか食材の高騰も毎日のニュースの話題になっています。

 

一方、非常事態宣言も解除され、多くの方が活発に動き出し、旅行業界もここぞとばかり新商品を提案し、秋の魅力を大いに沸き立てる提案をしています。楽しみですねえ。しかも、海外からも一般旅行客は除き、日本への入国が緩和されています。衆議院選挙も終わり、101代内閣総理大臣自民党の岸田さんが決まりました。さて、日本は良くなっていくのでしょうか?

 

さて、Appleの新たらしいMacbook Proが発表され、Appleファンにはたまらないハイグレードな製品が出来上がっていると同時に、Appleが逸れて行った道の誤りを認めたと話題になっています。今年は、スティーブ・ジョブズが逝去して10年目になりますね。10月5日ですよ。私は、Appleファンなものですから、いつもAppleの動向には関心を持っているのです。

 

この6年というもの、Appleは「MacBook Pro」の機能を削り続けてきました。その様子は、まるでどんな犠牲を払ってでも美しいデザインを追求しようとしているかのようでした。2015年には外部接続用のポートの大半を廃止し始め、その後まもなくマグネットで充電ケーブルを脱着できる「MagSafe」の機構もなくしています。そして16年には、キーボード上部に細長いタッチ式のディスプレイ「Touch Bar」を追加しました。Touch Barを追加してもMacBook Proは薄くならなかったし、開発者と消費者の心を掴むことにも失敗しましたよね。こうしてMacは数年かけて美しくはなったものの、使い勝手は悪くなったと思います。ところがAppleは、ここにきて方針を転換したのです。バタフライキーボードも評判が悪く、昔のシザーズスウィッチ構造へと完全に回帰しました。

 

米国時間10月18日に発表された新型Macbook Proは、このシリーズが間違った方向に向かっていたことを、アップルがこれまでで最も総合的に認めたかたちとなる製品といえるでしょう。

 

わたしが、人生で最初に購入したパソコンは、Macintosh SE30でした。あのモアイ像のような佇まいが美しくて、故障して使えなくなってからもインテリアのオブジェクトとして長らく飾っていました。そして、何よりも付属のキーボードのタッチの感触と音がまるで…を触れた時の感触のように心地の良いもので、いまだに比べられるキーボードがわたしにはないのです。

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SE 30



そしてiPodの発表と同時にみたiTunesのユーザーインタフェースの完成度の高さには度肝を抜かれました。「このiTunesは、クラウドを使う際のコックピットとして最適である」とあちこちで吹聴して回ったものです。

 

SE30が故障して以降手に入れたのが、Quadra900でした。しかし、このマシンにはかつてのAppleらしい『シンプルさ、美しさ』は全くありませんでした。その後、しばらくApple製品に手を出すことはありませんでしたね。つまり、スティーブ・ジョブズ不在のAppleの製品には、なんの魅力も感じなかったということになります。

 

一体ジョブズの精神の主柱はどこからきたのかと、自分なりに考えてみることがよくあります。「神は細部に宿る」といったジョブズの哲学。そして、「ハングリーであれ、愚直であれ」と言った人生訓。これらは、曹洞宗の禅僧であった乙川弘文禅僧からジョブズが学んだことのようですね。弘文禅僧は、禅僧とは思えない『破天荒』な方だったようです。『破天荒』というのは、女性関係、借金、お酒など、私たちが禅僧であればこうであるはずだと想像するのとはまるでかけ離れた方であったということです。弘文禅僧は、京都大学出のインテリで周りもその知識の素晴らしさを認めっており、永平寺に務め高僧としての地位まで持ち合わせる方だったようですが、その禅僧としての地位を飄々と超えた僧侶だったようです。弘文禅僧とともに禅堂を営まれた柳田由紀子さんは、彼を『天才・純真・卓越した洞察力』を持つ人と称されています。

 

カリフォルニアには禅堂がいくつもあり、禅僧も何人もいたはずなのに、禅僧としては『はちゃめちゃ』な乙川弘文禅僧になぜ惹かれたのだろうかと考えてしまう。弘文禅僧の最後は、スイスに移りすんだ家の庭の池で小さな孫娘と溺死。仲間の禅僧の中には、悲しくもないと思った人も少なからずいたそうです。なぜなら、周りの彼をよく知る禅僧たちは、弘文禅僧の禅僧らしからぬ『破天荒』ぶりに愛想を尽かしていたのでしょう。ところが、ジョブズは彼の訃報を聞いて啜り泣いていたという。

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一言付け加えなければいけないのは、弘文禅僧を慕う人は多く、特に非常に女性にもてたらしい。小柄でハンサムでもないのに、と柳田由紀子さんは言う。わたしは、ジョブズだけでなく、人が慕うリーダーの重要な素養がそこに見られるように思うのです。自分たちのリーダーは自分達と同じ地平に立っている、それが支えてあげたいという共感を呼ぶ

 

PRESIDENT Onlineで『宿無し弘文』の著者である柳田由紀子さんは、こうおっしゃています。

 

「京大時代の日記とか修論にしても、非常に生真面目なものなんですよ。永平寺時代の仲間に聞いても生真面目なんです。しかも一生独身を通すと誓っている人ですから。ところがアメリカに派遣された弘文は、結婚して子供をつくり、酒を飲んでは家族に暴力を振るうようになる。一体、弘文に何が起こったのか。ヒッピーとか、フリーセックスとか、人間の本能に忠実に生きる『生命』っていうものを感じたんだと思うんです。だから衝撃も受けた」

「私的にはね、あまりにもきちっとした人だと自分ではついていかれない。泥中の蓮っていうのはこういう方のためにある言葉でしょうね。人を助けるために、いてもたってもいられない。やっぱり弘文が崩れたからこそ、みんながまたついていった」

ジョブズは生後間もなく父母から捨てられ養子に出されるという、まさに泥の池に生を受けた人間だった。そんなジョブズだからこそ「泥中の蓮」を求めたのではないか。」

 

 

弘文禅僧のような人が隣にいたらとても困るかもしれないとも、『宿無し弘文』を読むとわかってくる。弘文禅僧の甥っ子の逸話を見ても、カリフォルニアの弘文禅僧を訪れると約束していたのに、訪ねてみれば留守で、なんとハワイに行っていたらしい。こんなことがしょっちゅうあったそうです。また、女性関係も僧侶らしからぬ、まあそれだけモテたんでしょうけどね。およそ私たちが想像する、いや実際にいる僧侶はもっときちんとしているはず。ところが、アメリカに移った弘文禅僧はそうではなかったのです。

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一方、ジョブズはといえば、Appleの古い社員は特にジョブズとエレベータに一緒に乗ってはいけないと言っていたほど、また、製品開発時の関係者への要求も時には理不尽な、やはり厄介な人物。この厄介な人物に24時間いつでも扉を開けて受け入れたのが、この『はちゃめちゃ』な弘文禅僧だったのです。

 

わたしは、以前このブログで【『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」】というのを書きました。この『器』とは、リーダーであったり師と言える存在のことを言っています。そして付け加えるなら、この弘文禅僧のように自分達と同じ地平に立っていると感じられること。子供たちや座った老人と話すときに、天皇や皇后はしゃがんで同じ目線で話しますよね。その目線をいつも感じるということです。

 

自分自身を振り返ってみると、わたしは、同窓会に呼ばれたこともないし、親友と呼べる関係もありません。親友とは、悩みを打ち明けられた時に自己犠牲を強いてもなんとかしたいと思える人間関係のことで、単に知っているという関係ではありません。わたしは、自分のやりたいことに向かってとにかく突っ走ってきました。「それはどうかと思うから考え直してみたら」とか「こうすべきじゃあないのかい」と戒めてくれる存在を作ってこなかったのです。

 

社会学者の宮台真司さんによると、「現在の日本人には仲間という存在がいない」そのことは「自分を外側から客観的に見つめる機会を失うことに繋がっている」という。つまり「自分の損得を超えた視座からものを考える」ことが失われているということになるのです。現代の若者は「友達=悩みを相談できる存在」をほとんど持っていない、一般的にと「友達」と言っているのは「知り合い」のことだそうです。ましてや「親友=悩みを打ち明けられたら自己犠牲を厭わず人肌脱ごうと思える存在」など一人も持っていないと、宮台さんはいう。

 

それには頷けることがあります。少なくとも大学へ入学するまで、わたしには「親友」も「友達」もいました。大学に入って、まず驚いたのはせっかく入学し学費も納めたのに授業にほとんど出てこない学生がいることでした。何をしているだんろうか?どうやら学費と生活費を稼ぐためにたくさんアルバイトをしているようなのです。「じゃあ何のために学費を払っているの?」と考えてしまいませんか?ちなみにわたしの通った大学は、当時日本で一番学費の安い大学で、わたしの学年は年間14万4千円で他の国公立大学に一年遅れで足並みを合わせていたんです。つまり月額で1万2千円ですよ。

 

わたしが学生自治会の執行部に飛び込み、2回生の時に委員長になった理由は、この理不尽さが大きな要因でした。そこからだんだんと社会問題、政治問題、に覚醒していったのです。ところが、同級生たちは社会問題、政治問題、を話すことを避けていました。学費や奨学金についてもです、クラスにはその重荷のためにまともに授業を受けられらない「仲間」がいるのに。もちろん、ノートをコピーさせてやったりと言ったことではみんな助けています。がしかし、それでは根本問題を解決できないのに。

 

わたしの目には、ほとんどの学生は「卒業証書を手に入れて就職を有利にするため」に大学に来ているんだと見えました。わたしは大学を選ぶ際に「誰から何を学ぶのか?」を大学教授を父親にもつ友人がいましたので、そのお父さんに色々と相談をして決めまたという経緯があります。わたしの父親はわたしが法律家になることを望んでいましたが、何になるかは白紙にして、まず「誰から何を学ぶのか?」を考えて入学しましたし、それに忠実に大学生活を送ったつもりです。特に、法学や政治学を専攻していれば、社会にある矛盾には容易に気づきます。大学院へ進学し研究者になる学生も含めて、現実に目の前にある社会問題や政治問題を「知識」として取り入れるか、就職試験や司法試験の解答を手に入れるために時間を費やすか、だったのでしょう。

 

となれば、わたしのような社会問題や政治問題を熱く語り、解決のために行動しようとする人間は、近づき難い異星人だったのでしょうね。彼らにとってはタブーなんでしょう。わたしは、イデオロギーを問題にしたことはありません。難しくいうと、学生自治会のような大衆団体と何々党とい政治団体とは異なるからです。政治団体には通常綱領という理念や方針がありそれに同意した者だけが加盟できるわけですが、大衆団体には例えば学生自治会には大学に入学した者全てが参加する団体です。学生にとって解決しなければいけない権利義務そして課題を討議し、承認されたことに関して行動するわけです。しかし、それらは社会問題や政治問題と独立して存在していないわけで、学費の値上げも学生には経済的な問題ですが、中教審答伸(中央教育審議会答申)によって定められた極めて政治問題なのです。

 

それらが理不尽か不当かを判断するのに、イデオロギーは関係ありません。左や右や、共産主義新自由主義とは関わりありません。宮台さんに言わせると「まともかクズか」の問題なんです。自分は学費を親が払ってくれるので自分の問題ではない、のではなくて、「自分の損得を超えた視座からものを考える」と学費を払うためにバイトをし授業に出られない学生・仲間がいることを慮ることなんです。その結果、値上げやむなしなのか値上げ反対なのか、答えは一緒ではないでしょうが、議論はできるわけですよ。

 

このような経験の中で、わたしは自分を「閉ざされた」中に入って突っ走ってきたのかもしれません。わたしは、3度妻が変わりました。ようやく7年くらい前から、妻と娘が「自己犠牲を厭わず人肌脱ごうと思える」存在になりました。本当に恥ずかしいのですが、そう告白せざるを得ません。その結果、自分を「開いて」、「自分の損得を超えた視座からものを考える」ことの大切さを再確認したんです。そんな時、ジョブズにとっての弘文禅僧のような存在が欲しいなぁて思うのですよ。そのぜいで、歴史上の人物、学生時代には偉大だと思える人の伝記、スペイン・ファシズムレジスタンスであったドロレス・イバルリ「奴らを通すな」、日系米人カール・ヨネダ「がんばって」、日系米人でスペイン市民戦争の義勇軍に参加したジャック白井「オリーブの墓標」、ロシア革命のルポ「世界を揺るがした十日間」の著者ジョン・リード、キューバ革命を達成したエ・チェ・ゲバラアインシュタインガンジーパブロ・ピカソチェリストパブロ・カザルスキング牧師足尾鉱毒事件の田中正造、フォークシンガーのピート・シーガー、沖縄米軍基地反対で米国に恐れられた国会議員だった瀬長亀次郎など、を読んだものです。全て「理不尽さ」や「不当さ」と戦った人々です。

 

これって、ジョブズの「Think Different」のCMを思い出しませんか?このCMは、1997年でしたよねえ。わたしの大学入学は1980年ですから、このCMの前に読んでいたことになります。生い立ちもジョブズと少し似ているところがあります。よけいにジョブズに共感を持つのは、わたしはジョブズの足元にも全く及ばない人生ですが、似たものに共感を持つのですよ。

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別に何の結論もないのですが、秋の夜長にそんなことを考える今日この頃なんです。

 

でわでわ

日本の「常識」という呪魔術

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2021年度のノーベル物理学賞を、真鍋淑郎:米プリンストン大学上席研究員(90)が受賞されたました。明るいニュースですね。真鍋さんは、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルを世界に先駆けて発表されました。まさに今全世界で取り組もうとしている最重要な課題に直結する研究ですね。

 

注目したいのは、真鍋さんが5日にプリンストン大で記者会見し、国籍を変更した理由について聞かれた時の回答です。

 

「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです」と説明した上で、「米国ではやりたいことをできる」と強調。そして「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、最後には「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と語り、会場の笑いを誘った。(yahooニュースより)

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これは非常に重要なことで、日本に住むわたしたちは考えなければならないことだと思いました。しかし、考えれば考えるほど難しい問題であることもわかりました。「やりたいこと」の許容できる範囲をどう線引きするのか、という問題です。

 

元日本マイクロソフト代表取締役で『2040年の未来予測』の著者である成毛眞は、真鍋さんがアメリカに移られたのが高度経済成長期前のまだ戦後の復興時期であったことを考慮すれば真鍋さんの例をとって優秀な日本人が海外へ流出するという議論をするのには違和感がある、とされている。確かに、「好きな研究を何でもできるからです」、とおっしゃってるいるように移住された背景にあるいくつかの問題は現在の日本には当たらないかもしれない。しかし、非常に調和を重んじる関係性を築き、という日本人の傾向はなんら変わっていないと思うのです。

 

わたしは、2006年から2020年までの約13年間をフィリピンで生活しました。フィリピンに渡航するようになってからの期間を含めれば、約28年にもなります。外資系企業で仕事していたことや、IT産業アナリストに従事していたとき、欧米のITベンダーからの招待で海外へ出かけることも多く、外国人と仕事をしたり生活したりする時間が長くありました。そこで感じてきたのが、まさにこの『協調』と『自由』の問題です。

 

たいてい日本人は外国人と会話をすると、「yes yes」と言ってニコニコしていることが多いでしょう(本当はyesではないのに)。ですから吉田政権下で対GHQ交渉を担当した白洲次郎がマッカサーに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたように、はっきりと返事をする、NOならNOと言う、日本人の礼儀は曲げない態度が、アメリカ人にも貴重がられるのですね。

 

フィリピンに定住したのは仕事がきっかけでしたが、そのきかっけを自ずから探していたと言っても良いでしょう。日本でナイトクラブに勤める多くのフィリピン女性と出会って、よく「彼らはラテン系の人」といわれるように、あの底抜けの明るさや大ざっぱ(細かいことを気にしない)に惹かれたことがフィリピンで生活してみたいと思った理由にあると白状します。

 

『なれのはて』という映画でも取り上げられているフィリピンに住む困窮邦人、わたしも何人かの困窮邦人に出会いました。困窮邦人となってしまった理由は、人によって異なっているでしょう。でも、彼らの意識には、共通に「日本社会の窮屈さ」というのが少なからずあります。実は、わたしもその一人だったと言えるでしょうね。

 

わたしは、両親に厳しく育てられました。父の気に入らない事をしたり、物事をぞんざいに扱ったり、整理整頓をしていなかったりすると、言葉の前に拳骨が飛んでくる、そんな風でした。。ですから、スリッパが揃えられていないとか、使われたものが元の状態に戻されてないとか、フロアーマットが木目に揃えておかれてないとか、貸した本のページの角が降り曲がって帰ってくるとか、並べられた本の高さの違うものが混在してデコボコになっているとか、そいうことが許せない性格になっていたんです。

 

これらは極端だとしても、脱いだ靴はそろえるとか、幾分かは見栄えなどを気にしますよね。その理由には、「他人がどう感じるか、他人に失礼がないように」が全ての基準ではなかったかともいます。日本人の遠慮深さや婉曲表現そして敬語にまでその精神は貫かれています。これは、日本人の美徳であることは認めます。まあしかし、大半は自分が気づく範囲のご都合主義ではあるんですけどね。

 

フィリピン人はというと、人によって違うでしょうが、おおよそわたしとは真逆です。はきものは揃えない、適当にスペースを見つけて物を置く、顔や手が汚れていれば着ているシャツなどで拭く「どうせ洗うんだから」。フィリピン人と付き合ったことのある方は、うなずくところが多いのではないでしょうか?

 

でも、程度の差はあれ日本人から見れば、外国人は適度に適当にしていると思われませんか?少なくとも、日本人のように拘らないことが多いです。これは、モノづくりにも確実に影響してますよ。日本人は品質の細部にこだわる、「品質にいやにこだわる」とそれは「コストと時間」に跳ね返ります。芸術の世界ではそれが必要なのでしょうが、モノづくりの世界では「障害」になることも多いと思います。

 

わたしは、フィリピン人の妻を持っていますが、実に最初はその適当さにイライラさせられることが多かったのです。妻は決して貧困な家庭の出ではありませんし、大学の医学部も卒業し医師のライセンスも持っています。大家族で、4人兄弟の唯一の女の子でしかも上から3番目、お姫様の如くに育てられていたようです。やはり、ことを適当にする場合も多い。底抜けに明るいし少々のことではめげない、簡単に誰とでもすぐに仲良くなる。やはりフィリピン人ですね。

 

それと、フィリピンの家庭やコミュニティでは、みんな夜中でも大音量で音楽を鳴らしてカラオケを楽しみます。最初は、「うるさいなあ、近所迷惑だ」とイラついたものですが、特に貧困地区ではそうなんです。でも、「ああそうやって憂さを晴らして生きてるんだ」と想い、「自分だって好きな音楽を音の良いスピカーでたまには大音量で聴いてみたくなるもの」と思えば、我慢していたのが遂には微笑みに変わったのを覚えています。みんな楽しんで生きているなあと。

 

フィリピンで生活されている困窮邦人について言えば、困窮している日本人だけではないですが、多かれ少なかれ私と同じように、フィリピン人の底抜けの明るさや、大雑把さ、優しさ、許容力にひかえれている事は間違い無いと言えます。フィリピンに生活する困窮邦人がどうして生きていけると思いますか?誰かが助けているんですよ。はっきり言えるのは、それは日本大使館や日本政府ではありません、日本人では無いのです。まさに、フィリピン人なんです。それも多くは日本人から見れば貧しいフィリピン人なんです。この事実はマニラ新聞の日本人記者による『日本を捨てた男たち』や『脱出老人』に書かれています。また紀行文を書かれている著名な旅人の下川裕治さんも『「生きづらい日本人」を捨てる』という本を書かれています。

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これらの本に登場する困窮邦人、ホームレス、日本を捨てた人々、そしてわたしも含め、日本のマジョリティの「常識」では問題児であったのかもしれない。それを問題児として一刀両断にして切り捨てるのが日本の社会ではないかと私は思っています。

 

助け合って生活する、老人を大切にする、そういう精神に溢れているのがフィリピン人の社会なんです。そして、他人を詮索しようとはせず「いいじゃないか」と許容する。これは、真鍋さんもおっしゃっていたように「他人を傷つけたくはないけど、彼らが何を望んでいるのかは知る由もありません」ということになるんです。さらに、彼の「自由な研究」を支えてくれた奥さんには、とても感謝されていました。

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日本のホームレスの中にも、自由な生活だからが好きという方もいらっしゃいます。わたしは大学時代に大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の組合と交流していましたが、ホームレスであることに自由を感じる人は結構おられたのを覚えています。もちろん、現状を自分で肯定し納得するためにそう繕っている人もいたかもしれませんが。

 

一方、日本の「常識」や「他人の目」は、本当に窮屈でありました。親の教育によって性格に塗り込まれた性格はありながら、やはり窮屈だと感じるのです。その結果、嫌な先生の授業を後ろを向いて座ったり、手をあげて当ててもらって「わかりません!悪い生徒です。はい、外に出て立っています。」と言って授業をエスケープしたり、やりたい放題。でも好きな科目や先生の授業は、かじりついて勉強する。自分にとってそれをやる意味がどう考えてもわからないものは、徹底してやらない。やりたいことは、「ええっ?なんで?」と言われてもお構いなしにやる。そんな生活でした。しかも、不合理なことを要求する先輩、先生、上司には食って掛かる。

 

当然、叩かれます。しかし、「やる」と決め約束したことは必ずやり遂げる。そんな生活をしてきたので、「頑固で自分勝手な奴」と思われてきたと想います。そんなわたしでも、フィリピンでの生活は許容するまでには時間がかかりました。でも一旦許容できれば、それは心地よさに変わり、やがて普通のことになっていきます。

 

生まれや習慣の違うものが共に生きていくには、多様性を許容することが寛容です。そして暖かく見守り、可能であれば支える。小さな世界で言えば夫婦がまさにそうですよね。それが、ご近所さんに広がり、やがて世界という範囲にまで広がる。そうなったときに、許容力や親切の真価が問われるのでしょう。

 

少なくとも人は一人で生きている訳ではないので、他の人に影響を与えずにはおかないものです。わたしたちは、自分の人生を生きる限り有意義に過ごす道徳的義務もあります。その信頼と義務を無視すれば、他の人にも害が及びます。

 

問題は、『協調』と『自由』をどこで線を引くかということです。それは本当に難しいことです。簡単に文字に表現できないことです。まず大前提として 「人は必ず変化する」「人は他人を思いやる」ということへの絶対的信頼と、「悪は必ず滅びるあるいは自滅する」という確信を持つことが大事ではないでしょうか。そうすれば、我慢して苦にならず許容することもできようというものです。

 

手放しで無制限の「自由」は存在しません。否、存在できません。例えば、エベレストに登りたいと思ってどれだけトレーニングをしたからと言っても、それだけでは登頂することはできません。なぜなら、気象という我々の力ではコントロールできない自然の法則が働いており、その理解なしには、いや理解していたとしても、わたしたちの意識の外で働いているものですから、完全に征服はできない。できる限り調べて理解しようと努力し、登頂するまで耐えず窺い続けることです。つまり、「意識の外で働いているもの」によって制限が与えられている訳です。

 

多様性とは、自分自身の意識の外に存在している相違を耐えず窺い続け「認め合う」「許容する」ことが絶対的に必要になります。「自分自身の意識の外に存在している相違」によって不利益を被ってはならないという約束が必要なんです。

 

日本では、学校の校則、会社での服装規定、学問での研究領域、おそらくパワハラも、余りにも無意味で憶測に基づいた非合理的な制限があり、「他人に迷惑をかけない」を口実にした社会的圧力がかかる。「社内だけの文書ならミスコピーした紙で裏面が白紙なら、コストの節約のためにそれを使え」、これはコスト計算してみるとわかるように、一度印刷機を通ったインクの乗った紙はスタックし易いので印刷時のコストは上昇するということを知らない、まさに『無知』が生み出す不合理な意見なんです。しかし、その意見は「常識」化していませんか?そしてそれによって作られたルールや規則はたくさんあるでしょう。

 

外国人との関係でいうと、異なった習慣や思考に対して優劣をつけてしまうなどと言ったことにつながっているのではないでしょうか。「あなたはフランス人のようね」と言われた時と「あなたはフィリピン人のようね」と言われた時に、どう感じるか正直に考えてみてください。全く具体的な人物を提示されてもしていないのに反応してしまうのは、何某かその民族に対するイメージを持っているからではないでしょうか?その「何某かのイメージ」がくせ者なんです。どのようにしてその「何某かのイメージ」を持つに至ったのでしょうか?それは一体どういうものなのでしょうか?よく考えてみる日つゆがあるのでは無いでしょうか。それは、一種の「無知」のなせる技なんです。

 

真鍋さんもわたしも、こういった日本の社会に閉塞感を感じたのでしょう。これでは、不合理な「常識」にも従う「プラスティック」のような人間しか生まれてこない、びっくりするような偉大なことができる「破天荒」な人間は生まれてこないと思うんです。自分自身の意識の外に存在している相違が「嫌いか好きか?」ということはどうでも良くって、その相違によって圧力をかけない、低く見下げない、邪魔したりしないことは最低限のマナーだと想います。

 

慶應義塾大学の医学部教授である宮田裕章さんは、「イノベータを生み出せなくなる」のではないかと懸念されていました。結局そこに行くんでしょうね。大学時代にピアスをしたり髪の毛を染めたりしていた学生が、就職活動をし始めるとピアスを外し、髪の毛の染め色を落とし、紺かグレーのスーツにネクタイ姿に返信する光景。女性もどの程度まで髪の毛を染めていいのか悩んだりする。これでいいんでしょうか?

 

今のまま、日本で摩耗していくよりも「自分の生きたいように生きたい!」「自分をきちんと評価してくれる社会で働きたい」という人生や価値観を求めて、日本を脱出していく若者も後をたたないという現状もあり、この調和を重んじる関係性や「常識」が生み出す閉塞感は無視できないと思うのです。

 

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宮田裕章さん


でわでわ

京の友よ!儀範たれや!

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      上賀茂 樫の実学園の塀

 

前稿で【『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」】について書きました。その後、友人のFacebookでの投稿によるすすめで、あるYouTubeコンテンツを見ました。創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツでした。

 

友人というのは、京都時代に大学受験のために通っていた塾で知り合った松井孝治君です。彼は京都でも有名なホテルオーナーの次男坊で、洛星高校という京都の難関受験校に通っていて、東大へ現役で合格し、通産省(現在の経産省)を経由して参議院議員になった絵に描いたようなエリートでした。わたしと彼は、高校3年生の時に塾内ではなく、塾の近所にあった「マリン」という喫茶店を舞台に青春のほんの1ページを描いたに過ぎない関係でした。

 

わたしが、東京に転勤になり松井君に会おうと連絡を取ったとき、彼はすでに通産省に勤務していました。あるとき、彼のオフィスに訪ねていきました。書類だらけのオフィスで、「虫が出るぞ」と彼にいったのを覚えています。美しくスマートなオフィス環境で中央官庁の方々は働いているものと想像していたのですが、いやはや当時は全然そうではなかったのです。

 

数年後彼から、結婚するので式に出席しないかと誘いをいただき、参列させていただきました。まさに竹下政権誕生のその日で、さずが出席者の数人が官庁と結婚式場を忙しく行き来しておられたのが印象的でした。その次に彼と会ったのが、彼が参議院に立候補したときでした。予想に反して民主党からの出馬でした。京都にベンチャービジネスの象徴的存在であった堀場製作所の堀場社長が、彼の後援会長に就任されていて、わたしは末席に登録させていただいたわけです。

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その時から、ある意味で遠い存在になってしまった松井君。なんと次にこちらからemailで連絡を取ったのがつい先日、彼は離党して慶應義塾大学の教授となっていたのです。以来、Facebooktwitterで彼の投稿を目にする日々が続いています。2021年9月20日、彼の投稿で創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツを知りました。東大名誉教授の御厨教授、日本経済新聞編集委員の清水真人氏、そして松井君の対談を見ることにしたのです。

 

初めて知ったのですが、松井君は一般財団法人創発プラットフォームの理事で、御厨教授は評議員議長でいらっしゃいます。松井君が理事だとは知らず、以前から創発プラットフォームのコンテンツは好きでよく拝見してました。また、13回にわたる松井君へのインタビューがコンテンツにあるのですが、そこでも彼との空白の年月、彼がどんなことに携わってきたのかを初めて知ることになったのです。

 

1990年代後半の橋本政権時代、30代半ばのエース官僚たちが官邸に集められ、省庁再編、そして官邸強化に携わったことがあったが、そこで重要な役割を彼が果たしていたとか、鳩山政権時代に内閣官房副長官であったなど、続々と彼の立派な活躍を知ることが出来、改めて彼の偉大さを思い知りました。

 

さて、『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』の対談や、御厨教授と三浦瑠璃子さんとの対談で、御厨教授が「リーダーが小粒になり」だとか「菅総理なんかはこんにちはと声を掛けるとこんにちはと返してくれそうな」と、昔の総理大臣にはもっと風格や威厳があったのだがと述べられていたのが印象的でした。

 

これは、わたしが述べた『器』に対する認識と重なるところがあると思ったんです。御厨教授の分析で興味深いのは、「メディアと通信手段の変容」がそれに関係しているとされている部分です。昔は、新聞の紙面で政治家の様々を知りました。その後テレビが加わり、1990年代にファックスという通信手段が生まれ、そして今はというとスマートフォンSNSというように変遷してきた。

 

そういえばこんなとがあった。

 

 沖縄の本土復帰から1カ月後の1972年6月17日土曜日。佐藤栄作首相が7年8カ月の長期政権の退陣を発表し、首相官邸で記者会見に臨んだ。「テレビカメラはどこかね」。会見場にびっしりと顔を並べた新聞記者たちを前に首相はけげんそうな顔をした。「新聞記者の諸君とは話をしないことになっていたんだ。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。首相は話が違うといわんばかりにそう言うなり、引っ込んでしまった。

 竹下登官房長官の取りなしで首相は会見場に戻ってきた。「そこで国民の皆さんにきょう……」。言いかけると、前列の記者が声をかけた。「総理、それより前に……。先ほどの新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」。

 「出てください。構わないですよ」。間髪を入れずに首相はテーブルを右手でたたき、大きな音が立った。「それでは出ましょう」。記者は応じた。一瞬置いて別の記者が「出よう、出よう」と呼応した。ぞろぞろと席を立っていく記者を首相は目を見開いてにらみつけた。

                               出典:毎日新聞

 

政治家たちも、メディアの変遷にともなって、それぞれにどう付き合っていくかを必死に考えてきたのでしょう。メディア対策がうまい政治家もいればそうでない政治家もいる。また、メディアというのは政治家vs国民という関係だけではなく、政治家vs政治家という関係においてもっと戦略が必要になる。SNS時代になった現在、政治家も裏で取引する以外に、メディアの使い方が思い浮かばないのかもしれない。一億総メディア発信者時代になっているので、ことが即座に伝わってしまい、情報伝達がリアルタイム化してします。そのせいもあってか、政治家にとってメディア戦略が複雑で難しくなる。

 

そうして、メディアを意識するが故に、反応にビクビクし『小粒』になっていくという現象が起こる。確かにそういうこともいえそうです。わたしには、もう一つ大事な政治家の変容のポイントがあります。それは、御厨教授もおっしゃっているように、「国民に必要なことを懇切丁寧に説明しない」という点でです。わたしはこれに「自分の言葉のありようで」でと付け加えたい。

 

つまり、政治家が政治政策や理念を伝えたり、国民を説得するには、「両刃の剣のように鋭く刺し通す」言葉の説明が必要です。遊説の時も委員会の答弁の時も、いつもそれが息をするように出来なければならないと思うのです。それを伝える手段としてメディア戦略というのは必要になるのだとわたしは思います。

 

なぜ今の政治家はそうではないのか?言葉はどこか上っ面で「聞き心地の良さ」だけが目立ち、大事な情報は隠す、詳細を説明しない!これでは、多くの国民は蚊帳の外だと感じ、政治から遠ざかります。そんな状態でも長期にわたって与党の座に座ることが出来ている。それが、おごり高ぶりを許す環境になってしまっている。しかも、行政文書の改竄までしてことを隠す、デモも反対運動もおこらない、国民を愚弄しているとしか思えないことがまかり通る。悪循環です。

 

大河ドラマの『西郷どん』のなかで、西郷吉之助が篤姫をつつがなく将軍家に嫁がした直後に、主君である島津斉彬とサケを酌み交わすシーンがあります。そこで島津斉彬が酒をついだ切り子ガラスについて「これは金のなる木じゃ」と、藩で製造させている物の説明をするシーンがあります。そこでこう言います「新しい技術を身につけた職人たちが金を稼ぐようになる。便利な道具で百姓たちは多くを実らせ、商人たちがそれを持って交易を広げていく。皆が豊かになる。暮らしが豊かになれば皆が前を向く。国は自然とまとまる」。その通りです。

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ボブ・マーリーの曲に『Them belly full 』があります。「Them belly full but we hungry A hungry mob is an angry mob・・・」(彼らの腹は一杯だが、我々は腹ぺこだ 飢えた暴徒は怒っている・・・)と始まる曲です。『民』の腹を満たすのが政治ではないでしょうか?そのための仕組みを作るのが政治ではないでしょうか?以前、日本にもそのようなことを信念にし身を賭した指導者はいたのです。

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デジタル庁でも宣言しているように「誰一人取り残さない・・・」、この言葉は自民党総裁選候補者も唱えている。ならば、彼らは答えなければなりません。「誰一人取り残さない・・・」とは、どのような状態なのか?一体何をどのようにすることで、「誰一人取り残さない・・・」という状態が実現できるか?

 

ご存じでしたか?1997年の日本人の平均所得は、3万8823ドルと、スイスやルクセンブルクに次いでOECDで3番目の堂々たる高水準でした。OECDの平均値2万2468ドルの1.5倍以上です。かつての日本はこれほどまでに、高い水準の経済力を誇っていたわけですが、現在はこの平均値にも満たないレベルになっているというわけです。一方で、大手企業の幾つかは、過去最高益を更新しているというのにです。

 

ドイツが年率で約2%成長、米国や英国、カナダが年率約3%の成長、韓国が年率約4%の成長となっている一方で、日本だけが、なぜか成長しておらず、むしろ停滞しているという事実にがくぜんとします。

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平均所得変化率 実質値 (OECD統計データ より)

 

コロナ対策はといえば、政府や専門家委員会の施策とは明らかに無関係に、感染者や死者数は変化している。いまだに、マスコミは「先週の何曜日と比較して増加しています」か「減少しています」といった報道を繰り返しているだけで、「なぜそうなのか?」と追求することを何もしない。

 

日本国民はこんな状況の中で、昔のように「米騒動」のように怒りを爆発させたり、政府への怒りのデモ行進をするわけでもなく、「豊かさ」の定義を変えたりしながらなんとか前を向こうと懸命に生活している。世界でも珍しい国民です。これがある意味では、自民党長期政権を許し、渋沢栄一が賢明に避けようとした「官尊民卑」的政治を生きながらえさせてきたのではないかと思う。

 

わたしは、かつて大学自治会の委員長を務め、学生運動に身を投じてきました。学生自治会とは、勝手に学生が作り上げた任意に存在している組織ではなく、大学当局との間で排他的統治を合法的に認められた団体(国際法に準ずる)のことです。ですから、規則に定められた選挙によって選出された委員から、選挙によって執行部を選出し、半期毎に学生大会を規則によって定められた学生の出席数の基で承認された自治会方針に従って執行運営されるものなのです。であるからこそ、大学当局との交渉権を有していたわけです。

 

学生大会に提案する方針案は、前半期の活動の総括、不十分であったことあるいは達成出来たことの原因を明示し、各情勢の分析に則って何をどのように執行するのか(当然学生の学ぶ権利の保護に関して)、なぜそれが重要であるのか、を明確に示すものです。そしてその合意を学生大会で獲得せねば成立しない、なにもできないわけです。情勢分析とは、国際情勢、国内情勢、そして教育・学園を巡る情勢を分析したものを指します。それを分析するために、有識者つまり教授陣やシンクタンクの研究員のような立場の方の協力も得なければ分析できないような代物です。

 

中でも重要なのは、過去提案した方針とその実行結果の総括です。なぜ成功したのか、なぜ不十分に終わったのか、なぜ間違ったのか。それらを赤裸々に分析し過ちや間違いがあれば、包み隠さず学生の前に提示して、次の方針を提案する。これが最も重要な営みです。果たして、今の政党や政治家は、そうしていますか?わたしには、全くそうしているようにはみえません。

 

友人の松井君は、かつて民主党時代の活動を13回にわたる創発プラットフォームのインタビューという形式をとりながら総括されおり、間違い、未熟さ、などをはっきりと語り、謝ったりまでされおり、わたしは感動しました。政治家という舞台を降りられたから出来るんだろうといってしまえばそうなのかもしれませんが、こういった態度が政治家に必要な謙遜さ・謙虚さだと思いました。全ての政治家が見習うべきだと思ういます。

 

松井君、君こそが総理の座を目指してくれないかなあ?(^-^*)

 

でわでわ

『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」

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菅総理自民党総裁選挙の立候補を断念し、4人の候補が総裁の席を争って動き始めました。わたしは、どの方にも全く興味が引かれ得ません。わたしには、どの方も一国のトップの『器』をお持ちのようにはみえないからです。どの方もあまりにも小さい『器』にしかみえません。会見に臨むと、それぞれの方が「聞き心地の良い」ことを抽象的な言葉で、どちらともとれそうな言葉で語られるけれども、いっこうに心に刺さらないのです。

 

そんな「聞き心地の良い」ことばには、欺され続けてきていますからね。信じる気になかなかなれないのが本音です。

        

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一方野党はどうかというと、やはり自民党のこき下ろしに終始しているようにみえてしまう。これはマスメディアの問題なのでしょうが、そのような点が国会討論や会見のシーンで主に露出させられてしまっているように思えるのです。

 

もちろんわたしは、政治学者でも行政学者でもマスメディアでもないし、政治家でも行政官僚でもありません。ですから、政治家や政治に関してはみえていない部分がほとんどでしょう。しかし、ほとんどの国民はわたしと同じだと思います。まあ、党員だったり政治家の後援会員だったりする人は、情報の質も量もわたしとは圧倒的に異なるのかもしれませんが。しかし残念ながらその情報は、圧倒的なバイアスにさらされていることは見過ごしてはならないと思います。

 

今回の自民党総裁選で、唯一興味を持ってみているられるのは、若手議員の「脱」派閥の動きです。さて、それが下剋上にまで発展するどうかは期待できないにしても、表面化してきたことには見守るべき価値はあるのではないでしょうか。この動きの背後には、全ての政治家が「小粒」つまり指導者として党員を率いるだけの『器』ではないことの結果のような気がするのです。2回目の長州征討で失敗した徳川幕府のようなものでしょうか。

 

わたしは思うんです。きっと自民党内でも、ジャンダーギャップやエージギャップがくすぶっていて、限界に来ているのではないだろうかと。「派閥」というのはまさにそのギャップを醸成してきた男性の年配の方々を象徴するものとして使われており、「派閥」のトップを形成している年配者たちへの忖度も限界に来ているということのように思えるのです。まさに、幕末の徳川政権の様相ではないでしょうか。

 

ですから、選択的夫婦別姓などのように、まさにジャンダーギャップとエイジギャップの相違がまともに意見として出てくる個別の問題に関しては、野田候補と共同戦線を張ることが出来る議員や各党党員は沢山いるのではないでしょうか。党や派閥が一体何の意味があるのだろうかと思ってしまう。意味があるとすれば、現状では世の中にWellbeingを創出する足かせになっているだけだと思う。

 

わたし自身、別姓結婚の経験者なので特にそのように感じるのです。妻(別れてしまいましたが)は、非常にフェミニンでな女性で別姓結婚を望んでいました。わたしの大学の後輩で平和や人権をともに勉強してきた同士でもあったのに、いざ現実に直面するとなるとあれこれ考え悩みました。別姓でいたいという気持ちは十分理解できる。ところが、現状の法制度や行政制度では別姓にすることで獲得できない政府のサポートがあったり、行政上の位置づけは「未届の夫」と書かれ、ものすごい違和感を感じることになるからです。しかも、親たちがどのように受け止めるのだろうと、いくつも課題が出てくることが想像されたんです。

 

これが、まさにジャンダーギャップとエイジギャップ、つまり過去の亡霊のなせる技なんですよ。人権や差別を頭では理解していても、自分が当事者になるとなれば簡単ではないのですね。ゾンビは、現れ続けるのです。

 

わたしは、ITに関する評論も書いていますが、イノベーションやDX(デジタルトランスフォーメーション)をなぜ実践できないかという問題と同じ原因なんです。変革とみられることを創出しようとすると、必ずジャンダーギャップとエイジギャップがゾンビのように蘇り邪魔をし、時間を止めてしまうわけです。そのゾンビマインドが、過去の心地よさや成功体験に裏付けられている場合は、なおのことやっかいな代物となるのです。

 

しかも、派閥の年配の方々が最も不得意なのは「多様性」を認めて「調和ある政策」を産み出すことにあります。「多様性」のない画一的なものでは、所詮死角を持ち続ける。「多様性」は、その死角を見つけ出すためには非常に重要な機能を発揮するのです。

 

ロシア革命を率いたボルシェビッキ党のレーニンをごぞんじでしょうか?信じられないかもしれませんが、レーニンは、執行部の半数は反対の立場のものを入れるように書き残しています。残念ながらスターリンは全く逆のことを行いました。レーニンも妻のクループスカヤも、スターリンを中枢に置くことには難色を示していたんですね。

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元来「多様性」の一機能を期待されるのが、メディアであるのですが。果たしそうなっているだろうか?戦前のメディアを振り返ってみてください。紙面を売るために、競って戦争をあおり立てたのではないでしょうか?朝日新聞も読売新聞もです。当時は、企業(集団)としてのメディアしかなかった。今は、個人がメディアになり得る時代だ。ということは、若手の名もまだ売れていない議員たちでも、いつでも政策や意見の発信が可能だということですよ。

 

優先させるべきは窮屈で狭い党や派閥なのか、それとも民なのか、と問うてほしいものです。「小異を捨て大同に就く」という言葉を思い出して欲しいものです。

 

さて、わたしのように一般国民は果たしてマニフェストや政治家個人の政策をどれほど深く熟慮した上で、選挙に臨んでいるのだろうか?そして、なぜ若者の投票率が低いのか?と、ついつい考えてしまう。京都市選挙管理委員会のサイトには以下のような記述があります。

 

平成26年(2014年)の衆議院議員総選挙における年代別投票率を見ると,20歳代の投票率が32.58%であったのに対して,60歳代は68.28%と2倍以上の差がありました。また,平成26年10月1日現在の人口推計を見ると,20歳代はおよそ1,300万人であったのに対して,60歳代はおよそ1,800万人と1.4倍ほどの差があります。これらを計算してみると,20歳代の投票数はおよそ420万票,60歳代の投票数はおよそ1,240万票となり,票数にするとその差はおよそ3倍となります。若者の投票率が低くなると,若者の声は政治に届きにくくなってしまいます。その結果,若者に向けた政策が実現しにくくなったり,実現するのに時間を要する可能性があります。

 

まさにその通り!しかし、なぜ若者が選挙に行かないのかをもう少し真剣に考えた方が良い。若者の投票率が上の世代に比べて低いというのは、日本だけで起こっている現象ではないのです。いまや、若者を選挙に動員できる政治家は、世界をみても見当たらない。様々な研究でいろいろな分析が上がっている。例えば投票(不在投票や地元でない地域からの投票など)の仕組みが複雑で面倒くさいということもあるだろう。彼らの住処はスマホなのかもしれない。

 

アメリカで選挙に行くように大勢の学生に働きかけていた20歳の学生は、「住んでいた小さい町では、政治というのはワシントンでやっていることで、ワシントンの政治家がどう投票しても自分の生活には関係ないと、そういう感じだった。政治は自分たちを裏切ったので、政治に関わるのは面倒すぎるからごめんだという気持ちが強かった」と述べている。若者は、学校で選挙や政治についてどれほど学ぶ機会があっただろうかを考えてみてください。「投票は義務だろう」では始まらない。

 

生活に学業に忙しく追われており、特にホームタウンを離れて生活するものにとって、政治家の議論は縁遠いものに感じられているのではないだろうか?ここでも、ジャンダーギャップとエイジギャップのゾンビは首をもたげる。これは、若手政治家だけではなく、わたしたち一般国民のなかでも同じ現象がおこっているといえないだろうか?

 

投票率が低いのは、政治家だけに責めを負わせるつもりはない。しかし、多くの投票が期待されるジャンダーや世代に視点が向くのは自然のことだが、ますます若者を遠ざける結果にしかつながらない。YoutubeTwitterでは、政治家の揚げ足をとりコテンパンに戯評するコンテンツが炎上したりします。でも、意図は分かりませんが、逆効果ではないだろうか?こんなものに一時的に「そうだそうだ」と相づちは打っても、やがて疲れて飽きて政治がつまらないものと感じるだけの効果しかないと思う。

 

きっとそのようなコンテンツを生成し流布できる人は、多くの知識をお持ちの方々だと思います。ならば、それをみてみんなが「政治を自分事」として捉えられるコンテンツを作り出すために生かし、知恵を絞っていただきたいと思うのです。

 

政策の善し悪しを充分に理解し得ていなくとも、演説やポスター、テレビ出演などを通して政治家の態度を見さえすれば、その『器』を少なくともわたしは感じることが出来きます。多くの方がそうではないかと思うのです。団塊の世代を筆頭に司馬遼太郎の「竜馬はゆく」を読んで主人公の「坂本竜馬(龍馬)」に傾倒し感動した方は沢山いらっしゃるでしょう。司馬遼太郎の作品は多くがNHK大河ドラマになりました。すくなくともわたしは、司馬遼太郎の作品は活字で読んだことはありません。

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当然それらは「龍馬」を「竜馬」と表記されてるように、様々な資料を読まれ、あるテーマの古書籍が神田の古書店街からことごとくなくなるといわれたほど読まれ分析された事々を背景にして描かれてはいるものの、司馬独自のフィクションです。しかし、累計9,800万部(2016年時点)のダントツの発行部数を誇るのが司馬作品です。

 

わたしの独りよがりの思いかもしれませんが、そこにわれわれの世代の日本人が求めるリーダー像があると思うのです。特に長らく続いた「窮屈で不合理な時代」を刷新した維新の志士たちにそれを見てとるのです。維新、特に日露戦争以前の幕末からの時代です。加藤周一氏によると「外に膨張主義的ではなく、日本の独立をめざした」時代、尊皇攘夷ではなく「日本の独立」を一身にめざしたのが維新であったというのです。「この国のかたち」を必死に探り、多くの失策もあったが短期間のうちに世界史に例を見ない変革を成し遂げていく時代。経営学者の米倉誠一郎氏もこの時代のイノベーターの姿を描き出されています。

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                             武市半平太

わたしなりに、日本人が好むリーダー像を考察した、いや、わたし自身が求めるリーダー像を表現してみます。NHK大河ドラマの『龍馬伝』の竜馬の台詞に、「私心のあるのはこころざしではない」というのがあります。政治家のなかには「こころざし」を一生懸命に伝えようとする方もいらっしゃいます。が、しかし「私心」が見え隠れするのです。「公につくし」、身を捧げてこそ「公僕」と言われる所以があります。「公」とは、もちろん主権者である国民であり、弱きを助け強きを説得することだと思います。

 

その一人の典型として、足尾鉱毒事件のときに住民の被害をなくし住民を助けるために、私財も身なりもかまわず奔走した政治家の田中正造を思い浮かべます。彼には、不正や不合理に苦しむ住民を救うという「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」があった。

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また、「龍馬伝」の坂本龍馬は、全く「私心のないこころざし」の人であり、真っ当に生きる人を尊敬し、友や家族を思い、いつも人の良い部分を見つけては褒め、対等の目線で誰とでも気軽にはなし笑う人物としてえがかれている。しかも同じ方向を向いている西郷吉之助、木戸孝允、そして破天荒の中の破天荒の高杉晋作たちでも思いつかない策をやってのける破天荒ぶり。やはり「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」なリーダーとしてえがかれている。「西郷どん」の西郷吉之助も全く同様ではないでしょうか。

 

 

つまり、、日本人のどこかに「私心のないこころざし」と住民(友や妻や家族といってもよい)を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」が、求めるリーダー像としてあるのではないかと思う。わたしもご多分に漏れずそれをリーダー像として持っているのです。まさにこれこそが『器』なのです。「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」のどれが欠けてもリーダーの『器』にあらずと思うのです。

 

でわでわ