徒然なるしらべにのって!

あの地平線 輝くのは どこかに君を 隠しているから

栄一 衝突する!

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本格的に寒くなりましたねえ。うちでは、週に2回はお鍋を食べていますよ。ここんところなんかきな臭い感じがして、胸が「どくどく」するのです。

 

欠かさずに観るテレビ番組の一つに、大河ドラマ『青天を衝け』という渋沢栄一の人生を描いたドラマがあります。11月21日の「栄一と千代」で海運業を独占しようと競争相手を潰すことに躍起になっている三菱の岩崎弥太郎渋沢栄一が対決を挑むシーン。時は、武蔵野学院大学の久保田哲教授が「複雑怪奇」と呼んだ『明治14年の政変』と呼ばれる伊藤博文大隈重信を政府から追放し、薩摩と長州藩出身者が主体の体制を作り上げたまさにその時。

 

目を引いたのは、岩崎弥太郎の哲学と渋沢栄一の哲学の真っ向からの衝突と同時に、孤児や貧しい人を養っていた養育院(現在 地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)の財政をめぐる都政での渋沢と行政との対立。見事に、資本主義というものを捉えたシーンでした。

 

渋沢の哲学には、両親から受け継いだ「みんなが幸せなのが一番なんだよ」というのが根底にあります。それに対し岩崎弥太郎は、「経済には勝つ者と負ける者とがある。おまさんの言うことはは理想は高くとも所詮はおとぎ話じゃ。才覚あるものが力ずくで引っ張らんと国の進歩はないけ。」と渋沢を揶揄する。そして養育院の財政問題の会議では、「貧困は己の責任である。貧民は租税を持って救うべきではない。」「誰かが助けてくれると言う望みを持たせるから努力を怠らせることになるのだ。」と行政側は渋沢を牽制する。

 

ここには端的に資本主義の本質が描かれている。「経済には勝つ者と負ける者とがある」「貧困は己の責任である」、見事なまでに表現されている。渋沢栄一は、岩崎弥太郎の「独占=財閥」に対しては「合本=資本を出し合う」で対抗し、行政の「自助」に対しては「国が一番守らねばならぬのは人だ」と抵抗する。五代友厚も渋沢と非常に近い思想を持っていたようです。

 

2009(平成21)年に、東京都老人医療センター(元 養育院附属病院)と東京都老人総合研究所という2つの施設が経営統合して、地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターになっています。実は、1980年台後半、わたしはエンジニアとしてこの養育院のシステム開発に関わりました。当時は、渋沢栄一と養育院との関係は全く知らなかったのです。

 

社会保障制度の始まりは、イギリスで毛織物が国家の主産業となり市場が拡大すると、いわゆる第1次エンク ロージャーによって、土地を失った農民が大量に都市部へと流入し、一気に失業者が増加したことに起因して始まります。貧民救済や貧困への対応は教会や修道院等が行っていたのですが、農民の都市部 への大量流入を受け、エリザベス1世のもとで教区(行政)を単位とした救貧活動が開始され救貧政策が 行われました。徴税による財源確保が行われて始まったのです。不安定な寄付金による財源から強制徴収による税を財源とすることで制度の安定を測ったわけです。

 

19世紀後半のイギリスにおいては、長時間労働や低賃金、不安定な就労が原因となり、人口のおよそ 30%以上が貧困層という状況を生観ました。更に、病気や加齢によって就労が困難となり、貧困化する国民も 増加しました。その結果、その状況に対応するために年金制度などの社会保障の充実が行われたのです。

 

一方、ドイツでは、社会保険として社会保障制度は発展してきました。1830年代に入り、ドイツでも産業革命が進行しはじめ、1871年ドイツ帝国が建国されましたが、帝国の敵と見なされていたカトリックに対する文化闘争や社会主義への風潮が国内統治に大きな影響を与えることとなります。 1863年、労働者が生産協同組合を結成したことで、それまでの自助努力による生活の改善という考え方 から、国家による協同組合への助成によって生活の改善を行うという、現在の社会保障に近い制度の創設 が求められ、その結果、全ドイツ労働者協会が結成されたのです。

 

当時のドイツ社会で増加しつつあった社会主義化の風潮への抑制があったようです。つま り、国家による社会保障によって、労働者階級に対して生活援助を行うことで、労働者階級の国家体制へ の不満を抑えたのであす。

 

しかし、明確な財源確保の手段がないこと、貧困救済はやはり自助努力で行うべきだとする反対の声も多く疾病保険と災害保険は、その保険料を労働者と企業で折半することとし、老年(廃疾)保険の保険料については国の全額負担としたのです。

 

イギリスもドイツも、社会保障制度の始まりには資本主義の発達による長時間労働や低賃金、不安定な就労による貧困層の創出が背景にあることがわかります。特にドイツで濃厚ですが、その状況に対する不満と社会主義化への恐れということもあったようです。

 

また、アメリカでは、世界恐慌が発生した1929年から32年にかけて、名目 GNP が44%縮小、卸売物価は40% 下落、失業率25%という激しいデフレに陥っていました。 こうした状況に対応するために、救済、復興、改革を目標としたニューディール政策が実施されたのです。この政策の中心は、積極的な国家介入による経済活動の推進と産業統制の実施にありました。1935年に社会保障法が成立し、連邦直営の老齢年金制度、州営の失業保険およびに公的扶助に 対する連邦助成を実施しました。また労使関係においては、ワーグナー法による労働者の権利を保障、1935 年には持株会社法の成立および累進課税制度を強化した税制改革が行われたのです。

 

わが国における社会保障も、その始まりは貧困問題への政策から始まりました。。わが国初の公的な救済法としては1874年(明治7年)の恤救(じゅっきゅう=憐れみ)規則があります。この規則が成立した背景としては、1871年廃藩置県により多くの士族層が失業したため、士族がそれ を不服とし反乱が起こった15こと、さらに、1872年の田畑永代売買の禁の失効による農地の売買自由化に よって、土地を失った農民の小作化や貧困化が進んだこと、また、1873年の地租改正により年貢を廃止し て土地評価額に課税する地租を導入し、事実上の増税となったことで、さらに農民の貧困化が進むことで 一揆が頻発したことなどが挙げられます。

 

もうお分かりのように、社会保障制度は資本主義の発達とそれによって生み出された貧困や困窮状態ということが背景にあり、民衆の不満が暴動や社会主義化につながることを抑制するために、資本主義の制度を一部修正して対応したというのがどうも真実のようです。つまり、この状態は自然発生的に生まれた訳でも、民衆が怠惰であるから生じた訳でもないのです。ですから、「貧困は己の責任である」というのは全く筋違いということになります。

 

では日本の現状に目を向けてみましょう。わたしの世代は、高度経済成長もバブル期も経験しています。ですから、「豊か」だった日本を知っている訳です。それとの対比で、容易に最近20年間で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から転落してきている実感、なんで給与が上がらないのだろうという感覚を持っています。でも、その時期を知らない若者はこれが普通だと思うのかもしれませんね。

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実質賃金指数の推移の国際比較

岸田首相が誕生し、「所得倍増」とか「新資本主義」とかと威勢の良いことをおっしゃっていますが、日本をどう成長させるのかの戦略・戦術もなしに、あたかも高度経済成長期が訪れるかのような幻想を振り撒き、政権についた瞬間に萎んで徐々に化けの皮が剥がれるようなことを積み上げ始めたと、わたしはみています。財務省の正当性のない緊縮政策に乗り、「身を切る改革」と叫ぶ維新の会が大阪で制覇し、政府の肝入りの委員会に「公共事業の民間への引渡派」を関与させるような世の中。強いものへの肩入れ「才覚あるものが力ずくで引っ張らんと国の進歩はない」「貧困は己の責任である。貧民は租税を持って救うべきではない」と社会保障制度や民衆の救済を犠牲対象にすることは容易に想像がつきます。

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1989年にベルリンの壁が公開し、1991年ソ連邦が崩壊しました。この時に事実上社会主義の権威が失墜したのです。日本では、安保闘争以降目立った反政府運動は起こらなくなり、民衆がよって立てる政治と繋がっていた諸団体も衰弱した状況下にあります。その結果、新本主義は恐れることを知らなくなり、社会保障制度を嫌々導入した以前の資本主義に戻りつつあります。

 

大阪で新コロナ対策の失政により自民党不審旋風が吹いているのに、結局蓋を開けてみれば自民党過半数をとるなんてことが起こってしまう。現実にはピケティが『21世紀の資本』で示しているように格差は拡大の一途です。労働分配率が下がっているのに、企業の内部留保と株価は上昇を続けています。となると心配なのは、「民衆はどこに行くのか」ということです。エマニュエル・トッドが言うように「グローバリズム自由貿易といった幻想は雲散霧消した。米国は左右に引き裂かれ、欧州は泥沼状態で、中国やロシアや東欧で全体主義の傾向が強まっている。民主主義が失速していく今、私たちが進むべき道とは?」と問わずにはいられません。

 

でわでわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の夜長に・・・ジョブズのように!

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季節も秋から冬へと、少しずつ変化を感じさせるようになりました。急にここに来て寒さが増しましたよねえ。秋といえば食彩の季節、きのこ、栗、秋刀魚、梨、さつま芋、などなどが思い浮かんできます。ところが、化石燃料の値上げがおさまらず、また気候のせいもあってか食材の高騰も毎日のニュースの話題になっています。

 

一方、非常事態宣言も解除され、多くの方が活発に動き出し、旅行業界もここぞとばかり新商品を提案し、秋の魅力を大いに沸き立てる提案をしています。楽しみですねえ。しかも、海外からも一般旅行客は除き、日本への入国が緩和されています。衆議院選挙も終わり、101代内閣総理大臣自民党の岸田さんが決まりました。さて、日本は良くなっていくのでしょうか?

 

さて、Appleの新たらしいMacbook Proが発表され、Appleファンにはたまらないハイグレードな製品が出来上がっていると同時に、Appleが逸れて行った道の誤りを認めたと話題になっています。今年は、スティーブ・ジョブズが逝去して10年目になりますね。10月5日ですよ。私は、Appleファンなものですから、いつもAppleの動向には関心を持っているのです。

 

この6年というもの、Appleは「MacBook Pro」の機能を削り続けてきました。その様子は、まるでどんな犠牲を払ってでも美しいデザインを追求しようとしているかのようでした。2015年には外部接続用のポートの大半を廃止し始め、その後まもなくマグネットで充電ケーブルを脱着できる「MagSafe」の機構もなくしています。そして16年には、キーボード上部に細長いタッチ式のディスプレイ「Touch Bar」を追加しました。Touch Barを追加してもMacBook Proは薄くならなかったし、開発者と消費者の心を掴むことにも失敗しましたよね。こうしてMacは数年かけて美しくはなったものの、使い勝手は悪くなったと思います。ところがAppleは、ここにきて方針を転換したのです。バタフライキーボードも評判が悪く、昔のシザーズスウィッチ構造へと完全に回帰しました。

 

米国時間10月18日に発表された新型Macbook Proは、このシリーズが間違った方向に向かっていたことを、アップルがこれまでで最も総合的に認めたかたちとなる製品といえるでしょう。

 

わたしが、人生で最初に購入したパソコンは、Macintosh SE30でした。あのモアイ像のような佇まいが美しくて、故障して使えなくなってからもインテリアのオブジェクトとして長らく飾っていました。そして、何よりも付属のキーボードのタッチの感触と音がまるで…を触れた時の感触のように心地の良いもので、いまだに比べられるキーボードがわたしにはないのです。

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SE 30



そしてiPodの発表と同時にみたiTunesのユーザーインタフェースの完成度の高さには度肝を抜かれました。「このiTunesは、クラウドを使う際のコックピットとして最適である」とあちこちで吹聴して回ったものです。

 

SE30が故障して以降手に入れたのが、Quadra900でした。しかし、このマシンにはかつてのAppleらしい『シンプルさ、美しさ』は全くありませんでした。その後、しばらくApple製品に手を出すことはありませんでしたね。つまり、スティーブ・ジョブズ不在のAppleの製品には、なんの魅力も感じなかったということになります。

 

一体ジョブズの精神の主柱はどこからきたのかと、自分なりに考えてみることがよくあります。「神は細部に宿る」といったジョブズの哲学。そして、「ハングリーであれ、愚直であれ」と言った人生訓。これらは、曹洞宗の禅僧であった乙川弘文禅僧からジョブズが学んだことのようですね。弘文禅僧は、禅僧とは思えない『破天荒』な方だったようです。『破天荒』というのは、女性関係、借金、お酒など、私たちが禅僧であればこうであるはずだと想像するのとはまるでかけ離れた方であったということです。弘文禅僧は、京都大学出のインテリで周りもその知識の素晴らしさを認めっており、永平寺に務め高僧としての地位まで持ち合わせる方だったようですが、その禅僧としての地位を飄々と超えた僧侶だったようです。弘文禅僧とともに禅堂を営まれた柳田由紀子さんは、彼を『天才・純真・卓越した洞察力』を持つ人と称されています。

 

カリフォルニアには禅堂がいくつもあり、禅僧も何人もいたはずなのに、禅僧としては『はちゃめちゃ』な乙川弘文禅僧になぜ惹かれたのだろうかと考えてしまう。弘文禅僧の最後は、スイスに移りすんだ家の庭の池で小さな孫娘と溺死。仲間の禅僧の中には、悲しくもないと思った人も少なからずいたそうです。なぜなら、周りの彼をよく知る禅僧たちは、弘文禅僧の禅僧らしからぬ『破天荒』ぶりに愛想を尽かしていたのでしょう。ところが、ジョブズは彼の訃報を聞いて啜り泣いていたという。

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一言付け加えなければいけないのは、弘文禅僧を慕う人は多く、特に非常に女性にもてたらしい。小柄でハンサムでもないのに、と柳田由紀子さんは言う。わたしは、ジョブズだけでなく、人が慕うリーダーの重要な素養がそこに見られるように思うのです。自分たちのリーダーは自分達と同じ地平に立っている、それが支えてあげたいという共感を呼ぶ

 

PRESIDENT Onlineで『宿無し弘文』の著者である柳田由紀子さんは、こうおっしゃています。

 

「京大時代の日記とか修論にしても、非常に生真面目なものなんですよ。永平寺時代の仲間に聞いても生真面目なんです。しかも一生独身を通すと誓っている人ですから。ところがアメリカに派遣された弘文は、結婚して子供をつくり、酒を飲んでは家族に暴力を振るうようになる。一体、弘文に何が起こったのか。ヒッピーとか、フリーセックスとか、人間の本能に忠実に生きる『生命』っていうものを感じたんだと思うんです。だから衝撃も受けた」

「私的にはね、あまりにもきちっとした人だと自分ではついていかれない。泥中の蓮っていうのはこういう方のためにある言葉でしょうね。人を助けるために、いてもたってもいられない。やっぱり弘文が崩れたからこそ、みんながまたついていった」

ジョブズは生後間もなく父母から捨てられ養子に出されるという、まさに泥の池に生を受けた人間だった。そんなジョブズだからこそ「泥中の蓮」を求めたのではないか。」

 

 

弘文禅僧のような人が隣にいたらとても困るかもしれないとも、『宿無し弘文』を読むとわかってくる。弘文禅僧の甥っ子の逸話を見ても、カリフォルニアの弘文禅僧を訪れると約束していたのに、訪ねてみれば留守で、なんとハワイに行っていたらしい。こんなことがしょっちゅうあったそうです。また、女性関係も僧侶らしからぬ、まあそれだけモテたんでしょうけどね。およそ私たちが想像する、いや実際にいる僧侶はもっときちんとしているはず。ところが、アメリカに移った弘文禅僧はそうではなかったのです。

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一方、ジョブズはといえば、Appleの古い社員は特にジョブズとエレベータに一緒に乗ってはいけないと言っていたほど、また、製品開発時の関係者への要求も時には理不尽な、やはり厄介な人物。この厄介な人物に24時間いつでも扉を開けて受け入れたのが、この『はちゃめちゃ』な弘文禅僧だったのです。

 

わたしは、以前このブログで【『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」】というのを書きました。この『器』とは、リーダーであったり師と言える存在のことを言っています。そして付け加えるなら、この弘文禅僧のように自分達と同じ地平に立っていると感じられること。子供たちや座った老人と話すときに、天皇や皇后はしゃがんで同じ目線で話しますよね。その目線をいつも感じるということです。

 

自分自身を振り返ってみると、わたしは、同窓会に呼ばれたこともないし、親友と呼べる関係もありません。親友とは、悩みを打ち明けられた時に自己犠牲を強いてもなんとかしたいと思える人間関係のことで、単に知っているという関係ではありません。わたしは、自分のやりたいことに向かってとにかく突っ走ってきました。「それはどうかと思うから考え直してみたら」とか「こうすべきじゃあないのかい」と戒めてくれる存在を作ってこなかったのです。

 

社会学者の宮台真司さんによると、「現在の日本人には仲間という存在がいない」そのことは「自分を外側から客観的に見つめる機会を失うことに繋がっている」という。つまり「自分の損得を超えた視座からものを考える」ことが失われているということになるのです。現代の若者は「友達=悩みを相談できる存在」をほとんど持っていない、一般的にと「友達」と言っているのは「知り合い」のことだそうです。ましてや「親友=悩みを打ち明けられたら自己犠牲を厭わず人肌脱ごうと思える存在」など一人も持っていないと、宮台さんはいう。

 

それには頷けることがあります。少なくとも大学へ入学するまで、わたしには「親友」も「友達」もいました。大学に入って、まず驚いたのはせっかく入学し学費も納めたのに授業にほとんど出てこない学生がいることでした。何をしているだんろうか?どうやら学費と生活費を稼ぐためにたくさんアルバイトをしているようなのです。「じゃあ何のために学費を払っているの?」と考えてしまいませんか?ちなみにわたしの通った大学は、当時日本で一番学費の安い大学で、わたしの学年は年間14万4千円で他の国公立大学に一年遅れで足並みを合わせていたんです。つまり月額で1万2千円ですよ。

 

わたしが学生自治会の執行部に飛び込み、2回生の時に委員長になった理由は、この理不尽さが大きな要因でした。そこからだんだんと社会問題、政治問題、に覚醒していったのです。ところが、同級生たちは社会問題、政治問題、を話すことを避けていました。学費や奨学金についてもです、クラスにはその重荷のためにまともに授業を受けられらない「仲間」がいるのに。もちろん、ノートをコピーさせてやったりと言ったことではみんな助けています。がしかし、それでは根本問題を解決できないのに。

 

わたしの目には、ほとんどの学生は「卒業証書を手に入れて就職を有利にするため」に大学に来ているんだと見えました。わたしは大学を選ぶ際に「誰から何を学ぶのか?」を大学教授を父親にもつ友人がいましたので、そのお父さんに色々と相談をして決めまたという経緯があります。わたしの父親はわたしが法律家になることを望んでいましたが、何になるかは白紙にして、まず「誰から何を学ぶのか?」を考えて入学しましたし、それに忠実に大学生活を送ったつもりです。特に、法学や政治学を専攻していれば、社会にある矛盾には容易に気づきます。大学院へ進学し研究者になる学生も含めて、現実に目の前にある社会問題や政治問題を「知識」として取り入れるか、就職試験や司法試験の解答を手に入れるために時間を費やすか、だったのでしょう。

 

となれば、わたしのような社会問題や政治問題を熱く語り、解決のために行動しようとする人間は、近づき難い異星人だったのでしょうね。彼らにとってはタブーなんでしょう。わたしは、イデオロギーを問題にしたことはありません。難しくいうと、学生自治会のような大衆団体と何々党とい政治団体とは異なるからです。政治団体には通常綱領という理念や方針がありそれに同意した者だけが加盟できるわけですが、大衆団体には例えば学生自治会には大学に入学した者全てが参加する団体です。学生にとって解決しなければいけない権利義務そして課題を討議し、承認されたことに関して行動するわけです。しかし、それらは社会問題や政治問題と独立して存在していないわけで、学費の値上げも学生には経済的な問題ですが、中教審答伸(中央教育審議会答申)によって定められた極めて政治問題なのです。

 

それらが理不尽か不当かを判断するのに、イデオロギーは関係ありません。左や右や、共産主義新自由主義とは関わりありません。宮台さんに言わせると「まともかクズか」の問題なんです。自分は学費を親が払ってくれるので自分の問題ではない、のではなくて、「自分の損得を超えた視座からものを考える」と学費を払うためにバイトをし授業に出られない学生・仲間がいることを慮ることなんです。その結果、値上げやむなしなのか値上げ反対なのか、答えは一緒ではないでしょうが、議論はできるわけですよ。

 

このような経験の中で、わたしは自分を「閉ざされた」中に入って突っ走ってきたのかもしれません。わたしは、3度妻が変わりました。ようやく7年くらい前から、妻と娘が「自己犠牲を厭わず人肌脱ごうと思える」存在になりました。本当に恥ずかしいのですが、そう告白せざるを得ません。その結果、自分を「開いて」、「自分の損得を超えた視座からものを考える」ことの大切さを再確認したんです。そんな時、ジョブズにとっての弘文禅僧のような存在が欲しいなぁて思うのですよ。そのぜいで、歴史上の人物、学生時代には偉大だと思える人の伝記、スペイン・ファシズムレジスタンスであったドロレス・イバルリ「奴らを通すな」、日系米人カール・ヨネダ「がんばって」、日系米人でスペイン市民戦争の義勇軍に参加したジャック白井「オリーブの墓標」、ロシア革命のルポ「世界を揺るがした十日間」の著者ジョン・リード、キューバ革命を達成したエ・チェ・ゲバラアインシュタインガンジーパブロ・ピカソチェリストパブロ・カザルスキング牧師足尾鉱毒事件の田中正造、フォークシンガーのピート・シーガー、沖縄米軍基地反対で米国に恐れられた国会議員だった瀬長亀次郎など、を読んだものです。全て「理不尽さ」や「不当さ」と戦った人々です。

 

これって、ジョブズの「Think Different」のCMを思い出しませんか?このCMは、1997年でしたよねえ。わたしの大学入学は1980年ですから、このCMの前に読んでいたことになります。生い立ちもジョブズと少し似ているところがあります。よけいにジョブズに共感を持つのは、わたしはジョブズの足元にも全く及ばない人生ですが、似たものに共感を持つのですよ。

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別に何の結論もないのですが、秋の夜長にそんなことを考える今日この頃なんです。

 

でわでわ

日本の「常識」という呪魔術

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2021年度のノーベル物理学賞を、真鍋淑郎:米プリンストン大学上席研究員(90)が受賞されたました。明るいニュースですね。真鍋さんは、大気と海洋を結合した物質の循環モデルを提唱し、二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルを世界に先駆けて発表されました。まさに今全世界で取り組もうとしている最重要な課題に直結する研究ですね。

 

注目したいのは、真鍋さんが5日にプリンストン大で記者会見し、国籍を変更した理由について聞かれた時の回答です。

 

「日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです」と説明した上で、「米国ではやりたいことをできる」と強調。そして「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、最後には「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と語り、会場の笑いを誘った。(yahooニュースより)

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これは非常に重要なことで、日本に住むわたしたちは考えなければならないことだと思いました。しかし、考えれば考えるほど難しい問題であることもわかりました。「やりたいこと」の許容できる範囲をどう線引きするのか、という問題です。

 

元日本マイクロソフト代表取締役で『2040年の未来予測』の著者である成毛眞は、真鍋さんがアメリカに移られたのが高度経済成長期前のまだ戦後の復興時期であったことを考慮すれば真鍋さんの例をとって優秀な日本人が海外へ流出するという議論をするのには違和感がある、とされている。確かに、「好きな研究を何でもできるからです」、とおっしゃってるいるように移住された背景にあるいくつかの問題は現在の日本には当たらないかもしれない。しかし、非常に調和を重んじる関係性を築き、という日本人の傾向はなんら変わっていないと思うのです。

 

わたしは、2006年から2020年までの約13年間をフィリピンで生活しました。フィリピンに渡航するようになってからの期間を含めれば、約28年にもなります。外資系企業で仕事していたことや、IT産業アナリストに従事していたとき、欧米のITベンダーからの招待で海外へ出かけることも多く、外国人と仕事をしたり生活したりする時間が長くありました。そこで感じてきたのが、まさにこの『協調』と『自由』の問題です。

 

たいてい日本人は外国人と会話をすると、「yes yes」と言ってニコニコしていることが多いでしょう(本当はyesではないのに)。ですから吉田政権下で対GHQ交渉を担当した白洲次郎がマッカサーに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたように、はっきりと返事をする、NOならNOと言う、日本人の礼儀は曲げない態度が、アメリカ人にも貴重がられるのですね。

 

フィリピンに定住したのは仕事がきっかけでしたが、そのきかっけを自ずから探していたと言っても良いでしょう。日本でナイトクラブに勤める多くのフィリピン女性と出会って、よく「彼らはラテン系の人」といわれるように、あの底抜けの明るさや大ざっぱ(細かいことを気にしない)に惹かれたことがフィリピンで生活してみたいと思った理由にあると白状します。

 

『なれのはて』という映画でも取り上げられているフィリピンに住む困窮邦人、わたしも何人かの困窮邦人に出会いました。困窮邦人となってしまった理由は、人によって異なっているでしょう。でも、彼らの意識には、共通に「日本社会の窮屈さ」というのが少なからずあります。実は、わたしもその一人だったと言えるでしょうね。

 

わたしは、両親に厳しく育てられました。父の気に入らない事をしたり、物事をぞんざいに扱ったり、整理整頓をしていなかったりすると、言葉の前に拳骨が飛んでくる、そんな風でした。。ですから、スリッパが揃えられていないとか、使われたものが元の状態に戻されてないとか、フロアーマットが木目に揃えておかれてないとか、貸した本のページの角が降り曲がって帰ってくるとか、並べられた本の高さの違うものが混在してデコボコになっているとか、そいうことが許せない性格になっていたんです。

 

これらは極端だとしても、脱いだ靴はそろえるとか、幾分かは見栄えなどを気にしますよね。その理由には、「他人がどう感じるか、他人に失礼がないように」が全ての基準ではなかったかともいます。日本人の遠慮深さや婉曲表現そして敬語にまでその精神は貫かれています。これは、日本人の美徳であることは認めます。まあしかし、大半は自分が気づく範囲のご都合主義ではあるんですけどね。

 

フィリピン人はというと、人によって違うでしょうが、おおよそわたしとは真逆です。はきものは揃えない、適当にスペースを見つけて物を置く、顔や手が汚れていれば着ているシャツなどで拭く「どうせ洗うんだから」。フィリピン人と付き合ったことのある方は、うなずくところが多いのではないでしょうか?

 

でも、程度の差はあれ日本人から見れば、外国人は適度に適当にしていると思われませんか?少なくとも、日本人のように拘らないことが多いです。これは、モノづくりにも確実に影響してますよ。日本人は品質の細部にこだわる、「品質にいやにこだわる」とそれは「コストと時間」に跳ね返ります。芸術の世界ではそれが必要なのでしょうが、モノづくりの世界では「障害」になることも多いと思います。

 

わたしは、フィリピン人の妻を持っていますが、実に最初はその適当さにイライラさせられることが多かったのです。妻は決して貧困な家庭の出ではありませんし、大学の医学部も卒業し医師のライセンスも持っています。大家族で、4人兄弟の唯一の女の子でしかも上から3番目、お姫様の如くに育てられていたようです。やはり、ことを適当にする場合も多い。底抜けに明るいし少々のことではめげない、簡単に誰とでもすぐに仲良くなる。やはりフィリピン人ですね。

 

それと、フィリピンの家庭やコミュニティでは、みんな夜中でも大音量で音楽を鳴らしてカラオケを楽しみます。最初は、「うるさいなあ、近所迷惑だ」とイラついたものですが、特に貧困地区ではそうなんです。でも、「ああそうやって憂さを晴らして生きてるんだ」と想い、「自分だって好きな音楽を音の良いスピカーでたまには大音量で聴いてみたくなるもの」と思えば、我慢していたのが遂には微笑みに変わったのを覚えています。みんな楽しんで生きているなあと。

 

フィリピンで生活されている困窮邦人について言えば、困窮している日本人だけではないですが、多かれ少なかれ私と同じように、フィリピン人の底抜けの明るさや、大雑把さ、優しさ、許容力にひかえれている事は間違い無いと言えます。フィリピンに生活する困窮邦人がどうして生きていけると思いますか?誰かが助けているんですよ。はっきり言えるのは、それは日本大使館や日本政府ではありません、日本人では無いのです。まさに、フィリピン人なんです。それも多くは日本人から見れば貧しいフィリピン人なんです。この事実はマニラ新聞の日本人記者による『日本を捨てた男たち』や『脱出老人』に書かれています。また紀行文を書かれている著名な旅人の下川裕治さんも『「生きづらい日本人」を捨てる』という本を書かれています。

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これらの本に登場する困窮邦人、ホームレス、日本を捨てた人々、そしてわたしも含め、日本のマジョリティの「常識」では問題児であったのかもしれない。それを問題児として一刀両断にして切り捨てるのが日本の社会ではないかと私は思っています。

 

助け合って生活する、老人を大切にする、そういう精神に溢れているのがフィリピン人の社会なんです。そして、他人を詮索しようとはせず「いいじゃないか」と許容する。これは、真鍋さんもおっしゃっていたように「他人を傷つけたくはないけど、彼らが何を望んでいるのかは知る由もありません」ということになるんです。さらに、彼の「自由な研究」を支えてくれた奥さんには、とても感謝されていました。

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日本のホームレスの中にも、自由な生活だからが好きという方もいらっしゃいます。わたしは大学時代に大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の組合と交流していましたが、ホームレスであることに自由を感じる人は結構おられたのを覚えています。もちろん、現状を自分で肯定し納得するためにそう繕っている人もいたかもしれませんが。

 

一方、日本の「常識」や「他人の目」は、本当に窮屈でありました。親の教育によって性格に塗り込まれた性格はありながら、やはり窮屈だと感じるのです。その結果、嫌な先生の授業を後ろを向いて座ったり、手をあげて当ててもらって「わかりません!悪い生徒です。はい、外に出て立っています。」と言って授業をエスケープしたり、やりたい放題。でも好きな科目や先生の授業は、かじりついて勉強する。自分にとってそれをやる意味がどう考えてもわからないものは、徹底してやらない。やりたいことは、「ええっ?なんで?」と言われてもお構いなしにやる。そんな生活でした。しかも、不合理なことを要求する先輩、先生、上司には食って掛かる。

 

当然、叩かれます。しかし、「やる」と決め約束したことは必ずやり遂げる。そんな生活をしてきたので、「頑固で自分勝手な奴」と思われてきたと想います。そんなわたしでも、フィリピンでの生活は許容するまでには時間がかかりました。でも一旦許容できれば、それは心地よさに変わり、やがて普通のことになっていきます。

 

生まれや習慣の違うものが共に生きていくには、多様性を許容することが寛容です。そして暖かく見守り、可能であれば支える。小さな世界で言えば夫婦がまさにそうですよね。それが、ご近所さんに広がり、やがて世界という範囲にまで広がる。そうなったときに、許容力や親切の真価が問われるのでしょう。

 

少なくとも人は一人で生きている訳ではないので、他の人に影響を与えずにはおかないものです。わたしたちは、自分の人生を生きる限り有意義に過ごす道徳的義務もあります。その信頼と義務を無視すれば、他の人にも害が及びます。

 

問題は、『協調』と『自由』をどこで線を引くかということです。それは本当に難しいことです。簡単に文字に表現できないことです。まず大前提として 「人は必ず変化する」「人は他人を思いやる」ということへの絶対的信頼と、「悪は必ず滅びるあるいは自滅する」という確信を持つことが大事ではないでしょうか。そうすれば、我慢して苦にならず許容することもできようというものです。

 

手放しで無制限の「自由」は存在しません。否、存在できません。例えば、エベレストに登りたいと思ってどれだけトレーニングをしたからと言っても、それだけでは登頂することはできません。なぜなら、気象という我々の力ではコントロールできない自然の法則が働いており、その理解なしには、いや理解していたとしても、わたしたちの意識の外で働いているものですから、完全に征服はできない。できる限り調べて理解しようと努力し、登頂するまで耐えず窺い続けることです。つまり、「意識の外で働いているもの」によって制限が与えられている訳です。

 

多様性とは、自分自身の意識の外に存在している相違を耐えず窺い続け「認め合う」「許容する」ことが絶対的に必要になります。「自分自身の意識の外に存在している相違」によって不利益を被ってはならないという約束が必要なんです。

 

日本では、学校の校則、会社での服装規定、学問での研究領域、おそらくパワハラも、余りにも無意味で憶測に基づいた非合理的な制限があり、「他人に迷惑をかけない」を口実にした社会的圧力がかかる。「社内だけの文書ならミスコピーした紙で裏面が白紙なら、コストの節約のためにそれを使え」、これはコスト計算してみるとわかるように、一度印刷機を通ったインクの乗った紙はスタックし易いので印刷時のコストは上昇するということを知らない、まさに『無知』が生み出す不合理な意見なんです。しかし、その意見は「常識」化していませんか?そしてそれによって作られたルールや規則はたくさんあるでしょう。

 

外国人との関係でいうと、異なった習慣や思考に対して優劣をつけてしまうなどと言ったことにつながっているのではないでしょうか。「あなたはフランス人のようね」と言われた時と「あなたはフィリピン人のようね」と言われた時に、どう感じるか正直に考えてみてください。全く具体的な人物を提示されてもしていないのに反応してしまうのは、何某かその民族に対するイメージを持っているからではないでしょうか?その「何某かのイメージ」がくせ者なんです。どのようにしてその「何某かのイメージ」を持つに至ったのでしょうか?それは一体どういうものなのでしょうか?よく考えてみる日つゆがあるのでは無いでしょうか。それは、一種の「無知」のなせる技なんです。

 

真鍋さんもわたしも、こういった日本の社会に閉塞感を感じたのでしょう。これでは、不合理な「常識」にも従う「プラスティック」のような人間しか生まれてこない、びっくりするような偉大なことができる「破天荒」な人間は生まれてこないと思うんです。自分自身の意識の外に存在している相違が「嫌いか好きか?」ということはどうでも良くって、その相違によって圧力をかけない、低く見下げない、邪魔したりしないことは最低限のマナーだと想います。

 

慶應義塾大学の医学部教授である宮田裕章さんは、「イノベータを生み出せなくなる」のではないかと懸念されていました。結局そこに行くんでしょうね。大学時代にピアスをしたり髪の毛を染めたりしていた学生が、就職活動をし始めるとピアスを外し、髪の毛の染め色を落とし、紺かグレーのスーツにネクタイ姿に返信する光景。女性もどの程度まで髪の毛を染めていいのか悩んだりする。これでいいんでしょうか?

 

今のまま、日本で摩耗していくよりも「自分の生きたいように生きたい!」「自分をきちんと評価してくれる社会で働きたい」という人生や価値観を求めて、日本を脱出していく若者も後をたたないという現状もあり、この調和を重んじる関係性や「常識」が生み出す閉塞感は無視できないと思うのです。

 

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宮田裕章さん


でわでわ

京の友よ!儀範たれや!

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      上賀茂 樫の実学園の塀

 

前稿で【『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」】について書きました。その後、友人のFacebookでの投稿によるすすめで、あるYouTubeコンテンツを見ました。創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツでした。

 

友人というのは、京都時代に大学受験のために通っていた塾で知り合った松井孝治君です。彼は京都でも有名なホテルオーナーの次男坊で、洛星高校という京都の難関受験校に通っていて、東大へ現役で合格し、通産省(現在の経産省)を経由して参議院議員になった絵に描いたようなエリートでした。わたしと彼は、高校3年生の時に塾内ではなく、塾の近所にあった「マリン」という喫茶店を舞台に青春のほんの1ページを描いたに過ぎない関係でした。

 

わたしが、東京に転勤になり松井君に会おうと連絡を取ったとき、彼はすでに通産省に勤務していました。あるとき、彼のオフィスに訪ねていきました。書類だらけのオフィスで、「虫が出るぞ」と彼にいったのを覚えています。美しくスマートなオフィス環境で中央官庁の方々は働いているものと想像していたのですが、いやはや当時は全然そうではなかったのです。

 

数年後彼から、結婚するので式に出席しないかと誘いをいただき、参列させていただきました。まさに竹下政権誕生のその日で、さずが出席者の数人が官庁と結婚式場を忙しく行き来しておられたのが印象的でした。その次に彼と会ったのが、彼が参議院に立候補したときでした。予想に反して民主党からの出馬でした。京都にベンチャービジネスの象徴的存在であった堀場製作所の堀場社長が、彼の後援会長に就任されていて、わたしは末席に登録させていただいたわけです。

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その時から、ある意味で遠い存在になってしまった松井君。なんと次にこちらからemailで連絡を取ったのがつい先日、彼は離党して慶應義塾大学の教授となっていたのです。以来、Facebooktwitterで彼の投稿を目にする日々が続いています。2021年9月20日、彼の投稿で創発プラットフォーム制作の『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』というコンテンツを知りました。東大名誉教授の御厨教授、日本経済新聞編集委員の清水真人氏、そして松井君の対談を見ることにしたのです。

 

初めて知ったのですが、松井君は一般財団法人創発プラットフォームの理事で、御厨教授は評議員議長でいらっしゃいます。松井君が理事だとは知らず、以前から創発プラットフォームのコンテンツは好きでよく拝見してました。また、13回にわたる松井君へのインタビューがコンテンツにあるのですが、そこでも彼との空白の年月、彼がどんなことに携わってきたのかを初めて知ることになったのです。

 

1990年代後半の橋本政権時代、30代半ばのエース官僚たちが官邸に集められ、省庁再編、そして官邸強化に携わったことがあったが、そこで重要な役割を彼が果たしていたとか、鳩山政権時代に内閣官房副長官であったなど、続々と彼の立派な活躍を知ることが出来、改めて彼の偉大さを思い知りました。

 

さて、『御厨政談特別編「菅政権の末期は何だったのか?」』の対談や、御厨教授と三浦瑠璃子さんとの対談で、御厨教授が「リーダーが小粒になり」だとか「菅総理なんかはこんにちはと声を掛けるとこんにちはと返してくれそうな」と、昔の総理大臣にはもっと風格や威厳があったのだがと述べられていたのが印象的でした。

 

これは、わたしが述べた『器』に対する認識と重なるところがあると思ったんです。御厨教授の分析で興味深いのは、「メディアと通信手段の変容」がそれに関係しているとされている部分です。昔は、新聞の紙面で政治家の様々を知りました。その後テレビが加わり、1990年代にファックスという通信手段が生まれ、そして今はというとスマートフォンSNSというように変遷してきた。

 

そういえばこんなとがあった。

 

 沖縄の本土復帰から1カ月後の1972年6月17日土曜日。佐藤栄作首相が7年8カ月の長期政権の退陣を発表し、首相官邸で記者会見に臨んだ。「テレビカメラはどこかね」。会見場にびっしりと顔を並べた新聞記者たちを前に首相はけげんそうな顔をした。「新聞記者の諸君とは話をしないことになっていたんだ。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。首相は話が違うといわんばかりにそう言うなり、引っ込んでしまった。

 竹下登官房長官の取りなしで首相は会見場に戻ってきた。「そこで国民の皆さんにきょう……」。言いかけると、前列の記者が声をかけた。「総理、それより前に……。先ほどの新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」。

 「出てください。構わないですよ」。間髪を入れずに首相はテーブルを右手でたたき、大きな音が立った。「それでは出ましょう」。記者は応じた。一瞬置いて別の記者が「出よう、出よう」と呼応した。ぞろぞろと席を立っていく記者を首相は目を見開いてにらみつけた。

                               出典:毎日新聞

 

政治家たちも、メディアの変遷にともなって、それぞれにどう付き合っていくかを必死に考えてきたのでしょう。メディア対策がうまい政治家もいればそうでない政治家もいる。また、メディアというのは政治家vs国民という関係だけではなく、政治家vs政治家という関係においてもっと戦略が必要になる。SNS時代になった現在、政治家も裏で取引する以外に、メディアの使い方が思い浮かばないのかもしれない。一億総メディア発信者時代になっているので、ことが即座に伝わってしまい、情報伝達がリアルタイム化してします。そのせいもあってか、政治家にとってメディア戦略が複雑で難しくなる。

 

そうして、メディアを意識するが故に、反応にビクビクし『小粒』になっていくという現象が起こる。確かにそういうこともいえそうです。わたしには、もう一つ大事な政治家の変容のポイントがあります。それは、御厨教授もおっしゃっているように、「国民に必要なことを懇切丁寧に説明しない」という点でです。わたしはこれに「自分の言葉のありようで」でと付け加えたい。

 

つまり、政治家が政治政策や理念を伝えたり、国民を説得するには、「両刃の剣のように鋭く刺し通す」言葉の説明が必要です。遊説の時も委員会の答弁の時も、いつもそれが息をするように出来なければならないと思うのです。それを伝える手段としてメディア戦略というのは必要になるのだとわたしは思います。

 

なぜ今の政治家はそうではないのか?言葉はどこか上っ面で「聞き心地の良さ」だけが目立ち、大事な情報は隠す、詳細を説明しない!これでは、多くの国民は蚊帳の外だと感じ、政治から遠ざかります。そんな状態でも長期にわたって与党の座に座ることが出来ている。それが、おごり高ぶりを許す環境になってしまっている。しかも、行政文書の改竄までしてことを隠す、デモも反対運動もおこらない、国民を愚弄しているとしか思えないことがまかり通る。悪循環です。

 

大河ドラマの『西郷どん』のなかで、西郷吉之助が篤姫をつつがなく将軍家に嫁がした直後に、主君である島津斉彬とサケを酌み交わすシーンがあります。そこで島津斉彬が酒をついだ切り子ガラスについて「これは金のなる木じゃ」と、藩で製造させている物の説明をするシーンがあります。そこでこう言います「新しい技術を身につけた職人たちが金を稼ぐようになる。便利な道具で百姓たちは多くを実らせ、商人たちがそれを持って交易を広げていく。皆が豊かになる。暮らしが豊かになれば皆が前を向く。国は自然とまとまる」。その通りです。

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ボブ・マーリーの曲に『Them belly full 』があります。「Them belly full but we hungry A hungry mob is an angry mob・・・」(彼らの腹は一杯だが、我々は腹ぺこだ 飢えた暴徒は怒っている・・・)と始まる曲です。『民』の腹を満たすのが政治ではないでしょうか?そのための仕組みを作るのが政治ではないでしょうか?以前、日本にもそのようなことを信念にし身を賭した指導者はいたのです。

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デジタル庁でも宣言しているように「誰一人取り残さない・・・」、この言葉は自民党総裁選候補者も唱えている。ならば、彼らは答えなければなりません。「誰一人取り残さない・・・」とは、どのような状態なのか?一体何をどのようにすることで、「誰一人取り残さない・・・」という状態が実現できるか?

 

ご存じでしたか?1997年の日本人の平均所得は、3万8823ドルと、スイスやルクセンブルクに次いでOECDで3番目の堂々たる高水準でした。OECDの平均値2万2468ドルの1.5倍以上です。かつての日本はこれほどまでに、高い水準の経済力を誇っていたわけですが、現在はこの平均値にも満たないレベルになっているというわけです。一方で、大手企業の幾つかは、過去最高益を更新しているというのにです。

 

ドイツが年率で約2%成長、米国や英国、カナダが年率約3%の成長、韓国が年率約4%の成長となっている一方で、日本だけが、なぜか成長しておらず、むしろ停滞しているという事実にがくぜんとします。

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平均所得変化率 実質値 (OECD統計データ より)

 

コロナ対策はといえば、政府や専門家委員会の施策とは明らかに無関係に、感染者や死者数は変化している。いまだに、マスコミは「先週の何曜日と比較して増加しています」か「減少しています」といった報道を繰り返しているだけで、「なぜそうなのか?」と追求することを何もしない。

 

日本国民はこんな状況の中で、昔のように「米騒動」のように怒りを爆発させたり、政府への怒りのデモ行進をするわけでもなく、「豊かさ」の定義を変えたりしながらなんとか前を向こうと懸命に生活している。世界でも珍しい国民です。これがある意味では、自民党長期政権を許し、渋沢栄一が賢明に避けようとした「官尊民卑」的政治を生きながらえさせてきたのではないかと思う。

 

わたしは、かつて大学自治会の委員長を務め、学生運動に身を投じてきました。学生自治会とは、勝手に学生が作り上げた任意に存在している組織ではなく、大学当局との間で排他的統治を合法的に認められた団体(国際法に準ずる)のことです。ですから、規則に定められた選挙によって選出された委員から、選挙によって執行部を選出し、半期毎に学生大会を規則によって定められた学生の出席数の基で承認された自治会方針に従って執行運営されるものなのです。であるからこそ、大学当局との交渉権を有していたわけです。

 

学生大会に提案する方針案は、前半期の活動の総括、不十分であったことあるいは達成出来たことの原因を明示し、各情勢の分析に則って何をどのように執行するのか(当然学生の学ぶ権利の保護に関して)、なぜそれが重要であるのか、を明確に示すものです。そしてその合意を学生大会で獲得せねば成立しない、なにもできないわけです。情勢分析とは、国際情勢、国内情勢、そして教育・学園を巡る情勢を分析したものを指します。それを分析するために、有識者つまり教授陣やシンクタンクの研究員のような立場の方の協力も得なければ分析できないような代物です。

 

中でも重要なのは、過去提案した方針とその実行結果の総括です。なぜ成功したのか、なぜ不十分に終わったのか、なぜ間違ったのか。それらを赤裸々に分析し過ちや間違いがあれば、包み隠さず学生の前に提示して、次の方針を提案する。これが最も重要な営みです。果たして、今の政党や政治家は、そうしていますか?わたしには、全くそうしているようにはみえません。

 

友人の松井君は、かつて民主党時代の活動を13回にわたる創発プラットフォームのインタビューという形式をとりながら総括されおり、間違い、未熟さ、などをはっきりと語り、謝ったりまでされおり、わたしは感動しました。政治家という舞台を降りられたから出来るんだろうといってしまえばそうなのかもしれませんが、こういった態度が政治家に必要な謙遜さ・謙虚さだと思いました。全ての政治家が見習うべきだと思ういます。

 

松井君、君こそが総理の座を目指してくれないかなあ?(^-^*)

 

でわでわ

『器』=「こころざし」と「やさしい心根」、そして「破天荒」

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菅総理自民党総裁選挙の立候補を断念し、4人の候補が総裁の席を争って動き始めました。わたしは、どの方にも全く興味が引かれ得ません。わたしには、どの方も一国のトップの『器』をお持ちのようにはみえないからです。どの方もあまりにも小さい『器』にしかみえません。会見に臨むと、それぞれの方が「聞き心地の良い」ことを抽象的な言葉で、どちらともとれそうな言葉で語られるけれども、いっこうに心に刺さらないのです。

 

そんな「聞き心地の良い」ことばには、欺され続けてきていますからね。信じる気になかなかなれないのが本音です。

        

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一方野党はどうかというと、やはり自民党のこき下ろしに終始しているようにみえてしまう。これはマスメディアの問題なのでしょうが、そのような点が国会討論や会見のシーンで主に露出させられてしまっているように思えるのです。

 

もちろんわたしは、政治学者でも行政学者でもマスメディアでもないし、政治家でも行政官僚でもありません。ですから、政治家や政治に関してはみえていない部分がほとんどでしょう。しかし、ほとんどの国民はわたしと同じだと思います。まあ、党員だったり政治家の後援会員だったりする人は、情報の質も量もわたしとは圧倒的に異なるのかもしれませんが。しかし残念ながらその情報は、圧倒的なバイアスにさらされていることは見過ごしてはならないと思います。

 

今回の自民党総裁選で、唯一興味を持ってみているられるのは、若手議員の「脱」派閥の動きです。さて、それが下剋上にまで発展するどうかは期待できないにしても、表面化してきたことには見守るべき価値はあるのではないでしょうか。この動きの背後には、全ての政治家が「小粒」つまり指導者として党員を率いるだけの『器』ではないことの結果のような気がするのです。2回目の長州征討で失敗した徳川幕府のようなものでしょうか。

 

わたしは思うんです。きっと自民党内でも、ジャンダーギャップやエージギャップがくすぶっていて、限界に来ているのではないだろうかと。「派閥」というのはまさにそのギャップを醸成してきた男性の年配の方々を象徴するものとして使われており、「派閥」のトップを形成している年配者たちへの忖度も限界に来ているということのように思えるのです。まさに、幕末の徳川政権の様相ではないでしょうか。

 

ですから、選択的夫婦別姓などのように、まさにジャンダーギャップとエイジギャップの相違がまともに意見として出てくる個別の問題に関しては、野田候補と共同戦線を張ることが出来る議員や各党党員は沢山いるのではないでしょうか。党や派閥が一体何の意味があるのだろうかと思ってしまう。意味があるとすれば、現状では世の中にWellbeingを創出する足かせになっているだけだと思う。

 

わたし自身、別姓結婚の経験者なので特にそのように感じるのです。妻(別れてしまいましたが)は、非常にフェミニンでな女性で別姓結婚を望んでいました。わたしの大学の後輩で平和や人権をともに勉強してきた同士でもあったのに、いざ現実に直面するとなるとあれこれ考え悩みました。別姓でいたいという気持ちは十分理解できる。ところが、現状の法制度や行政制度では別姓にすることで獲得できない政府のサポートがあったり、行政上の位置づけは「未届の夫」と書かれ、ものすごい違和感を感じることになるからです。しかも、親たちがどのように受け止めるのだろうと、いくつも課題が出てくることが想像されたんです。

 

これが、まさにジャンダーギャップとエイジギャップ、つまり過去の亡霊のなせる技なんですよ。人権や差別を頭では理解していても、自分が当事者になるとなれば簡単ではないのですね。ゾンビは、現れ続けるのです。

 

わたしは、ITに関する評論も書いていますが、イノベーションやDX(デジタルトランスフォーメーション)をなぜ実践できないかという問題と同じ原因なんです。変革とみられることを創出しようとすると、必ずジャンダーギャップとエイジギャップがゾンビのように蘇り邪魔をし、時間を止めてしまうわけです。そのゾンビマインドが、過去の心地よさや成功体験に裏付けられている場合は、なおのことやっかいな代物となるのです。

 

しかも、派閥の年配の方々が最も不得意なのは「多様性」を認めて「調和ある政策」を産み出すことにあります。「多様性」のない画一的なものでは、所詮死角を持ち続ける。「多様性」は、その死角を見つけ出すためには非常に重要な機能を発揮するのです。

 

ロシア革命を率いたボルシェビッキ党のレーニンをごぞんじでしょうか?信じられないかもしれませんが、レーニンは、執行部の半数は反対の立場のものを入れるように書き残しています。残念ながらスターリンは全く逆のことを行いました。レーニンも妻のクループスカヤも、スターリンを中枢に置くことには難色を示していたんですね。

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元来「多様性」の一機能を期待されるのが、メディアであるのですが。果たしそうなっているだろうか?戦前のメディアを振り返ってみてください。紙面を売るために、競って戦争をあおり立てたのではないでしょうか?朝日新聞も読売新聞もです。当時は、企業(集団)としてのメディアしかなかった。今は、個人がメディアになり得る時代だ。ということは、若手の名もまだ売れていない議員たちでも、いつでも政策や意見の発信が可能だということですよ。

 

優先させるべきは窮屈で狭い党や派閥なのか、それとも民なのか、と問うてほしいものです。「小異を捨て大同に就く」という言葉を思い出して欲しいものです。

 

さて、わたしのように一般国民は果たしてマニフェストや政治家個人の政策をどれほど深く熟慮した上で、選挙に臨んでいるのだろうか?そして、なぜ若者の投票率が低いのか?と、ついつい考えてしまう。京都市選挙管理委員会のサイトには以下のような記述があります。

 

平成26年(2014年)の衆議院議員総選挙における年代別投票率を見ると,20歳代の投票率が32.58%であったのに対して,60歳代は68.28%と2倍以上の差がありました。また,平成26年10月1日現在の人口推計を見ると,20歳代はおよそ1,300万人であったのに対して,60歳代はおよそ1,800万人と1.4倍ほどの差があります。これらを計算してみると,20歳代の投票数はおよそ420万票,60歳代の投票数はおよそ1,240万票となり,票数にするとその差はおよそ3倍となります。若者の投票率が低くなると,若者の声は政治に届きにくくなってしまいます。その結果,若者に向けた政策が実現しにくくなったり,実現するのに時間を要する可能性があります。

 

まさにその通り!しかし、なぜ若者が選挙に行かないのかをもう少し真剣に考えた方が良い。若者の投票率が上の世代に比べて低いというのは、日本だけで起こっている現象ではないのです。いまや、若者を選挙に動員できる政治家は、世界をみても見当たらない。様々な研究でいろいろな分析が上がっている。例えば投票(不在投票や地元でない地域からの投票など)の仕組みが複雑で面倒くさいということもあるだろう。彼らの住処はスマホなのかもしれない。

 

アメリカで選挙に行くように大勢の学生に働きかけていた20歳の学生は、「住んでいた小さい町では、政治というのはワシントンでやっていることで、ワシントンの政治家がどう投票しても自分の生活には関係ないと、そういう感じだった。政治は自分たちを裏切ったので、政治に関わるのは面倒すぎるからごめんだという気持ちが強かった」と述べている。若者は、学校で選挙や政治についてどれほど学ぶ機会があっただろうかを考えてみてください。「投票は義務だろう」では始まらない。

 

生活に学業に忙しく追われており、特にホームタウンを離れて生活するものにとって、政治家の議論は縁遠いものに感じられているのではないだろうか?ここでも、ジャンダーギャップとエイジギャップのゾンビは首をもたげる。これは、若手政治家だけではなく、わたしたち一般国民のなかでも同じ現象がおこっているといえないだろうか?

 

投票率が低いのは、政治家だけに責めを負わせるつもりはない。しかし、多くの投票が期待されるジャンダーや世代に視点が向くのは自然のことだが、ますます若者を遠ざける結果にしかつながらない。YoutubeTwitterでは、政治家の揚げ足をとりコテンパンに戯評するコンテンツが炎上したりします。でも、意図は分かりませんが、逆効果ではないだろうか?こんなものに一時的に「そうだそうだ」と相づちは打っても、やがて疲れて飽きて政治がつまらないものと感じるだけの効果しかないと思う。

 

きっとそのようなコンテンツを生成し流布できる人は、多くの知識をお持ちの方々だと思います。ならば、それをみてみんなが「政治を自分事」として捉えられるコンテンツを作り出すために生かし、知恵を絞っていただきたいと思うのです。

 

政策の善し悪しを充分に理解し得ていなくとも、演説やポスター、テレビ出演などを通して政治家の態度を見さえすれば、その『器』を少なくともわたしは感じることが出来きます。多くの方がそうではないかと思うのです。団塊の世代を筆頭に司馬遼太郎の「竜馬はゆく」を読んで主人公の「坂本竜馬(龍馬)」に傾倒し感動した方は沢山いらっしゃるでしょう。司馬遼太郎の作品は多くがNHK大河ドラマになりました。すくなくともわたしは、司馬遼太郎の作品は活字で読んだことはありません。

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当然それらは「龍馬」を「竜馬」と表記されてるように、様々な資料を読まれ、あるテーマの古書籍が神田の古書店街からことごとくなくなるといわれたほど読まれ分析された事々を背景にして描かれてはいるものの、司馬独自のフィクションです。しかし、累計9,800万部(2016年時点)のダントツの発行部数を誇るのが司馬作品です。

 

わたしの独りよがりの思いかもしれませんが、そこにわれわれの世代の日本人が求めるリーダー像があると思うのです。特に長らく続いた「窮屈で不合理な時代」を刷新した維新の志士たちにそれを見てとるのです。維新、特に日露戦争以前の幕末からの時代です。加藤周一氏によると「外に膨張主義的ではなく、日本の独立をめざした」時代、尊皇攘夷ではなく「日本の独立」を一身にめざしたのが維新であったというのです。「この国のかたち」を必死に探り、多くの失策もあったが短期間のうちに世界史に例を見ない変革を成し遂げていく時代。経営学者の米倉誠一郎氏もこの時代のイノベーターの姿を描き出されています。

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                             武市半平太

わたしなりに、日本人が好むリーダー像を考察した、いや、わたし自身が求めるリーダー像を表現してみます。NHK大河ドラマの『龍馬伝』の竜馬の台詞に、「私心のあるのはこころざしではない」というのがあります。政治家のなかには「こころざし」を一生懸命に伝えようとする方もいらっしゃいます。が、しかし「私心」が見え隠れするのです。「公につくし」、身を捧げてこそ「公僕」と言われる所以があります。「公」とは、もちろん主権者である国民であり、弱きを助け強きを説得することだと思います。

 

その一人の典型として、足尾鉱毒事件のときに住民の被害をなくし住民を助けるために、私財も身なりもかまわず奔走した政治家の田中正造を思い浮かべます。彼には、不正や不合理に苦しむ住民を救うという「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」があった。

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また、「龍馬伝」の坂本龍馬は、全く「私心のないこころざし」の人であり、真っ当に生きる人を尊敬し、友や家族を思い、いつも人の良い部分を見つけては褒め、対等の目線で誰とでも気軽にはなし笑う人物としてえがかれている。しかも同じ方向を向いている西郷吉之助、木戸孝允、そして破天荒の中の破天荒の高杉晋作たちでも思いつかない策をやってのける破天荒ぶり。やはり「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」なリーダーとしてえがかれている。「西郷どん」の西郷吉之助も全く同様ではないでしょうか。

 

 

つまり、、日本人のどこかに「私心のないこころざし」と住民(友や妻や家族といってもよい)を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」が、求めるリーダー像としてあるのではないかと思う。わたしもご多分に漏れずそれをリーダー像として持っているのです。まさにこれこそが『器』なのです。「私心のないこころざし」と住民を思う「やさしい心根」、そして「破天荒」のどれが欠けてもリーダーの『器』にあらずと思うのです。

 

でわでわ

人間の人間たる所以ー「分かち合う」

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嵐山の紅葉

暑さが和らぎ、そして寒いとすら感じるときがある今日この頃。すでに、紅葉のみられるところも報告されるようになりました。今年は秋刀魚が豊漁だそうで、安く太った秋刀魚が手に入るか楽しみですね。わたしは、京都出身なもので秋の紅葉は楽しみでなりません。渡月橋からみる紅葉、高雄神護寺でみる紅葉、鞍馬の貴船神社の紅葉、これらがわたしにとっての秋の紅葉なんです。秋は豊かな食彩の時期。丹波の松茸やくり、九条ネギや堀川ゴボウなども旬を迎えます。

 

秋は食材の時期でもあり、試作の時期でもあります。たまに歩いた哲学の道高瀬川沿いの小道は、なんとなくもの悲しい雰囲気もあり、考えに耽ってしまう。四条河原町を上がったところにある名曲喫茶『築地』に立ち寄ることもしばしば。浪人中は、西田幾多郎三木清の著作を読み、なんとなく哲学に憧れたのを記憶しています。

 

さて、岡潔(おかきよし)という名前をご存じでしょうか?日本を代表する数学者ですね。当時世界中の数学者が難問で避けていた多変数複素関数論の研究で人間業とは思えない仕事をした人です。戦前、戦中、戦後を生きた人です。

 

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岡潔は数学者であると同時に、岡哲学とでもいうことが出来る多くの思索を残している。『春宵十話』(しゅんしょうじゅうわ)や『紫の火花』(むらさきのひばな)はその代表的な著作物です。かれの思索のなかでの一つのキーワードが「情緒」、岡潔は言う「数学の本質は『計算』や『論理』ではなく、情緒の働きだ」と。解りますか?

 

「数学の発見をするとはどういうことか。高い山のいただきにある美しい花を取りに行くようなものです。もともと美的感受性がないと、花を手に入れようとも思わない。そこに花があることにも気づかないし、登っていく意欲も湧かないでしょう」と説明されれば解りますよね。

 

岡潔は、日本の教育を憂い著作の中で多くのことを述べている。「人間は動物だが単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽を継いだようなもの、つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したもの」とし、戦後の教育は動物性を伸ばしていると憂うのである。「人たるゆえんはどこにあるのか。私は一つにこれは人間の思いやりの感情にあると思う」「人の心を知らなければ、物事をやる場合、精密さがなく粗雑になる…対象への細かい心くばりがないと言うことだから…いっさいのものが欠けることに他ならない」。

 

ここで動物性と表現されているのは、生存本能や闘争本能のことのようです。受験に端的なように「人より高い成績を」とか「人に負けてはいけない」とか親や教師から聞かされることがあるでしょう。情緒すなわち人間の思いやりの感情や対象への細かい心くばりがどこかへ追いやられてしまう様ですねじっくりと時間をかけて人間性を成熟させるべきであると深く危惧されているわけです。

 

そして、純粋直感による少しの打算も分別も入らない善行を積み重ねることを強調されている。例えば、ある大人が通勤途中に川で溺れている小さな子供を見つけたとき、とっさに飛び込み、子供は助かったが助けようとした大人が亡くなってしまう、なんてことがありますよね?このとき、この大人は「池は深いのかなあ?泳げるかなあ?助ければ感謝状がもらえるかなあ?」などどと考えた末に飛び込んだ訳ではないですよね。これは、ちょっと極端な善行の例ですが。つまり人の悲しみを全く自分のこととして受け止めること、決して悲しんでいる人を見て「かわいそうだな」と同情したり、「きのどくだな」と哀れむことでもないのです。あの宮沢賢治の『雨ニモマケズ』と同じ思いです。

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さて、岡潔日本国憲法について面白いことを言っています。「なっとらん!」と、日本国憲法前文を評します。「日本国憲法前文に、「自由」・「平等」はたっぷり謳われていますが、「博愛」が入っていない。自由・平等は“自己主張”、博愛は“自己犠牲”、自分の感情を抑えないと他人の気持ちはわからない。博愛こそ、社会を営む基本。」という風に。「自由・平等・博愛」とはフランス革命のスローガン・精神でフランスの3色旗はそれを表現しています。

 

わたしは、大学で憲法学(国法学)を学びましたが、これは非常に新鮮だと思いました。「博愛」憲法上の条文にするのは難しいけれど、前文の精神に書き込むことは出来ると思います。しかし、岡潔の主張はもっともだと思います。

 

博愛=自己犠牲、純粋直感による少しの打算も分別も入らない善行、まさにこれこそが人間が多の動物と区別される所以であると思います。しかし、ひょっとすれば「岡潔は仏教に被れていてこれは単なる彼の思想に過ぎないんじゃないか?」と疑義を持たれる方もいるかもしれませんね。

 

ところが、わたしたちの存在そのものが、それを科学的に証明する証拠なんです、といったらどうでしょうか?「ほんとう?」って思いますか?考古学の発見や脳科学の実験などさまざまな実験を通してこの人間と動物の違い、人間が人間である所以が解き明かされるのです。

 

NHKが制作した『ヒューマン なぜ人間になれたのか』をご存じでしょうか?「人間とは何か。人間を人間たらしめているものとは一体…。現在、地球上に70億人いる人類。民族、宗教、イデオロギーはさまざまだが、誰もが共通して持つ“人間らしさ”、それは20万年という進化の過程で祖先から受け継いできた、いわば“遺伝子”のようなもの。それは今もこれからも私たちの行動を左右していく。私たちはどのように生きるのか。私たちの底力とは何なのか。“人間らしさ”の秘密に迫る。」(出典:NHK

 

この番組に紹介される内容を順不同にみてみましょう。そうするとあることが判明してきます。

 

第1に「幼児の精神的な病気」と紹介されるアメリカでレポートされた事実です。親のいない幼児91人を調べたところ2歳になるまでに37%の幼児が命を落としていた。どの子も栄養や衛生は問題なかった。発見されたその要因は、「Lack all human Contact」、つまり「コミュニケーションの欠如」であった。幼児に対する話しかけは行われず、ひとりぼっちであったのです。これは幼児だけのことではないのです。母親もひとりぼっちで悩み、病に陥ることはまれではないでしょ。

 

こんなことは、チンパンジーや多の動物の世界ではあり得ないことです。これをみて思い出したことがあるんですが、かつて、狼に育てられた少女のドキュメンタリーを読んだことがありました。人間に発見された時は四つん這いで歩き走っていた。当然、言葉はしゃべれない。赤ちゃんは、育てた親が日本語でコミュニケーションすれば日本語を話すようになるし、英語あれば英語を話すようになる。猫が生まれてから人間に育てられたからと言って、人間の言葉をしゃべるだろうか?二足歩行するだろうか?この少女は、人間の行動がとれるように戻そうとしているうちに死んでしまいました。

 

ということは、人間だけが人間になるために他者としての人間を必要とするといえないだろうか?

 

現在も、人間と他の霊長類の脳の差異に関する研究が行われています。人間とチンパンジーの違いは、遺伝子のコーディングのうち2パーセント未満にすぎません。どのようにして、これほどまでにほかのサルと似ている人間のDNAが、大きな脳の違いの原因となっているかを解明することが研究の目的です。

 

人間の脳では、チロシンヒドロキシラーゼ(TH)遺伝子として知られるものが、より多く発現していたことが判明し、これは神経伝達物質ドーパミンの合成に一役買っているということが判明しています。そして、新皮質には、ドーパミン作動性介在ニューロンドーパミンを主要神経伝達物質として利用するニューロン)が存在し、これが大型類人猿には欠けているとも判明しました。

 

「興味深い発見です。なぜなら、ドーパミン作動回路は多くの重要な認知機能、気分の制御、作業記憶の機能に関係しているからです」と、ピサ大学生物学科の研究者で今回の研究に参加したマルコ・オノラーティは『WIRED』イタリア版に語っています。しかし、わずかこれだけであることも事実なんです。

 

とはいえ、比較的容易に出来る実験でそれ以上の違いが分かってきます。更にそれらを紹介しましょう。

 

2匹のチンパンジーを使った協力行動の実験です。写真のようにプチとマリを仕切られた檻の中に入れます。プチの檻の前に手を伸ばしても届かないところに好みの飲み物を置きます。マリの側にはステッキを置いておきます。プチはステッキを使って飲み物をとるために、マリが手にしたステッキをさして貸して欲しいという仕草をします。それまでマリは知らん顔していますが、手を伸ばして貸して欲しいジェスチャーをしたのをみて、プチにステッキを渡します。プチはそれを使って易々と飲み物をとり飲むことが出来ました。もちろん感謝の印にとマリに飲み物を分けるなどということはしません。

 

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2度目に同じことをやってみます。人間ならマリに解っているのだからステッキをプチに渡してやればいいのにと思いますが、プチが明示的に貸して欲しいというジェスチャーをするまでは、全くの知らんふりです。つまり、おもんぱかったり、思いやりで自発的に協力したりという行動をチンパンジーはとらないということが解ります。この実験は、異なったチンパンジーで地道に根気よく何度も実験を行っているが、結果は同じでした。

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どうしてでしょうか?番組の中ではこう説明しています。人間の場合、狭い産道でしかも横向きの径の長いところから回転しながら生まれ出るには、身体の小さい赤ちゃんの状態で生まれなけばならず、基本的には難産になり、生まれ出るときから他者の手を借りて生まれ出ます。成長するのにも他者の協力が必須であるためだと説明しています。たしかに、チンパンジーは、お産の時は全て自分一人ですよね。なるほど、この時点から人間は他者の自発的な協力を必要とするわけですね。

 

狩猟採取で生活をたてていた古代社会では、非常に平等な社会であったことは知られています。現在でも古代社会と同様な暮らしをしている部族は世界にいくつもあることは知られています。当然、狩猟採取をするわけですから、食物は時には部族の人数をすべておなかを満たすだけとれない場合もあります。また、協力しないと狩猟も出来ません。生きるためには協力が必須なのです。ですから、誰が獲物を捕っても皆で平等に分けます。そして分け前にあずかった人は、お礼を言うわけでもない。なぜなら、平等に「分け合う」ことが当たり前のこと、自分が獲物を捕獲出来ないときも、分け前にあずかり生きていけるためなんですねえ。

 

また、児童心理学の研究から次のようなことが分かっています。人間の乳児の最初の行動のひとつは物を拾って口のなかに入れることです。次の行動は拾ったものをほかの人にあげることです。それは世界共通だという。米国でも、欧州でも、日本でも、乳児は同じような本能的な行動パターンを示すという。

 

ここまでで、どうやら人間の人間たる所以は、「分かち合う」「助け合う」ことにあるようだとわかりますね。ここからは、人間は他者をどのように認識するかという実験や事例が登場します。そして、よりその人間たる所以の核心に迫ってゆきます。

 

イラク戦争を覚えているでしょうか?あるときアメリカ軍が地元の宗教指導者と折衝しようとある街を訪れたとき、住民はアメリカ軍が宗教指導者を捕縛に来たのだと思い込み、アメリカ軍の行動を止めようと向かってきたことがあった。口々に帰れ帰れと叫び、アメリカ軍を取り囲んだ。対話しようにも言葉が分からない。とっさにアメリカ軍の司令官は部隊に向かって思いもよらぬ指示を出した。「everybody smile」(笑うんだ)! すると事態は一変し、住民は敵意がないことを理解した。

 

この司令官が言うには、「私は89カ国へ行っているが、言葉の壁はあっても笑顔がつうじなかったことはありません」。「笑顔」が、協力関係を築く糸口になっているのでですね。

 

赤ちゃんにこんな絵を見せる実験がありました。鉢の上に野菜をのせた絵です。これを逆さにすると帽子をかぶった人間の顔に見えるのです。この二つの絵を見るとどのように赤ちゃんの脳が反応するかという実験です。顔に見える絵を見せたときは、野菜に見える絵の時と比べて盛んに左脳が反応していることが解りました。次に、目の機能は正常で脳の視覚野へは見た画像は送られているが、その視覚野が損傷しているために最終的にその画像が認識できないという黒人の男性がでてきます。この男性に、怒ったり、不機嫌な顔をしている顔の画像と、笑ったり、微笑んでいる顔の画像を複数枚見せます。驚いたことに、男性は「ポジティブ」な表情か、「ネガティブ」な表情かを確実に答えることが出来るのです。四角や丸などの図形では、一切認識できないのにです。どういうことでしょうか?

 

これは専門的には「blindsight」とよばれています。どういうことかというと、表情をみている場合、脳の中で活動しているのは視覚野ではなく、扁桃体という場所であることが解っています。扁桃体は、命に関わる情報を処理する場所として知られています。どの人間でも、無意識のうちに他者の喜怒哀楽の表情をこの仕組みで推察しているわけです。

 

つまり、赤ちゃんと同様、人間はその歴史のはじめから仲間とともに生きることが必要な生き物でした。だからこそ、相手のうちにある感情、すなわち喜怒哀楽を認識する能力が備わっているのだと、科学者はいいます。この仕組みが、人間の自発的な協力を生む鍵なのです。これは、人間が集団で生活するために備わっている機能といえるでしょう。

 

チンパンジーの実験、イラクの例、赤ちゃんの実験、画像を認識できない人の例、どれをとっても人間だけが「無意識のうちに他者と協力し合う」ことが出来ることをしめしています。がしかしです。キイロタマホコリカビという粘菌も協力し合うという例が出てきます。周りに食べるものがなくなり生命に危険が及んだとき、十万匹以上が集まって集合体を作り始める。その目的は、高く伸びた先に胞子をつけ遠くに飛ばすためです。この先端部分の胞子だけが遠くに飛ばされ生き残るわけです。残りの細胞は全て犠牲になる。人間には出来ないですよね。この協力はすごいが、確かな限界がある。集まり協力し合うのは、同じ遺伝子のグループに限定されてると言うこと。人間で言えば家族や限られた親戚だけということになる。

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人間は違う!

 

どうして人間は、世界中拡散してに移動し生存できたのだろうか。きっと他者と笑顔で分かち合い生き延びてきたからだろうと推測できる。実験は続く。

 

無作為に抽出した人に、一定額のお金を渡し(例えば1万円札10枚とか)、それを全て自分のものにしても良いし、他人にあげても良いので好きなようにしてくださいといってそばを離れる。この実験を多くの人に行うと一定の傾向がみえてくる。どの国、どの場所でも、人に分け与えないと言うことはなく、少なくとも20%は他人に分け与えるというほぼ同様の結果になりました。

 

さて、日本ではどうだったのでしょうか?結果は、自分が56%をもらい、44%を他人に分け与えるという結果になったそうです。どう思いますか?まだ、他者と笑顔で分かち合う機能は生きているんですね。

 

アフリカのカメルーンのある街に、世界中の研究者が注目する場所があるという。第二次大戦後に貨幣が使われ始めた村で、少し離れた密林の村ではまだ狩猟採集生活を送っている村がある。それぞれは同じバカ族です。その二つの場所の人々をモニターし比較しているのです。先ほども記述したように、狩猟採取で生活しているほうの村では、獲物を平等に分け合う。この村でもっとも嫌がられるのは、分け与えたことを自慢したり、隠し持ったりすること。ですから、人から抜きん出て成功しようとする人は出てこない。しかも富を蓄積することが難しい社会です。お金が現れる遙か以前は世界中そうであったようです。

 

では、お金が生まれるとどうなったのでしょうか?その最初であるメソポタミア文明を生んだシリアのハッサケ地方をみてみます。世界最初の都市といわれるテルグラフはここにあり発掘が進んでいます。その発掘で解ったことは、麦がお金の役割をしていたということです。麦を通してものが交換されるわけです。この交換という行為も人間しか出来ない行為であることをご存じですか?

 

このころから、職業というものが生まれ細分化していきます。麦を始め穀物の生産も3倍に拡大しています。つまり、交換が盛んになったため麦が大量に必要になったのでしょう。そして、より大量に麦や穀物を生産できる技術を持ったものが現れ、人口も急激に増えていきます。この後、次々と都市が建設されていきます。

 

そして、ギリシャアテナイで、民主主義、哲学などが生まれます。そしてもう一つ、それは銀貨です。刻印によって純度が担保された銀貨ですね。物々交換だと、お互いに欲しいものを持っているとは限らず、自分が持っているものと欲しいものを持っている人を見つけなければ交換は成立しません。しかし、価値を担保されたお金を介することによって交換は非常に楽になり経済を発展させることになりました。この通貨で交換を可能とする経済圏はたちまち拡大します。しかも、麦などと違い、貯めることができるという重要な特徴があります。

 

通貨は、麦などと違って腐ることもなく永遠の価値を持ちます。そこで、先ほどのバカ族のもう一つの村、通貨が流通し始めた村です。この村のある村民が、いままではとってきたものは全て分け合っていたにもかかわらず、分け合う前に一部を都会から移住してきた商人のところへ持って行き、売って通貨に変えたのです。この村民はこう言ました「みんなには悪いと思ったのですが、どうしてもお金が欲しかったのです」と。彼はこのお金で石鹸や塩を買いました。

 

そして、その後この村民は、高値で売れるカカオを育て、もっとお金を手に入れようと計画しました。作業員を出世払いで雇い、土地を耕し始めます。こして、狩猟採取のその日暮らしの生活から、長期的的な展望を持った生活に変わっていきます。しかも、主従、いや雇用関係も生まれたわけです。「分かち合う」という関係を犠牲にしたわけですね。

 

このように、本来人間たる所以であった「分かち合う」を駆逐していったのは、農耕と貨幣であることが解っています。そして、格差が生まれ始め持てるものが支配者となり、土地を耕すものから税金を徴収し始める。支払いを満たせない場合は家族を引き裂き、奴隷として売り飛ばすことも始まります。この欲望による暴走を抑制するために、「アマギ」といういわば徳政令のようなものを、メソポタミアではほぼ毎年行っていたそうです。そやって、奴隷にされた人を社会の一員として復帰するチャンスを与えていたということです。

 

 

貨幣への欲望が高まるのは、脳科学的には快楽を司る腹側線条体といわれる部分が関係しています。株取引をしているディーラーを観察すると、儲かる金額が多ければ多いほど腹側線条体が活発に活動していることが解ります。つまりお金を求める欲望にはきりがないように見受けられます。

 

ここで面白い実験をみてみましょう。2人の人を向かい合って座ってもらいます。そしてくじを引いてもらうんですが、一つは「Rich(お金持ち)」もう一つには「Poor(貧乏)」と書いてあります。「Rich(お金持ち)」を引いた人には参加料として80ドルを、「Poor(貧乏)」を引いた人には30ドルが渡されます。つまり格差をつくるわけですね。このあと50ドルを一人に配るのですが、「Rich(お金持ち)」に配って合計130ドルになったとき腹側線条体が少し上昇します。つまり喜んだわけですよね。こんどは、50ドルを「Poor(貧乏)」に配って双方が同額になったとき、つまり格差がなくなったとき、「Rich(お金持ち)」の腹側線条体は極めて激しく反応したんです。

 

この測定を20人に行うと、なんと腹側線条体の上昇率は5倍も大きかったのです。お金を儲ければもうけるほど、腹側線条体は大きく上昇し快楽を感じると思われていたのとは逆の結果だったということが解ったわけです。公平であること、差がなくなるということを、脳はとっても気にしており喜ぶのだといえます。ここで重要なことがあります。この二人は、面と向かって座っているということです。つまり、目の前でおこっている格差を慮って、「分かち合う」という心が動き始めると言うことです。

 

岡潔は、人間たる所以であるつぎ木された人間性、つまり人間の思いやりの感情(「分け与える」)をじっくりと育てる必要があることを、一貫してその著作で述べている。動物性が勝り始めた世を憂えてのことである。わたしたち人間には、他者を前提に共存し、「分かち合い」、公平であることを喜び、無意識のうちに利他性を発揮する、能力が存在することは科学的にも証明できる。

 

がしかし、それを阻み動物性の頭をもたげる要因が、農耕と貨幣によって再生産されているのが今の世。そうなると、教育されトレーニングされなければ人間性という芽を覚醒することは出来ないわけです。証明もできない、考古学上の発見でどんどん変わっていく進化論などを教える時間があれば、動物・昆虫・植物・その他一切の生物の驚くべき造りをつぶさに観察することを通じて、自然への畏敬を育てる方がよほど人間性を深く理解することに役立つはずです。

 

人類がそれに気付き、まずは自分の中に備わっている「分け与える」という人間性に従った生き方・行動をして欲しいものだと思う。止めどもない欲望に駆り立てられることへの歯止めとしての「アマギ」がまさに必要なのです。

 

でわでわ

地球はまわる 君をかくして!

 

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今日は2021年8月28日、一昨日悲しい訃報がフィリピンのマニラより届きました。皆さんもご存じのように、新型コロナウィルス:Covid19に連日多くの方が感染し亡くなる方も増えています。日本ではパンデミックの中オリンピックやパラリンピックが開催とされ、先手をとって十分な医療対策が施されないこともあって、自宅隔離を余儀なくされ、亡くなる方も増えています。しかも今や若年層まで重症化するケースが増えていますね。

 

これが医療先進国の現状なのです。厚生労働省のDMAT次長として各地のクラスター対策に飛び回っている弟の話では、高齢者施設では一度クラスターが発生すると感染を恐れて介護士や介護ヘルパーが休みがちになり、十分な措置が出来ていなないそうです。当然病院ではないために、新型コロナウィルス:Covid19のような緊急時の対策やマニュアルはもとより完備されておらず、一挙にクラスター化する施設もまれではないといいます。

 

とうとうわたしの身近なところで犠牲者が出てしまいました。それはフィリピンのわたしの大事な大事な知人です。名前はChivaといいます。今回は、記憶の中のChivaについて綴りたい。この機会にフィリピンの医療状況について皆さんに是非知ってもらいたいと思いますが、それは別の機会に綴りたいと思います。わたしの長女も現在マニラの大学で医学を学んでいますので、全く人ごとではないのです。

 

マニラにあるマカティ市のとなりにBGC(Bonifacio Global City)というフィリピンで最も生活コストの高い新しい町があります。多くの外資系企業がここにオフィスを構えており、高層マンションもつぎつぎと建築されています。フィリピン発の日系モールである三越も建築中です。 

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レストランも多国籍で、日本料理、イタリア料理、ペルシャ料理、ベトナム料理、中華料理、韓国料理、タイ料理などなど、そしてわたしたち日本人が聞いても知っている名前のレストラン、丸亀製麺、サボテン、一風堂などたくさん出来ています。住人も多国籍で、乳母車を押し同時に子犬をつれて散歩する住人もめだち、オープンカフェやバーなどで会話を楽しむ外国人の姿はまるで代官山や六本木を想像させる光景です。それほど安全な街なんです。

 

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Googleは、この街に数棟の高層ビルを借りて数千名のワーカーを抱えています。アクセンチュアをはじめいくつかのBPO(Business Process Outsoursing)企業にプロジェクト単位で業務委託しているんです。1つのチームを除いては、コールセンターなどのよくあるBPOプロジェクトです。その1つのチームというのは、Googleの開発したアプリケーションをテストして、開発グループにその分析結果を報告し品質を向上させていくプロジェクトをです。

 

フィリピンだけではないかと思うのですが、このチームは多国籍で各国各言語にチームが細分化されています。その中でわたしは唯一の日本人でした。日本人のチームは東京とGoogle本社所在地のマウンテンビューに分かれており、総勢7名が週一回のWeb会議で分担を決めたり経験を交流したりしてすすめていました。その他、中国、香港、ベトナムサウジアラビア、などなど20名ほどのスタッフが各言語でのテストをしていたわけです。

 

この多国籍チームのマネージャーで現場を監督していたのが、Chivaという人物だったのです。彼の上司でフィリピンを統括していたのは、小さく可愛らしいJappyという女性で、彼女は僕を採用した人物でもあるんですが、各国のチームの統括責任者でもありました。なので、毎週各国が一堂に集まってWeb会議システムでコミュニケーションをとり、それを彼女が統括していたわけです。

 

オフィスは非常に厳しいセキュリティルールが有り、私物はロッカールームで全て(筆記用具すらも)管理し、オフィス内にはもちこめません。まあ、お菓子や飲み物は別ですが(😀)。食事やスナックそしてコーヒーやソフトドリンクは、全てフリーで各階のパントリーエリアに置かれていて自由にとってよいことになっていました。日本ではこのようなオフィスはまだ考えられないでしょうね。

 

当然、雇用契約も締結しますし、担当するポジションや仕事内容も定義され合意します。わたしがGoogle 以前に努めたWundermanというニューヨークベースのマーケティング企業では、雇用契約書だけで10ページを超えていました。当然、簡単にクビにもなります。つまり、日本でようやく取り入れられるようになった「ジョブ型雇用」というのが標準です。解雇される場合は、ボーナスなど様々なインセンティブの支払いをうけることがでできます。

 

在フィリピンの欧米の企業では優秀な社員を確保するために、福利厚生つまり保険制度やフリーミールが提供されていてフレックスにしている企業がほとんどです。フィリピン政府も日本と同様にPhilhealthという政府の健康保険制度はあるのですが、天引きも少ない代わりに病気になった場合の保証も非常に少ないのです。ですから、プライベートの保険会社と契約して高額の保証が得られるようにしているわけです。

 

Googleには、さまざまなデザインの多目的ルームやゲームルームもありました。わたしたちのオフィスのあったuptown towerは、モールの上に立てられていたので、食品や衣料品、ガジェットなどの買い物も楽でした。まあ、便利なところでした。レストランも充実しており、一風堂、大阪の有名な串カツ店、じゃぶじゃぶ食べ放題店までありました。

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わたしは家族がセブにすでに引っ越していたために、単身赴任でオフィスから徒歩20分ほどのところにマンションの一室を借りて、朝はGrabタクシーで行き、帰りは徒歩で買い物をしながら帰るという生活でした。朝7時頃に出社し、夕方5時頃に帰路につくというのが基本的なルーティンでした。フィリピンは、まだ週45時間労働が普通です。

 

さて、朝オフィスに到着するといつも一番乗りなのが、一番古参の社員でタイ出身のNuiという女性です。年齢は不詳ですが(😀)、アメリカの大学で学んだ経験もあり自分の意見をはっきりという女性です。彼女にはチームの仕事のイロハを教えてもらったりと大変お世話になったのですが、一等最初に仲良くなったオフィスメイトでした。いつも周りを気遣い、社員のお姉さん的存在でしたね。それに韓国チーム、ベトナムチーム、台湾チームが、早い時間に来ているのでみんなでカナダのコーヒー&ドーナッツショップTim Hortons(ティムホートンズ)へ朝食を買いに行き、オフィスそばのパントリーのテーブルでおしゃべりしながら30分ほど過ごすことが毎日の日課となっていました。なかよしグループですね (^-^*)。

 

朝食も終わり、さて戦闘開始と仕事をはじめる。しばらくすると、現場監督がやってくる。そう、それがChivaなのです。見た目は童顔のキングコングのような、いやトトロのような奴って感じ。なかよしグループよりも早く来ていることもあるし、遅く来ることもある神出鬼没な奴。まず誰かに声を掛けひとしきり笑いを起こして席に着く。これがChivaのルーティンです。

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彼のプライベートはよく知らないのですが、中国系のフィリピン人ですね。とにかく、とても親切でみんながしたっていました。しかも、子供のようでよくみんなにいじられてもいました。彼が立ち寄るチームとくにアラビックのチームからは、絶え間なく冗談と笑いが起こっていました。まあ、フィリピンのオフィスでは楽しんで仕事をするのが普通ですがね。

 

Chivaは、日本ではまず見られないタイプのリーダーだと言っていいでしょう。34年間米国、韓国、日本、フィリピンの企業で仕事ををしてきましたが、もう一度一緒に仕事をしてみたいと思える上司というのは2人しかいません。Chivaはその一人です。

 

明確なポリシーを持ち部下をリードする、いわゆるハードなタイプのリーダーは沢山見てきました。非常に優秀であることは間違いありません。その意味で非常に尊敬しています。どこが異なるのか?リーダーとは、部下の能力を無理なくMaximizeしOptimizeする、そしてチームが互いに協力して自分たちをMaximizeしOptimizeするように成型する、それがわたしは重要だと思っています。Chivaは、まさにそんなリーダーです。見かけは、冗談好きで子供のようなのですが。本当に希有なそんざいです。

 

わたしたちのチームは多国籍メンバーです。「ダイバーシティ」という言葉をご存じだろうか?「多様性」と訳されるが、非常に深い意味を持った言葉です。単に多国籍であることがダイバーシティではありません。性別、地位、生活スタイル、宗教、、、、様々な面の多様性。これを一つの目標に向けてマネージするのは大変な仕事です。想像できますよね。

 

一つの事象に対する反応や感情の持ち方は、それぞれ異なります。最終的には、一つの目標と計画に向けて、一つの軌道に乗せて歩めるように指揮する、まさにオーケストラの指揮者のようなもの、それがわたしにはリーダーだと思うのです。Chivaはまさにそれです。

 

わたしの記憶にあるChivaは、そういうリーダーであると同時に、本当にLovelyな存在でした。彼は、ポケモンゴーなどゲームが大好きで、ジブリの映画とくに「となりのトトロ」が大好き、2ℓ入りのペットボトルでミネラルウオーターを飲む、チョコレートが大好きな、オフィスを自宅のように思いつも夜遅くまで残っている、窓際にたっては何かを考えている、大柄で童顔の青年!チームにとっては、頼りになるHospitalityに富んだ、いつ何があってもわたしたちを微笑ませて仕事に戻してくれる、良きお兄ちゃんでした。わたしたちには、「はやくかえりなさい!」と気遣ってくれる。

 

フィリピンでは、社内でいろいろなイベントを行います。チームビルディングを名目にメンバーを交流させるために、ゲームパーティーやダンスパーティをよくやります。そんなイベントの中にあって、Chivaの存在は皆を和ませるんですね。ところが、普段の食事はいつも一人。勝手な想像ですが、きっと唯一の自分のChill Timeなのではなかったのでしょうか。

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そんなChivaが先日かくれてしまったんです。彼に症状が現れてから病院に搬送するために奔走したオフィスメイトによると、酸素を必要としていたのに提供されない、救急車は20,000ペソも請求した、病院にベッドをとれない、悔しいとしかいいようのない中で、息を引き取ったというのです。

 

本当に悔しいし悲しい!全てのメンバーに、愛され慕われたお兄ちゃん!みんなが、わたしと同じ思いだと思います。昨日日本時間の午後4時、わたしのように今はチームにいないメンバーも含め三十数名が、Google Meetで集まってChivaの思い出を語り合いました。本当に悔しいし悲しい!同時にパンデミックというものと医療というものを再考されられました。

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Chiva!いつかまたパラダイスで会えるよ!信じてます。

 

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